永瀬清子の世界

永瀬清子の世界

Arts JA ↓ 137 episodes

岡山県出身の詩人・永瀬清子さんの詩をRSKアナウンサー 小林章子の朗読でお届けします。どんな景色が心に浮かぶでしょう?人生のステージや生活に合わせて読むことができる永瀬さんの詩の世界。多感な時期の悩み、結婚、両親、夫や子供など家族のこと、生活の中での驚きや発見、山や川、植物や天体など自然について、世の中について、老いについて。永瀬さんの詩は、過去の自分を振り返ったり、これから行く道の道しるべにしたり、人生を一緒に歩いてくれるようです。

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永瀬清子の世界

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Nov 2, 2026

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Episodes

#87「季節のごとく」 24.11.2025

詩「季節のごとく」は、年老いてやがてこの世を去ることを待ち望む「私」を題材にしています。年老いていくこともこの世を去ることも季節のめぐりのように当たり前と捉え、刻まれていく〈皺〉を樹木の「年輪」のように静かに受けとめていきます。「血を注ぐ」元気がまだある「私」は、そのうち疲れから額に増えていく〈皺〉を思い、自分の終わりを思うのです。〈皺〉に象徴される年齢は、さらに打ち寄せる波にも、降りつむ雪にもた...

#86「パイプ」 17.11.2025

「パイプ」という詩は、日常の夫婦の一コマを切り取ったかのような詩です。このような困りごとは、誰しも似たような経験があるでしょう。自分でなくしておきながら、「私」をわずらわせる苛立ち。どうしてもっと気をつけないのかと思うその背後には、「パイプ」のように「私」も大切にされていない、気にされていないのではないかという気持ちも込められています。そして、この気持ちの向こうにある「貴方」と「私」の関係が見えて...

#85「悲しみだけは」 10.11.2025

絵描きの「彼」と「私」の若い頃から続く関係には、複雑な思いが絡み合っているようです。恋心とも想像したくなる「彼」に対する「私」の心。それを裏切るように「私」を試すような「彼」の行動。他の女性と結婚したことや植えられている花々にまで嫉妬心をかきたてられる「私」。年月を経て絵を求められると妻が病気なのにと怒り、妻が亡くなったことを天に帰る天女にたとえて報せる「彼」。一体、「私」は「彼」と、「彼」は「私...

#84「貴方の手で」 03.11.2025

永瀬清子の詩には、自然とともにある姿を描く詩があります。この詩の「貴方」が描き出す「私」は、最後にひとつになり、「自然そのものを指す」というのですから、まるで天地創造のように大胆に感じられます。その一方で、それほどまでに大いなる存在である自然への憧れも感じられます。ここには、人間が自然の一部であることとともに、そのめぐりとともにある存在であるという永瀬清子の自然や生命についての考えが反映されている...

#83「裁判と詩」 27.10.2025

1959年1月、永瀬清子は岡山家庭裁判所の調停委員に任命されました。後年の随筆「火星人はいづこ―調停室から」(『愛と自由』第1号 1981年1月)では、双方が感情によって相手の「虚像」を作り上げる現実に驚きつつ、「自分と相手を共に生かす道」を探ることが「生き甲斐」につながると述べています。任命直後から「弱い人の女性の、味方になると云っても単にひいきをするのでなく、友として一緒に考へたい」と述べ(『黄薔薇』第37...

#82「挫折する」 20.10.2025

〈挫折〉とは、人によって違い、同じ人でも年代によって何をそう感じるかは違うでしょう。その人がその時に感じた感情であり、他者の〈挫折〉を理解できるかどうかは、その人の体験によっても変わってきます。また、「よい事づくめの人」は、本当に何ひとつつまずくことなく歩んでいるのでしょうか。そのように見えている、または見せかけているだけかもしれません。あるいはいわゆる〈挫折〉をしていないか、自らに厳しくて〈挫折...

#81「賢治思慕 c ヨクミキキシワカリ」 13.10.2025

5「必ず読むべき本を読まずに長年をすごした」ことを悔いる「私」がしていたのは、「思うこと」や「空想すること」でした。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節「ヨクミキキシワカリソシテワスレズ」は、そんな「私」への「はげましの言葉」となっていました。読むこともその中に含まれているのでしょうが、賢治が明言しなかった「思いやり」に「私」は救われるような思いを抱いています。読むことは他者の声に耳を傾けることであり...

