永瀬清子の世界

永瀬清子の世界

Arts JA ↓ 120 episodes

岡山県出身の詩人・永瀬清子さんの詩をRSKアナウンサー 小林章子の朗読でお届けします。どんな景色が心に浮かぶでしょう?人生のステージや生活に合わせて読むことができる永瀬さんの詩の世界。多感な時期の悩み、結婚、両親、夫や子供など家族のこと、生活の中での驚きや発見、山や川、植物や天体など自然について、世の中について、老いについて。永瀬さんの詩は、過去の自分を振り返ったり、これから行く道の道しるべにしたり、人生を一緒に歩いてくれるようです。

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永瀬清子の世界

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Jul 6, 2026

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Episodes

#95「短章「星の援護」」 12.01.2026

永瀬清子さんの詩「熊山橋を渡る」は、吉井川に架かる熊山橋を舞台に、詩を書く仲間と出会った喜びを書いた詩です。永瀬さんは、この詩を発表した翌年の1949年3月、天文学者の本田實さんと植物学者の吉野善介さんとともに、第1回岡山県文化賞を受賞しました。それから年月を経たある時、その本田實さんが永瀬さんの詩「熊山橋を渡る」を朗読してくれたことがありました。詩の魅力は、作者自身の発見にとどまりません。読む人が作者...

#94「春の夜のしなさだめ」 05.01.2026

新しい年を家族で過ごした時の思い出の詩です。家族であっても知らないことや気づけないことはあるものです。娘たちは、父が若い頃の母の姿を胸の中に抱いていたことを知りませんでした。その後、「母の若かった時の写真」が見つかり、父の胸にあった母の姿を目の当たりにした娘たち。「若かった時」の外見が美しいことはもちろんでしょうが、父が「嫁に来た時と今もちっとも変わらんねえ」と言ったのは、それだけではなく結婚当初...

#93「美しい新年」 01.01.2026

あけましておめでとうございます。新しい年をこの番組とともに迎えてくださり心より御礼申し上げます。永瀬清子さんは、新しい年を迎える喜びをいくつもの詩に託してきました。本日ご紹介する「美しい新年」も、そのひとつです。この詩では、「新年よ」と繰り返し呼びかけています。そこには、抑えきれない喜びがあふれ、詩全体がきらめく光をまとっているように感じられます。とりわけ「沢山の固い蕾を/人のみえない所にそつとか...

#92「黙っている人よ 藍色の靄よ」 29.12.2025

「あなた」と「私」は、長い年月をともにした夫婦です。あまりにも近くにいたからこそ、そのありがたさや優しさを当然のように受け取ってしまっていたのでしょう。「私」は、「あなた」がこの世を去ってしまった悲しみとともに、生きているときには言えなかった、この世を去らないと気づくことができなかった迂闊さを悔いています。それでも、「あなた」の愛を微塵も疑うことなく、今なお「私」を見つめてくれていると信じてやみま...

#91「冬が来るとは」 22.12.2025

永瀬清子は、2歳から16歳まで金沢に暮らしていました。金沢の冬の思い出が「肌ざわり」、雪景色、「子守唄」などの感覚的な断片で数珠つなぎのように語られています。そうした思い出だけでなく、「母の黒いえりまき」を取り出して身につけることで「母の思いが自分のものになった。」と実感しています。ここでは、目に見え手に取れるものとしての思い出と現実が描かれているのです。さらに、このように季節を感じることは人によっ...

#90「クリスマス」 15.12.2025

「クリスマス」は、永瀬さんが松木の家で暮らしていた頃に書いた短章です。12月になるとクリスマスのイルミネーションが輝き、きらびやかな夜景が見られるようになります。赤と緑と金色で彩られるクリスマスのディスプレイ。クリスマスソングが流れ、寒いながらも街全体が楽しげな空気になる頃です。ところが、「この田舎では何一つクリスマスらしくたのしげなものはない」と冬枯れて静かな日常の風景を描写します。そこには、「東...

#89「あけがたすこし癒える私」 08.12.2025

仕事をどうにかやり遂げて、疲れて泥のように眠る中で見た夢。「それはこわい夢だった」と、まるで自分の疲れや不安が作り上げたかのような夢でした。「現実の私なら絶対に云えぬこと」を言ったがために、はげしく後悔をしてしまいます。「まるで目もくらむ首との取引」、「誰にも助けて貰えないのに」など読んでいるだけでも身につまされます。ところが「私」は、こうした夢を見たことを、「夢が私をきっと治癒した」と肯定的に解...

