RCJメディアミニストリー
リジョイス聖書日課
リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。
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31 de oct. de 2026
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Episodios
生ける神の神殿であるわたしたち(コリントの信徒への手紙二 6章) 08.05.2024
わたしたちは生ける神の神殿なのです。 (コリントの信徒への手紙二6章16節) 「わたしたちは生ける神の神殿なのです」。これは偶像礼拝や異教的習慣とのたたかいということを考える上で、注目すべき言葉です。キリスト者が個人として聖霊の住まわれる宮であることは言うまでもありません。しかし、パウロはここで「わたしたち」と、複数形で語ります。つまり、教会共同体としての聖化ということが考えられているのです。 パウロはコ...
聖霊により新しく創造される(コリントの信徒への手紙二 5章) 07.05.2024
だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。 (コリントの信徒への手紙二5章17節) 創世記には神の無からの創造、御言葉による創造が記されています。神が光あれと仰せになると、闇から光が輝き出た(創1章3節)。それとまったく同じことが、すなわち再創造の御業が、キリストと結ばれた人間にも起こされるのです。 日本人になじみ深い思想に「みそぎ」がありま...
土の器に命の宝を納める(コリントの信徒への手紙二 4章) 06.05.2024
ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。 (コリントの信徒への手紙二4章7節) キリストの命の力は、人の死を命に変える「並外れて偉大な力」です(7節)。そして、その力が人間から出たものではなく、神の賜物であることがあきらかにされるためにこそ、それは土の器に納められています。器と中身とは混じりようがありません。どこまでも区別されます。金銀は金銀、土は土です。 そして、土は土に徹することに...
主イエスの友とされて愛し合う(ヨハネによる福音書 15章9-17節) 05.05.2024
「わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」 (ヨハネによる福音書15章15節) 主イエスは私たちに「互いに愛し合いなさい」と命じておられます(12、17節)。 主イエスはこの命令を一方的に言うだけでは済ませませんでした。この命令に先立って、主イエスというぶどうの木につながることで私たちは実を結ぶことができる、と示されました(4、5節)。そして、実際に命令と共に、愛...
神が求めるまことの礼拝とは何か(詩編 50編) 04.05.2024
告白を神へのいけにえとしてささげ いと高き神に満願の献げ物をせよ。 …わたしをお前に似たものと見なすのか。 (詩編50編14節、21節) 神は、天と地を証人として、ご自分の民を告発しておられます(1、4節)。この詩編は十戒の詩編と呼ばれることがあります。 第一は、神への服従と感謝の伴わない献げ物や礼拝への警告(7~15節)です。神は全被造物の所有者であって、本来、犠牲の献げ物を必要とするお方ではありません。「聞き従...
神の掟に結び合わされ赦され生きる(ヨハネの手紙一 2章1-11節) 03.05.2024
神の掟を守るなら、それによって、神を知っていることが分かります。…神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。 (ヨハネの手紙一2章3節~5節) 法や掟は一つの目的に人間を結び合わせます。「神の掟」は、私たちを何に結び合わせるでしょうか。 ヨハネの手紙は「兄弟を愛する人は、いつも光の中におり、その人にはつまずきがありません」と教えます(2章10節)。「神の掟」が私たちを縛りつけようとする...
主と同じ姿にかえられる(コリントの信徒への手紙二 3章) 02.05.2024
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。 (コリントの信徒への手紙二3章18節) パウロはここで、聖化の祝福について語ります。「主の霊のおられるところに自由があります」(17節)。罪と死の縄目を解いて永遠の命に甦られたキリストの霊こそ、地上の何者にも縛られず、支配されない真の自由の霊です。この自由の霊が、罪と死の法則に、...
キリストの香りを放つ(コリントの信徒への手紙二 2章) 01.05.2024
わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。 (コリントの信徒への手紙二2章15節) パウロは、「わたしたちは…神の言葉を売り物にせず…語っています」と述べます(17節)。「売り物にする」とは、たとえば商人がぶどう酒を水で薄めて売るようなことです。いつの時代にも神の言葉を水で薄める誘惑が存在します。神の言葉をいかに忠実に語るかということよりも、人が喜ぶ耳に心地よい言葉を語ることの誘惑です。 十字架...
