RCJメディアミニストリー

リジョイス聖書日課

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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12 de oct. de 2026

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Episodios

あなたはメシア生ける神の子(マタイによる福音書 16章13-20節) 23.08.2026

シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 (マタイによる福音書16章16節) フィリポ・カイサリアの地方で、主は「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と問われました。ペトロは、聖霊の導きによって「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。 この告白こそが真理であり、教会の不動の土台です。イエス・キリストは、単なる道徳の教師や預言者の一人ではありません。死に勝利し、今も生きて...

わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ(詩編 135編) 22.08.2026

シオンから、主をたたえよ エルサレムにいます主を。 ハレルヤ。 (詩編135編21節) 詩編134編と135編は、表現と思想において深く結びついています。134編は、1節に「夜ごと、主の家にとどまる人々」とあり、夜に務めを果たす聖職者の姿を示し、135編は、2節に「わたしたちの神の家の庭に居並ぶ人々よ」とあり、聖所に集う礼拝者全体へと賛美の呼びかけが広がります。「都に上る歌」が締めくくられたあとも、聖所における賛美の光景...

主の力の下でへりくだって生きる(ダニエル書 5章) 21.08.2026

「ベルシャツァル王よ、あなたはその王子で、これらのことをよくご存じでありながら、なお、へりくだろうとはなさらなかった。」 (ダニエル書5章22節) バビロニア帝国のネブカドネツァル王の息子であるベルシャツァル王の時代に、王は盛大な宴会を開きました。宴会には、王の命令によって、バビロンがユダの神殿から奪い取った金や銀の器が運ばれました。そして、彼らはそれで酒を飲み、自分たちの神々を賛美し始めたというのです...

この世界で賛美されるべき神(ダニエル書 4章) 20.08.2026

それゆえ、わたしネブカドネツァルは天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する。その御業はまこと、その道は正しく、驕る者を倒される。 (ダニエル書4章34節) バビロン帝国で繁栄を極めていたネブカドネツァル王は、一つの幻を見せられました。既に彼は、自らの王国に関する夢を見ましたが(2章)、ここでも自分についての一本の木の幻を見ることになります。 幻に出てくる一本の木は、王自身を指し示します。その木は天に届くほど高...

私たちを救うことのできる神を信じる(ダニエル書 3章) 19.08.2026

「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。」 (ダニエル書3章17節) バビロン帝国で頂点を極めたネブカドネツァル王は、高さ三十メートル近くに及ぶ巨大な金の像を造り、これを全住民が拝むことを強制しました。そうしなければ命はない、との絶対的な命令です。 しかし、このバビロンで主なる神を拝んでいたユダヤ人、シャドラク、メシャク、アベド・...

この世で真の力を持つ神を見る(ダニエル書 2章) 18.08.2026

「神の御名をたたえよ、世々とこしえに。知恵と力は神のもの。」 (ダニエル書2章20節) ダニエル書の舞台は、イスラエルの主だった民が捕らえ移された先のバビロン帝国です。当時、権力の絶頂にあったバビロンの王ネブカドネツァルは、ある夜、いくつかの夢を見ました。その夢について、王国の賢者たちは何もできませんでしたが、神によって夢や幻を理解することの許されたダニエルは(1章17節)、ここで王の夢を明らかにし、その夢...

目で見ず心で悟らず立ち帰らない(ダニエル書 1章) 17.08.2026

神の御計らいによって、侍従長はダニエルに好意を示し、親切にした。 (ダニエル書1章9節) ダニエル書は、旧約聖書の中でも、最も遅い時代に書かれた書物の一つです。 イスラエルの民が主に背いたことで、主の怒りによってユダ王国は滅亡し、主はユダの王や神殿をバビロンの手に渡されました。ダニエルは、そのバビロンに連れて行かれた捕囚の民の一人です。 このバビロンの支配下で、捕囚の民であるダニエルらはその国の文学と言葉...

異邦の地にも注がれる広大な恵み(マタイによる福音書 15章21-38節) 16.08.2026

そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」 (マタイによる福音書15章28節) 主イエスは異邦の地であるティルスとシドンの地方で、娘のいやしを願うカナンの女と出会われます。主の沈黙や厳しい拒絶の言葉に直面しても、彼女は「食卓から落ちるパン屑」でも十分だと食い下がりました。主はその大胆な信仰を「立派だ」と賞賛し、願いを叶えられました。それに続いて、主イ...