#88「にせ物語 a 負ぶい紐」 01.12.2025

「にせ物語」は、「昔、男があった」で始まる「伊勢物語」の「こころにならい」書かれた短章です。偶然、久しぶりに再会した知人の男と昔話をして別れようとする時、「男」が負ぶい紐で「女」の背中に幼な子が落ちないように力を込めてしっかりとくくりつけるその一瞬で「女」の心をすくい取っています。「ぐうだらの彼女の夫」はそのようにしてくれたことはなく、「女」は、自分の伴侶の選び方が誤りではなかったのかと思いをいた...

#87「季節のごとく」 24.11.2025

詩「季節のごとく」は、年老いてやがてこの世を去ることを待ち望む「私」を題材にしています。年老いていくこともこの世を去ることも季節のめぐりのように当たり前と捉え、刻まれていく〈皺〉を樹木の「年輪」のように静かに受けとめていきます。「血を注ぐ」元気がまだある「私」は、そのうち疲れから額に増えていく〈皺〉を思い、自分の終わりを思うのです。〈皺〉に象徴される年齢は、さらに打ち寄せる波にも、降りつむ雪にもた...

#86「パイプ」 17.11.2025

「パイプ」という詩は、日常の夫婦の一コマを切り取ったかのような詩です。このような困りごとは、誰しも似たような経験があるでしょう。自分でなくしておきながら、「私」をわずらわせる苛立ち。どうしてもっと気をつけないのかと思うその背後には、「パイプ」のように「私」も大切にされていない、気にされていないのではないかという気持ちも込められています。そして、この気持ちの向こうにある「貴方」と「私」の関係が見えて...

#85「悲しみだけは」 10.11.2025

絵描きの「彼」と「私」の若い頃から続く関係には、複雑な思いが絡み合っているようです。恋心とも想像したくなる「彼」に対する「私」の心。それを裏切るように「私」を試すような「彼」の行動。他の女性と結婚したことや植えられている花々にまで嫉妬心をかきたてられる「私」。年月を経て絵を求められると妻が病気なのにと怒り、妻が亡くなったことを天に帰る天女にたとえて報せる「彼」。一体、「私」は「彼」と、「彼」は「私...

#84「貴方の手で」 03.11.2025

永瀬清子の詩には、自然とともにある姿を描く詩があります。この詩の「貴方」が描き出す「私」は、最後にひとつになり、「自然そのものを指す」というのですから、まるで天地創造のように大胆に感じられます。その一方で、それほどまでに大いなる存在である自然への憧れも感じられます。ここには、人間が自然の一部であることとともに、そのめぐりとともにある存在であるという永瀬清子の自然や生命についての考えが反映されている...

#83「裁判と詩」 27.10.2025

1959年1月、永瀬清子は岡山家庭裁判所の調停委員に任命されました。後年の随筆「火星人はいづこ―調停室から」(『愛と自由』第1号 1981年1月)では、双方が感情によって相手の「虚像」を作り上げる現実に驚きつつ、「自分と相手を共に生かす道」を探ることが「生き甲斐」につながると述べています。任命直後から「弱い人の女性の、味方になると云っても単にひいきをするのでなく、友として一緒に考へたい」と述べ(『黄薔薇』第37...

#82「挫折する」 20.10.2025

〈挫折〉とは、人によって違い、同じ人でも年代によって何をそう感じるかは違うでしょう。その人がその時に感じた感情であり、他者の〈挫折〉を理解できるかどうかは、その人の体験によっても変わってきます。また、「よい事づくめの人」は、本当に何ひとつつまずくことなく歩んでいるのでしょうか。そのように見えている、または見せかけているだけかもしれません。あるいはいわゆる〈挫折〉をしていないか、自らに厳しくて〈挫折...

#81「賢治思慕 c ヨクミキキシワカリ」 13.10.2025

5「必ず読むべき本を読まずに長年をすごした」ことを悔いる「私」がしていたのは、「思うこと」や「空想すること」でした。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節「ヨクミキキシワカリソシテワスレズ」は、そんな「私」への「はげましの言葉」となっていました。読むこともその中に含まれているのでしょうが、賢治が明言しなかった「思いやり」に「私」は救われるような思いを抱いています。読むことは他者の声に耳を傾けることであり...

#80「微塵」 06.10.2025

永瀬さんは、農作業をしながら多くの詩を書いています。収穫の季節、籾摺機の中に入れた穀物の外皮が太陽の光を受けてキラキラしながら飛んでいく様が目に浮かぶようです。それら「微塵となって飛んでゆく」のは、「私」の書く詩の言葉の象徴でもあり、単なる風景描写ではなく、詩が生まれる瞬間の象徴ともいえます。さらにその言葉は、「詩の重みだけを残して」「自然の奥へと消えてゆくのだ」と、「景色」になってしまうのです。...