恵みにより聖とされた者たち(コリントの信徒への手紙二 1章) 30.04.2024
…コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。 (コリントの信徒への手紙二1章1節) 「コリントの信徒への手紙二」の宛先の部分で、著者である使徒パウロはコリント教会の信徒たちに「聖なる者たち」と呼びかけています。「聖」という言葉は、聖書においては神とのかかわりにおける区分、分離を表す語です。 すなわち「聖なる者」とは聖なる神に属する者、神の所有としてこの世から区別され、分離さ...
神よ願くば汝の栄光を仰がしめ給へ(ローマの信徒への手紙 11章36節) 29.04.2024
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。 (ローマの信徒への手紙11章36節) 78年前のきょう、日本キリスト改革派教会は「神よ願くば汝の栄光を仰がしめ給へ。我等与へられし一切を汝に捧ぐれば、汝のみを我等の神、我等の希望と仰がせ給へ。汝が我等の衷に肇め給ひし大なる聖業を完遂せしめ給へ」との「創立宣言」をもって、神の御前にその歩みを始めま...
わたしにつながっていなさい(ヨハネによる福音書 15章1-8節) 28.04.2024
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」 (ヨハネによる福音書15章4節) きょうは、主イエスがご自身をまことのぶどう木に譬えられたお話からです。この木と枝との関係を通して、主イエスとのつながりによって私たちは確かに活かされ、確かな命を得ていることがダイナミックに示されます。そのような中に「きょうの聖句」があります。この言葉は元の言い回しでは、「わたしの中にいなさい。わたしも...
エルサレムと共に喜び祝え(イザヤ書 66章) 27.04.2024
母がその子を慰めるように わたしはあなたたちを慰める。 エルサレムであなたたちは慰めを受ける。 (イザヤ書66章13節) イザヤ書の後半部分は、バビロン捕囚の出来事によってイスラエルの国が失われ、神殿が破壊されたことが背景にあると考えられています。66章で、主は、エルサレムに訪れる救いを約束します。エルサレムは神を礼拝する場所でした。たとえ荒廃した中であったとしても、エルサレムに訪れる救いの事実を共に喜ぶよう...
神が造られる新しい世界の希望(イザヤ書 65章) 26.04.2024
狼と小羊は共に草をはみ 獅子は牛のようにわらを食べ、…わたしの聖なる山のどこにおいても 害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。 (イザヤ書65章25節) イスラエルの民が神を求めなくとも、神は救いの手を差し伸べ続けてきました。1、2節は、実に慰めに満ちた神の愛が語られています。神に背く民に、「わたしはここにいる、ここにいる」と神は言い続けてくださったのです。 13~16節は、神に従う敬虔な「僕ら」と、神に逆...
私たちを救い出す創造主(イザヤ書 64章) 25.04.2024
しかし、主よ、あなたは我らの父。 わたしたちは粘土、あなたは陶工 わたしたちは皆、あなたの御手の業。 (イザヤ書64章7節) 63章に引き続き、預言者の祈りの言葉が続きます。預言者は民たちの罪を告白しています。「わたしたちは皆、汚れた者となり、正しい業もすべて汚れた着物のようになった」(5節)。ここの「汚れ」は、律法が指し示す汚れを意味しています。つまり、神との交わりにふさわしくなく、主の民から排除されなけれ...
私たちの希望は父なる神のみ(イザヤ書 63章) 24.04.2024
アブラハムがわたしたちを見知らず イスラエルがわたしたちを認めなくても 主よ、あなたはわたしたちの父です。 (イザヤ書63章16節) 「そのとき、主の民は思い起こした」と言われています(11節)。神の裁きを経験し、神の怒りを目の当たりにした彼らは、その嘆きの中で、かつてのイスラエルが受けてきた主の憐れみを思い出しました。11節から14節では、主なる神によってエジプトの奴隷から解放されたことが思い起こされています。...
わたしは決して黙さない(イザヤ書 62章) 23.04.2024
シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず エルサレムのために、わたしは決して黙さない。 (イザヤ書62章1節) 預言者はエルサレムのために「決して黙さない」と宣言します。預言者は、黙ることなく、メッセージを語り続けます。「彼女の救いが松明のように燃え上がるまで」(1節)と言われているように、絶望の中にある人びとに、主の光が照らされ、救いが与えられる「まで」です。 その救いの時、エルサレムは「夫を持つもの」...
