永瀬清子の世界
永瀬清子の世界
岡山県出身の詩人・永瀬清子さんの詩をRSKアナウンサー 小林章子の朗読でお届けします。どんな景色が心に浮かぶでしょう?人生のステージや生活に合わせて読むことができる永瀬さんの詩の世界。多感な時期の悩み、結婚、両親、夫や子供など家族のこと、生活の中での驚きや発見、山や川、植物や天体など自然について、世の中について、老いについて。永瀬さんの詩は、過去の自分を振り返ったり、これから行く道の道しるべにしたり、人生を一緒に歩いてくれるようです。
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Episodes
#62「父の思い出(一)」 02.06.2025 3:57
「父の思い出」は、甘さとほろ苦さが交じり合いながら、時間の流れと記憶が人に与える影響を静かに語っているように感じられます。父は、若かった日の母の姿をいつも心に抱いていたのだと知った永瀬さん。そこから、人の心に残るイメージについて深く考え、「我々は四次元的に物をみている」という視点にたどり着きます。私たちが認識している現実世界は長さ、幅、高さで構成された三次元。ここに時間の要素を加えた四次元の視点を...
#61「星と扁桃腺ーわが詩のはじめ」 26.05.2025 3:57
永瀬さんは、2歳から16歳の多感な時期を金沢で暮らしました。詩に登場する英和幼稚園は、現在の北陸学院第一幼稚園で、「日本に現存する最古の私立幼稚園として、一貫したキリスト教保育」を続けている幼稚園として知られています(北陸学院第一幼稚園ホームページより)。この詩は、その頃の思い出を書いています。80代の永瀬さんは、幼い日の忘れられない二つの出来事を「星」と「扁桃腺」に象徴して、まるで昔話をするように語...
#60 「自分のことばを」 19.05.2025 3:58
「自分のことば」とは、一体どのようなものでしょうか。それは、自分が心を込めて使う特別な言葉のことだと思います。普通に話したり書いたりする言葉は、誰かの言葉を借りたり、思いついたまま使うこともあります。でも「自分のことば」は、自分でじっくり考え、自分ならではの意味や気持ちを込めたものです。たとえば、詩を書くときにも、ただ他の人と同じ言葉を使うだけでは、その人が感じていることをうまく伝えられないことが...
#59 「ほしいもの」 12.05.2025 3:58
今「ほしいもの」を尋ねられたら、皆さんは何と答えるでしょうか。ここに描かれた「私」の「ほしいもの」は、「小さな絨氈」です。それも単なる絨氈ではなく、時間が積み重ねられた愛着と記憶を宿した「古びた」絨氈です。詩を書くにも、洗濯をするにも、ミシンをかけるにも、それぞれに集中したいと願いながら、家事や家族のことに心を配り続ける「私」。一つ一つに心を込めていたいと思いつつも、マルチタスクを求められる日々。...
#58 「一日、昔の風が」 06.05.2025 3:58
永瀬さんが昔の自分に語りかける詩は、読む人々の心に深く訴えかける力を持っています。この詩の中で、若い頃の「私」を「お前」と呼ぶことで、かつての自分と今の自分との間で内省するように対話をしているのが印象的です。「さびしくふるえがちな/一本の苗木」が成長して年輪を増やし、外側に堅い層を持つことで中身を守るという自然の姿に、人生の歩みを重ね合わせているのです。また、過去の自分にもう一度会いたいという思い...
#57 「息子の結婚」 28.04.2025 3:57
「息子の結婚」という詩を読んでいると、永瀬さんの息子を思う母親としての姿が目に見えるようです。大切な息子が結婚をする喜びとともに、結婚そのものへの複雑な思いが浮かび上がってきているからです。天空をかけめぐることを夢見た星座の娘であった永瀬さんといえども、母となれば息子の思いを受けとめつつも、自分の元から離れていくさびしさにやるせなく割り切れない思いを抱かずにはいられないのです。永瀬さんは、結婚後に...
#56 「短章 流れる髪」 21.04.2025 3:58
永瀬さんは、金沢の女学校卒業後、上級学校への進学をあきらめていましたが、名古屋に暮らすようになり、新設された愛知県第一高等女学校高等科英語部に入学することができました。この時、キングスレーのギリシャ神話を読んだ驚きが忘れられず、当時のことをこんなふうに回想しています。入学してからの私は一字毎に何かを空想した。springという、breezesという、その言葉とその音には、日本語では知らなかった美しさと音楽が含...
#55 「朝になると」 14.04.2025 3:58
永瀬さんは、子どもたちの成長も詩に書いています。「朝になると」には、娘の通学を見守る母親の心を詩に書きました。汽車で学校に通う娘・菜穂子。「小鳥のようにみえなくなる」、「出来たての風のようにたのしげにいくだろう」などからは、娘の若さや元気のよさが感じられますし、「とおいとおい見えない空の深さが/その上に燃えているだろう」には、娘に開かれている可能性や未来がまぶしく感じられます。母親自身の少女時代を...