平和のための霊的戦いを(エフェソの信徒への手紙 6章10-24節) 15.08.2026

悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく…。 (エフェソの信徒への手紙6章11節~12節) 八十一回目の敗戦の記念の日を迎えました。暴力と戦争の力が、再び日増しにこの世界を覆い始めています。私たちはどうすればよいのでしょう。一体、何ができるのでしょうか。 パウロは、牢獄からエフェソの教会に書き送った手紙の最後で今日の私たちにとって...

わたしを愛しているか(ヨハネによる福音書 21章) 14.08.2026

「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。 (ヨハネによる福音書21章17節) 復活の主イエスはペトロに、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」と三度問いかけられました。これは、かつてペトロが三度主を否んだ出来事を思い起こさせるためでした。ペトロは主に忠誠を誓いながらも、恐れのあまり主を知らないと言ってしまった自分の姿...

見ないで信じる幸い(ヨハネによる福音書 20章) 13.08.2026

「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 (ヨハネによる福音書20章28節~29節) 復活された主イエスが現れたとき不在だったトマスは、他の弟子たちから復活の知らせを聞いても信じませんでした。しかし、再び現れた主が釘の跡と脇腹を示してくださると、彼は復活を信じ、「わたしの主、わたしの神よ」と信仰を告白しました。最初は復...

ナザレのイエスユダヤ人の王(ヨハネによる福音書 19章) 12.08.2026

ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。 (ヨハネによる福音書19章19節) ピラトは十字架の上に、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と記された罪状書を掛けました。これに対して、ユダヤ人の祭司長たちが、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と抗議すると、ピラトは「わたしが書いたものは、書いたままにし...

恐れず向き合う救い主(ヨハネによる福音書 18章) 11.08.2026

イエスが「わたしである」と言われたとき、彼らは後ずさりして、地に倒れた。 (ヨハネによる福音書18章6節) かつてペトロは、主イエスに「あなたのためなら命を捨てます」と固く誓いました(13章37節)。しかし、「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか」と問われると、状況は一変します。ペトロは、わたしではない(I am not)と、弟子であることを否定してしまいました。 一方、ユダは兵士や人びとを引き連れ、灯火やた...

十字架にあらわれる神の栄光(ヨハネによる福音書 17章) 10.08.2026

イエスは…天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。」 (ヨハネによる福音書17章1節) 主イエスは「時が来た」と祈られました。それはまさに「子が神の栄光を現す」時です。 本来、「栄光」の辞書的な意味は、隠しきれずに溢れ出す輝かしい光や名誉を指します。世の中では、成功して自分の名を広く知らしめることが栄光と呼ばれます。 一方、ヨハネに...

嵐の中で伸ばされる救いの御手(マタイによる福音書 14章22-33節) 09.08.2026

イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」 (マタイによる福音書14章27節) 夜明け前、逆風と荒波に翻弄される弟子たちの舟に、主イエスは湖の上を歩いて近づかれました。「安心しなさい。わたしだ」という宣言は、かつてモーセに語られた神の御名「わたしはある」を思い出させます。主は自然界を統治なさる創造主であり、救いの神としての権威を現されました。 その主イエスの言葉を聞い...

主の家にとどまる人よ主をたたえよ(詩編 134編) 08.08.2026

主の僕らよ、こぞって主をたたえよ。 夜ごと、主の家にとどまる人々よ 聖所に向かって手を上げ、主をたたえよ。 (詩編134章1節~2節) 120編から始まった「都に上る歌」は、134編をもって結びを迎えます。詩編全体の一割を占めるこの歌のおもな目的の一つは、神の臨在を見つめ、神を賛美することへと私たちを招くことにあります。 イスラエルの都エルサレムは、海抜750~800メートルのユダ山脈の頂に位置します。けれども、「都に上...

廃墟のなかに灯される光と神の憐れみ(列王記下 25章) 07.08.2026

ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。 (列王記下25章29節) およそ一年半にわたる包囲の末、ついに都の一角が破られました。ゼデキヤ王は夜中に逃亡を試みましたが、エリコの荒れ地で捕らえられ、バビロン王の前に引き出されました。目の前で息子たちを殺され、両眼をつぶされ、足枷をはめられてバビロンへ連行されます。その姿はユダの終わりの象徴です。神殿も王宮も民の家もす...