#80「微塵」 06.10.2025

永瀬さんは、農作業をしながら多くの詩を書いています。収穫の季節、籾摺機の中に入れた穀物の外皮が太陽の光を受けてキラキラしながら飛んでいく様が目に浮かぶようです。それら「微塵となって飛んでゆく」のは、「私」の書く詩の言葉の象徴でもあり、単なる風景描写ではなく、詩が生まれる瞬間の象徴ともいえます。さらにその言葉は、「詩の重みだけを残して」「自然の奥へと消えてゆくのだ」と、「景色」になってしまうのです。...

#79「私の足に」 29.09.2025

詩人の新川和江さんは、永瀬清子さんの詩を「広々とした宇宙感覚がなければ生まれない詩」と語り、詩「私の足に」を朗読されました(第4回朗読会「永瀬清子の詩の世界」2000年2月13日)。自分の足に合う靴が星空にあるかもしれないという「宇宙感覚」による発想。そこには、既製の靴では満足できない「私」の心が浮かび上がってきます。オーダーメイドの靴ならば、「私」は満足できるのでしょうか。こんなふうに「私の足に」合う靴...

#78「昔話」 22.09.2025

「昔話」は、永瀬清子さんの両親の思い出話が題材となっています。娘には語れなかったけれども、孫には語った昔話。そこから、「親」をただ「親」という血のつながりとしてだけではなく、「長い人間のあたたかい鎖」でつながる一人の人間として感じているのです。つまり、祖母と孫という命のつながりとともに心のつながりがあり、年を経たからこそ語れる話、この人だからこそ語れる話ができたことで残すことができた思い出といえる...

#77「詩とは」 15.09.2025

永瀬清子さんは、詩について考えたことを、折にふれて書き残しています。「詩というのは、『記憶に価する言葉の流れ』ではなかろうか」という書き出しに、まず心をつかまれます。これは、戦前に発表した詩集『諸国の天女』の短章「韻律の尺度」に「よき詩の一行は一たび会つて忘れない。/よき詩の一行は必ず暗記暗誦に堪える」と書いていることを思います。さらに、そうした言葉を見つけることは「何が価値あるかをつかむ仕事と結...

#76「年月をすごしても」 08.09.2025

「年月をすごしても」は、戦後間もない1946年11月に発表した詩です。岡山県赤磐郡豊田村(とよたそん)松木(現・赤磐市松木)の家に帰り、初めての農作業にたずさわっていた永瀬さん。この詩にも「どんな時でも生きている/小さな希望が御座いますから。」と新しい生活の中で前向きに生きる「私」がいます。そして「幸福な昔の私のおもかげ」や「今の私をあわれんでくださる方」に向けて、「水藻の花」のように静かに流れに任せて...

#75「わが老人の日-月はふたつ-」 01.09.2025

敬老の日がある9月。年を重ねた「私」にたくさんの花の贈り物が届きました。贈り物を貰うほどに老いたことを認めて「きっとみんなが慰めてくれてるのだ」と思う「私」。けれども、その一方で「私」は、「とりあえず慰められていようか」と、老いたことを受けとめ切れていない「私」もそこにいるのです。そんな「私」は、「乱視がすすみ白内障も加わって」夜空の月が二つあるように見えており、そのためあらためて花束も慰めも二倍...

#74「死によって」 25.08.2025

亡くなった人のことを思い、ここに居てくれたらと思うことがあります。この世にいる人ならば、車を走らせたら会える。電話をかけたら声を聴くことができる。けれども、この世から「居なくなった人」にはそれができません。「あの時、何かを恐れもう一歩近よらなかった失策が、はじめてわかる」という心境は、年を重ねていくにつれ、実感しないではいられないのではないでしょうか。だからこそ、後悔のないよう人のために自分のため...

#73「夏のわかれ」 18.08.2025

「季節」は、不思議に満ちています。まだまだ日差しは強く暑さに辟易しているにもかかわらず、夏から秋への変化を何とはなしに感じ取ることがあります。この詩は、そんな瞬間を切り取っています。「夏のエネルギー」に力を得ていた筈の「私」は、ある時から「夏の詩をすべて嫌悪する」ようになり、「葉の次第に落ちてゆく楓のように自分を感じる」ようになるのです。このどうしようもない気持ちを「裂目のある一枚の葉のこころと/...

#72「八月の願い」 11.08.2025

7月7日は七夕ですが、旧暦の8月7日に七夕を行う地域があります。「天の川までとどく願いをこめて」短冊をつるした「美しい笹」。この詩の舞台は戦争中。短冊に託した人々の願いが、天に届いてほしいと思わずにいられません。1945年8月6日、広島に世界最初の原子爆弾が落とされました。「広島平和都市記念碑」には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれ、「原爆の子の像」には、「これはぼくらの叫びです/こ...