#53 「春になればうぐいすと同じに」 10.04.2025 3:57
「春になればうぐいすと同じに」は、永瀬さんが詩人として歩みはじめた頃を回想した詩といえるでしょう。17歳の時に『上田敏詩集』を読んで詩人を志した永瀬さん。「私は詩を書く人になりたいの/ほかには何もなりたくないわ」。この願いを抱いて70年以上歩んできた詩の道。「詩を書くのならうんと勉強しなくちゃ/感性だけに頼っていては駄目なんだ」と応援してくれたのは、京都帝国大学医学部にトップで入学した従兄でした。誰に...
#54 「美しい三人の姉妹」 07.04.2025 3:58
詩「美しい三人の姉妹」は、永瀬さんが岡山県の三大河川である吉井川・旭川・高梁川を三姉妹に見立てて書いた詩です。永瀬さんが愛したふるさと岡山の自然への思いが込められており、三つの川の歴史や地形などの特徴も捉えていることから岡山の魅力を伝える詩でもあります。この詩は、髙原景介さんにより混声合唱組曲となり岡山県内の様々なグループに愛唱されています。永瀬さんは、髙原さんの依頼により「1 大きな姉 吉井川」「...
#52 「春の花など f 花の美しいのは」 24.03.2025 3:59
永瀬さんは、花を題材にした詩をいろいろ書いています。この詩では、なぜ花が美しいと感じるのか、どういうところに美しさを見出しているのか、その理由を書いています。少し抽象的かもしれませんが、花の美しさとは何かという本質に迫った詩です。永瀬さんは、花の美しさを言おうとしているのに、「何ものか花でないものから」と花そのものではないと言っています。ではどこかというと、「花へ浮かびあがってくるきわが美しいのだ...
#51 「たんぽぽ」 17.03.2025 3:59
「朝」の訪れは、なんとすばらしいことなのでしょうか。しぼんでいたたんぽぽも、書けない私にも「見えぬ時計がやがてよい時間をもたらす」、つまり時間が力を回復させてくれるというのです。時間の持つ力と不思議さを感じさせてくれます。永瀬さんの晩年の詩には、この詩のように時間が味方してくれたことを書いた詩があります。目標に届かなかった。誰かを傷つけてしまった。弱さを盾にしてしまった。辛くないふりをしてがんばろ...
#50 「三月」 10.03.2025 3:59
三月になると、太陽の光が力を取り戻したかのように景色が明るく見えてきます。三行ずつ六連で構成されるこの詩は、永瀬さんのさりげない工夫があります。第一連は、春そのもののあふれるような光を放っているのですが、連が進むにつれて日が陰っていくように光が弱くなり夕ぐれになるのです。また第一連では「猫柳にさわるように美しい」指が、最後の連になる「いまあるのは私の骨 私の震え」と、柔らかな指から肉が落ちて硬い骨...
#49 「緑」 03.03.2025 3:58
この詩は、短章「新年よ」に通じるといえるでしょう。この詩でも永瀬さんは、「信じてくれるやさしい『耳』」を願っています。それほど永瀬さんは、自分の言葉がうまく伝わらないという場面に出会っていたのかもしれませんし、表現しきれないもどかしさを感じていたのかもしれません。春になれば木々も草花も芽吹いていき、枯れ色だったところが少しずつ緑に変わっていきます。それは「どんな敷石の間からも」とあるように、自然に...
#48 「唯一の手紙」 24.02.2025 3:59
化石として残された恐竜の足跡。永瀬さんは、その足跡の化石から恐竜に心を寄せていきます。呼び続けても届かなかった声。永瀬さんは、はるかな時を超えて友達のように恐竜の声を受けとめ、残された足跡も詩も同じ「唯一の手紙」だと書いたのです。つまり、その恐竜や永瀬さんでなければ伝えられないことを伝えようとしていると捉えたのです。永瀬さんが生前最後に出演した谷川俊太郎さんとの朗読会では、この詩を「恐竜の足跡」の...
#47 「外はいつしか」 17.02.2025 3:59
永瀬さんは、いくつもの春の詩を書いており、この詩もそうした一つです。四季折々の美しさを発見し書き続けていたとはいえ、春を待ち望む心は、こんなにも永瀬さんを喜ばせ詩を書かせたのかと思わずにいられません。うまく出来なかったこと、思いやりが感じられないことを甘んじて受けとめたこと、厳しい出来事を黙ってやり過ごしたことなどを耐え忍んできたからこそ、春を待ち望み、そのやさしさを存分に味わい大きな喜びとしてい...