#79「私の足に」 29.09.2025

詩人の新川和江さんは、永瀬清子さんの詩を「広々とした宇宙感覚がなければ生まれない詩」と語り、詩「私の足に」を朗読されました(第4回朗読会「永瀬清子の詩の世界」2000年2月13日)。自分の足に合う靴が星空にあるかもしれないという「宇宙感覚」による発想。そこには、既製の靴では満足できない「私」の心が浮かび上がってきます。オーダーメイドの靴ならば、「私」は満足できるのでしょうか。こんなふうに「私の足に」合う靴...

#78「昔話」 22.09.2025

「昔話」は、永瀬清子さんの両親の思い出話が題材となっています。娘には語れなかったけれども、孫には語った昔話。そこから、「親」をただ「親」という血のつながりとしてだけではなく、「長い人間のあたたかい鎖」でつながる一人の人間として感じているのです。つまり、祖母と孫という命のつながりとともに心のつながりがあり、年を経たからこそ語れる話、この人だからこそ語れる話ができたことで残すことができた思い出といえる...

#77「詩とは」 15.09.2025

永瀬清子さんは、詩について考えたことを、折にふれて書き残しています。「詩というのは、『記憶に価する言葉の流れ』ではなかろうか」という書き出しに、まず心をつかまれます。これは、戦前に発表した詩集『諸国の天女』の短章「韻律の尺度」に「よき詩の一行は一たび会つて忘れない。/よき詩の一行は必ず暗記暗誦に堪える」と書いていることを思います。さらに、そうした言葉を見つけることは「何が価値あるかをつかむ仕事と結...

#76「年月をすごしても」 08.09.2025

「年月をすごしても」は、戦後間もない1946年11月に発表した詩です。岡山県赤磐郡豊田村(とよたそん)松木(現・赤磐市松木)の家に帰り、初めての農作業にたずさわっていた永瀬さん。この詩にも「どんな時でも生きている/小さな希望が御座いますから。」と新しい生活の中で前向きに生きる「私」がいます。そして「幸福な昔の私のおもかげ」や「今の私をあわれんでくださる方」に向けて、「水藻の花」のように静かに流れに任せて...

#75「わが老人の日-月はふたつ-」 01.09.2025

敬老の日がある9月。年を重ねた「私」にたくさんの花の贈り物が届きました。贈り物を貰うほどに老いたことを認めて「きっとみんなが慰めてくれてるのだ」と思う「私」。けれども、その一方で「私」は、「とりあえず慰められていようか」と、老いたことを受けとめ切れていない「私」もそこにいるのです。そんな「私」は、「乱視がすすみ白内障も加わって」夜空の月が二つあるように見えており、そのためあらためて花束も慰めも二倍...

#74「死によって」 25.08.2025

亡くなった人のことを思い、ここに居てくれたらと思うことがあります。この世にいる人ならば、車を走らせたら会える。電話をかけたら声を聴くことができる。けれども、この世から「居なくなった人」にはそれができません。「あの時、何かを恐れもう一歩近よらなかった失策が、はじめてわかる」という心境は、年を重ねていくにつれ、実感しないではいられないのではないでしょうか。だからこそ、後悔のないよう人のために自分のため...

#73「夏のわかれ」 18.08.2025

「季節」は、不思議に満ちています。まだまだ日差しは強く暑さに辟易しているにもかかわらず、夏から秋への変化を何とはなしに感じ取ることがあります。この詩は、そんな瞬間を切り取っています。「夏のエネルギー」に力を得ていた筈の「私」は、ある時から「夏の詩をすべて嫌悪する」ようになり、「葉の次第に落ちてゆく楓のように自分を感じる」ようになるのです。このどうしようもない気持ちを「裂目のある一枚の葉のこころと/...

#72「八月の願い」 11.08.2025

7月7日は七夕ですが、旧暦の8月7日に七夕を行う地域があります。「天の川までとどく願いをこめて」短冊をつるした「美しい笹」。この詩の舞台は戦争中。短冊に託した人々の願いが、天に届いてほしいと思わずにいられません。1945年8月6日、広島に世界最初の原子爆弾が落とされました。「広島平和都市記念碑」には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれ、「原爆の子の像」には、「これはぼくらの叫びです/こ...

#71「悲しいことは万歳でしたー老いたる人のレコードー」 04.08.2025

永瀬さんは、戦争体験を詩や随筆に書いています。詩「悲しいことは万歳でした」では、「私」を戦争にまつわる悲しい記憶を録音したレコードにたとえています。そして、求められたらいつでもその泣き声を聴かせることができるというのです。とはいえ、「でも話だけしてもあなたがたを泣かせません」とあるように、泣き声を聴かせることには、二つの意味が込められていると思えます。つまり、もう二度と「私」が経験したように戦争に...

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