御言葉のまま歴史を成就する神(列王記下 24章) 06.08.2026

ユダが主の御前から退けられることは、…マナセの罪のため、彼の行ったすべての事のためであり、…罪のない者の血で満たしたためである。 (列王記下24章3節~4節) ヨシヤの改革からすぐのタイミングで、ユダ王国はバビロンの王ネブカドネツァルの侵攻を受けます。ヨヤキムは一度服従しながら再び反逆し、やがてその子ヨヤキンの代に都は完全に包囲されました。王をはじめ、高官・勇士・職人に至るまで一万人を超える人々がバビロンへ...

心尽くして魂尽くして主に帰る(列王記下 23章) 05.08.2026

彼のように全くモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。 (列王記下23章25節) 22章で御言葉の前にへりくだったヨシヤは、続く23章でかつてない大規模な宗教改革へと踏み出します。ユダとエルサレムの長老・祭司・預言者・民をすべて集め、契約の書の言葉を読み聞かせた上で、主の御前に契約を結びました。そしてバアルやアシェラの祭具、神殿男娼の家、ベテルの祭壇に...

一冊の書裂かれた衣砕かれた心(列王記下 22章) 04.08.2026

「あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。」 (列王記下22章19節) ヨシヤ王の治世第十八年、神殿修復の工事の中で一冊の書が見つかりました。律法の書です。書記官シャファンがその言葉を王の前で読み上げると、ヨシヤは衣を裂きました。先祖たちがこの書を長きにわたって無視し続けてきたことへの深い後悔、そして自分たちに向かってすでに...

惑わす王と悔い改めを待つ神(列王記下 21章) 03.08.2026

しかし彼らはこれに聞き従わず、マナセに惑わされて、主がイスラエルの人々の前で滅ぼされた諸国の民よりも更に悪い事を行った。 (列王記下21章9節) 南ユダで最も長く在位した王マナセは、五十五年という歳月をかけて、父ヒゼキヤが積み上げた信仰の遺産をことごとく覆しました。高き所の再建、バアルの祭壇、アシェラ像、天の万象への礼拝。それだけでなく、自分の子に火の中を通らせ、神殿の中にまで偶像を持ち込みました。エル...

憐れみ深いまことの養い主(マタイによる福音書 14章13-21節) 02.08.2026

イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。 (マタイによる福音書14章14節) 主イエスは休む暇もなく働き続け、疲労と空腹のため、人里離れた所へ退こうとされました。しかし、追いかけて来る大群衆を見て「深く憐れみ」、ご自身の休息の時間を投げ打って、その中の病人をいやされました。 主イエスはまた、五千人に食べ物を与えるという壮大な奇跡を働かれました。五つのパンと二匹の魚を取り...

神によって共に座る恵みと喜び(詩編 133編) 01.08.2026

見よ、兄弟が共に座っている。 なんという恵み、なんという喜び。 (詩編133編1節) 「共に座る」ことは、どれほど大きな恵みであり、喜びでしょうか。たとえば、劇場や競技場、あるいは食堂などで誰かと共に座ることは、日常的によくあることです。親しい人と共に座ることも確かに喜びでしょう。 しかし、ここで詩人が語っているのは、単なる同席ではありません。共に座っている人は、たとえ好みが違っても、あるいはそれまで一度も...

神に委ね神を信頼する人の祈り(列王記下 20章) 31.07.2026

「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」 (列王記下20章3節) ヒゼキヤは病になります。そのとき、アッシリアの脅威がエルサレムに迫っていました。預言者イザヤから死の宣告を聞いた彼は、顔を壁に向け、涙ながらに「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたこと...

祈りに応える主の救い(列王記下 19章) 30.07.2026

「わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために、わが僕ダビデのために。」 (列王記下19章34) エルサレムは、アッシリアの大軍に包囲されていました。このとき、ヒゼキヤの心は恐れと不安に襲われていたはずです。ラブ・シャケが神を冒涜したことを家臣から聞いた彼は衣を裂き、粗布を身にまとい、主の神殿に行きます。また彼は預言者イザヤのもとへ家臣を向かわせ、主の託宣を求めます。イザヤは、「わたしを冒涜する言葉...

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