#46 「早春」 10.02.2025 3:59
長い冬の終わりがやっと近づいてきました。目には見えないけれども、感じないではいられない春の訪れ。いつもと同じ景色なのに、どこか明るく感じられます。寒さで縮こまっていた心が少しずつほぐれていく様子は、明け方の空の色や、朝になり芽吹きつつある欅の梢が太陽の光の中で揺れる様子からもうかがえます。季節のめぐりは、ふとした瞬間に感じられるものですが、この詩を読んでいると、そうした感覚が全身で感じられるようで...
#45 「にせ物語 d入浴」 03.02.2025 3:59
身近な人だからこそわかってくれるに違いないという期待や思い込みが、よかれと思ってしたことが、相手の気持ちにそぐわないことはあるものです。「女」が、友達にさえ理解されない思いを綴るのは、ノートでも原稿用紙でもなく手近な「台所の日めくりの余白」です。夫婦のありふれた生活が「台所の日めくり」に象徴され、その余白には、それぞれの思いが託されるのです。「女」の気持ちを思いつつも、「夫」が「女」の望む通りの言...
#44 「降りつむ」 27.01.2025 3:58
静かな詩です。雪は「かなしみ」の象徴。繰り返される「降りつむ」の言葉。しんしんと静かに降り積もる雪が視点を変えて描写され、「かなしみ」の深さが伝わってきます。さらに「その下からやがてよき春のたちあがれと雪が降りつむ」と、やがて来る春への希望があり、深く沈んだ「かなしみ」から視点が変わるのです。視点を変えながら「かなしみ」と希望は繰り返すかのように「かなしみの国に雪が降りつむ」で始まり終わることから...
#43 「一月」 20.01.2025 3:58
永瀬さんは、一年を登山にたとえてこの詩を書いています。「力一杯の辛抱 力一杯の投球」の結果、苦しみや悲しみ、辛い出来事があっても、今年はよいことに出会うかもしれないという希望をもちながら新しい年を迎えるのです。詩の最初にも終わりのほうにも「一足ごとの足裏に感じるほゝえみです」とあります。この繰り返しには、去年も今年もよい年を願う希望が託されているかのようです。山に登れば降りる。生きていると平坦な道...
#42 「熊山橋を渡る 一九四八年一月十四日」 13.01.2025 3:58
永瀬さんは、戦争が終わった1945年11月に現在の赤磐市の家に帰ってきました。翌年から農業にたずさわり、都会とは違う新しい生活の中で、様々な出会いと発見をし、まるで突然目が覚めたように詩を書いていた頃、この詩が生まれました。永瀬さんが渡った熊山橋は、現在のような立派な橋ではなく、木製の板を打ち付けて作られた「曲がりくねった低い仮橋」で、架けても流されることが繰り返されていました。終戦後に何度も洪水で流さ...
#41 「新年よ」 06.01.2025 3:58
永瀬さんは、新年を題材にした詩も書いています。新しい年を迎えると気持ちが新たになります。それは、楓、柳、いちょうが落葉しても新たに芽吹いて葉を茂らせていくようです。そしてよい年であることを願うのは、今も昔も同じです。その願いは、皆それぞれですが、この短章に書かれた「私」の願いは、「私」の言葉が「ただしく人に聴かれうけとられる」こと、すなわち自分の言葉が聞き手や読み手に誤解されず正確に伝わることです...
#40 「元日」 30.12.2024 3:58
まるで子どもの頃に戻ったかのように母親と過ごすあたたかいお正月の詩です。外は寒く疲れて熱が出ていても、母親の気配があるだけでほっとするような心持ちが感じられます。いくつになっても自分の心の中にいる子どもが出てきて、母親に甘えているようでもあります。そのうち「私」は、自分が生まれた時のことにも思いをいたすのです。永瀬さんのお母様は、安産であったことを明治三十九年二月十七日の日記に書いていました。多く...
#39 「一本の幹で」 23.12.2024 3:59
永瀬さんの詩は、戦中に発表した詩「大いなる樹木」のようだと〈樹木〉に象徴されることがあります。つまり、「一本の幹で城のように立っている樹」です。ところがこの詩の〈樹木〉は、ちょっと違います。「いつのまにか他人の根が」からまっているような、どこか頼りない〈樹木〉なのです。そして「私」は、とまどいながら、最後の最後に「お互のかなしい刺のみが お互を支えあっていることを」知るのです。一人で生きているつも...
#38 「都わすれ」 16.12.2024 3:59
詩「都わすれ」では、かつて暮らしていた東京への思いと「田舎」の暮らしの間で揺れている「私」が、「田舎」で生きることを受け入れていこうとする心が書かれています。そしてその心は、「次の季節のため」の「田んぼの土おこし」や、「何十年さきのため」に苗木を山に植えていく作業に託されていくのです。この詩は、昭和23年に発表した時には、「都会わすれ」という題名でした。その後、少しずつ書きかえられていき、「都わすれ...
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