#71「悲しいことは万歳でしたー老いたる人のレコードー」 04.08.2025

永瀬さんは、戦争体験を詩や随筆に書いています。詩「悲しいことは万歳でした」では、「私」を戦争にまつわる悲しい記憶を録音したレコードにたとえています。そして、求められたらいつでもその泣き声を聴かせることができるというのです。とはいえ、「でも話だけしてもあなたがたを泣かせません」とあるように、泣き声を聴かせることには、二つの意味が込められていると思えます。つまり、もう二度と「私」が経験したように戦争に...

#70「一九八八年夏 i夏の服」 28.07.2025

永瀬清子さんをご存じの方から、「永瀬さんはおしゃれな方だった」と伺うことがよくあります。写真に写る永瀬さんは、帽子やアクセサリーといったところまで心を配ったおしゃれをしており、なるほどと思います。そんな永瀬さんが、着たい服をあきらめてでもしたかったのは、「今、書かねば書けぬ私の詩」を書くことでした。もう少し時間があれば、こんなこともあんなこともできると考えるのは、永瀬さんも同じです。だからこそそう...

#69「一番近い相手」 21.07.2025

「一番近い相手」に喜んでもらいたい。けれども何により相手を喜ばせるのか。永瀬さんは、戦中に詩を書けなかった自分を戒めるかのように、「私」に語らせています。アニメーション映画監督の高畑勲さんは、この詩を引いて「一旦戦争などの事態に突入したら、「自分が自分にたよ」ることができず、つい大勢に従い、「倚りかか」って流されてしまうのではないか、という恐怖。それを深く自覚・自戒したいからなのです。」(『君が戦...

#68「夏」 14.07.2025

この詩の「私」は、「私は身の不自由なあまり時々人に甘えすぎるのでいけない」と自制し、「私は何でも身一つで処置するやうになるであらう」と、誰の力も借りずに一人で物事をなしとげていきたいと考えています。さらに「物事を回想するばかり」の九月ではなく、「夏は暑ければ暑いほどよい」と夏を讃える詩句からは、過去を振り返るのではなく、今を生き、走り抜けようとする疾走感が感じられます。太陽の強い光のような、みなぎ...

#67「さびしき人々」 07.07.2025

永瀬さんは、ハンセン病に対する差別や偏見があった戦後間もない頃から、岡山県瀬戸内市にある国立療養所長島愛生園や邑久光明園の入所者と、詩作を通じた交流を続けていました。そうした交流からも作品が生まれており、この短章もその一つです。堂崎しげるさんは、本土から島へ届いた一瞬の光を「心ふるわして受け取っ」ています。永瀬さんは、この光への強い関心から、以前、堂崎さんが書いた詩を思い出し、さらに思いをいたすの...

#66「詩についての三章 b 書けない」 30.06.2025

この短章は、詩が書けない時と書ける時の状態を左右するのは、心と体のあり方にあるという、永瀬さんの詩作に対する心構え、哲学にふれています。たとえば、忙しいと他のことに心を配ることができず、時間があると余計なことまで考えてしまいそうです。お金は使い方にその人の考えが見えてきますが、あってもなくても生きたお金の使い方をすることの難しさに気づかされます。健康で体力ある人は、精力的な活動ができますが、そうで...

#65「ひもじさの声」 23.06.2025

永瀬さんは、1945年6月29日の岡山空襲を伝える合唱組曲「燃える故郷」を作詞しています。この曲は、木下そんきさんが作曲し、岡山合唱団により1981年6月に初演されました。詩「ひもじさの声」は、その第2章にあたる内容を少しずつ書きかえています。の詩では、食べ物がなくてひもじい思いをしている「僕」が、僅かしか食べられなくて泣きたいような気持ちをつばめに託して鳴いているのです。詩の合間に挿入されているわらべ歌も注...

#64「ピーター」 16.06.2025

放送では「ピーター」全編を、小林章子の朗読でおおくりしています。想像を膨らませながら、「ピーター」の世界をお楽しみください。

#63「まだ まだ まだ」 09.06.2025

「まだ まだ まだ」は、題名だけでも円熟した永瀬さんの詩の世界が感じられます。というのも、「まだまだまだ」ではせわしさばかりが伝わってきますが、「まだ まだ まだ」と一字分の空白により、年を重ねたゆとりや、若い頃のように軽やかに動けないけれども、一歩でも前に進もうとする命の輝きのような一呼吸が感じられるからです。文字の配置ひとつで詩の印象が大きく変わることを改めて感じます。年を重ねても驚きと発見を...

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