主は賛美の衣をまとわせる(イザヤ書 61章) 22.04.2024
シオンのゆえに嘆いている人々に 灰に代えて冠をかぶらせ 嘆きに代えて喜びの香油を 暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。 (イザヤ書61章3節) 61章は、福音を告げ知らせるメシアの存在が預言されています。預言者は、悲惨の中にある人びとに対して、具体的に分かる言葉で、希望を語りました。貧しい者には福音が語られる。打ち砕かれた心が包まれる。捕らわれた者、つながれている者には自由と解放が与えられる。福音は、た...
主の御声を聞き分け主に導かれる(ヨハネによる福音書 10章7-18節) 21.04.2024
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。」 (ヨハネによる福音書) この章は、主イエスが羊の門や羊飼いに、そして私たちが羊に譬えられている箇所です。9節ではご自身を「門」に譬えられて、「わたしを通って入る者は救われる」、豊かな命を得ることになると言われて、主の門をくぐった者たちの幸いと励ましが語られています。 そのような関係性の...
だれでも立ち寄るがよい(箴言 9章) 20.04.2024
はしためを町の高い所に遣わして 呼びかけさせた。 「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」 (箴言9章3節~4節) 9章には二つの招きが語られています。一つは1節から6節の知恵の招きで、もう一つは13節から18節の愚かさという女の招きです。どちらも同じ言葉で人びとを招きます。「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい」と。しかし、その招き方と招きに応じた結果はまったく異なります。 愚かな女の招き方から見てみましょう。自...
主の栄光はあなたの上に輝く(イザヤ書 60章) 19.04.2024
起きよ、光を放て。 あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。 (イザヤ書60章1節) イザヤは、直接的にはバビロンに捕らえられているイスラエルが解放され、エルサレムに帰還することを預言しています。そして、新約の時代に、この預言がメシアである御子イエス・キリストの到来のことをも告げ知らせるものであることが示されました(エフェ5章14節参照)。 旧約の時代、メシアがどのようなかたちで現れるか、おぼろげ...
罪を悔い改める者のもとに主は来られる(イザヤ書 59章) 18.04.2024
主は贖う者として、シオンに来られる。 ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると 主は言われる。 (イザヤ書59:20) イスラエルの民が主の御前に罪を重ねた結果、イスラエル王国は南北に分断され、その後、北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされました。南ユダ王国もバビロンによって滅ぼされて、捕囚の民とされました。そこに至るまでにも、主なる神は繰り返し預言者を遣わし、イスラエルの民に悔い改めを求めておられました。...
主の御業は渇きをいやし力を与える(イザヤ書 58章) 17.04.2024
主は常にあなたを導き 焼けつく地であなたの渇きをいやし 骨に力を与えてくださる。 あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。 (イザヤ書58章11節) 主なる神は、私たちに、主なる神を信じ、主を礼拝することを望んでおられます。そして、神の御言葉に聞き従うことが求められています。 イスラエルの民は、主を信じ、断食を行っていました。しかし、主なる神は「お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし、神に逆らって、こ...
生きて働いておられる主なる神(イザヤ書 57章) 16.04.2024
わたしがとこしえに沈黙していると思って わたしを畏れないのか。 (イザヤ書57章11節) 主なる神が全世界を支配しておられ、主の御力が私たちに及んでいます。このことは私たちキリスト者の確信です。しかし、この世の人たちは神の存在などに関係なく、世界は自然の秩序と世の権威において動いていると考えています。このような考えは、巧妙にもキリスト者の考えに入り込もうと忍び寄ります。 主なる神が私たちのただ中にあって働い...
神による救いは実現する(イザヤ書 56章) 15.04.2024
わたしは彼らのために、とこしえの名を与え … わたしの家、わたしの城壁に刻む。 その名は決して消し去られることがない。 (イザヤ書56章5節) イスラエルの民は、自らの罪の結果、主なる神の裁きとして国をバビロンに滅ぼされ、捕囚の民とされました。このとき、多くのイスラエルの民は、生きる希望を失ったのではないでしょうか。神の存在が見えないとき、人は神を信じることができず、自己中心の生活となっていきます。 しかし、...
主イエスをいつも見ながら(ルカによる福音書 24章36-49節) 14.04.2024
そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。 (ルカによる福音書24章45節~46節) きょうはルカによる福音書の最後の場面からです。このとき、平和ではなかったであろう弟子たちの前に、復活の主が現れて言われます。「あなたがたに平和があるように」。この方が平和をもたらし、平和はこの方によって実現されることを確信させられる、そのような箇所です。 44節からの場面では、旧約聖書に書かれたこと...
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