Taichi Araki
説教・聖書メッセージ「みちことば」
聖書のメッセージです。聖公会司祭荒木太一による日本聖公会大津聖マリア教会での礼拝説教です。ブログサイトでは、絵画やイコンとともに、み言葉を黙想しましょう。
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Episodes
劣っている人こそ必要だ 30.01.2025 19:27
「ほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」 1コリ12・22 2025年1月26日 顕現後第3主日 私たちは目で世界を見ます。映像、文字、顔と感情。そして頭で理解し、手と足で行動します。しかしだからと言って目と頭が、手と足を馬鹿にして「必要ない」と言えるわけがありません。行動するためには、より劣っているまたは弱いと見える部分が、かえって必要です。 教会は体のようなものだ、とパウロは分裂のあるコリン...
運んでいるあいだに 30.01.2025 17:51
「さぁ、それを汲んで持って行きなさい」ヨハネ2・8 2025年1月19日 顕現後第二主日 今日は大切な結婚披露宴。召使いらは多くの招待客に給仕していました。その中には主イエスさまのご一行もいます。 そこで大惨事が起きました。ぶどう酒が切れたのです。誰の責任か追及してもはじまりません。このままでは宴会は台無しになり、世話役にも花婿にも赤っ恥をかかせることになります。 そこで母マリアが願っても主イエスさまは何も...
魂における神の子の誕生 14.01.2025 14:24
2025年1月12日 降誕後第二主日 「あなたは私の愛する子。」 この喜びの言葉は詩篇第 2編から来ています。「あなたは私の子。私は今日、あなたを生んだ。」 イエスさまは洗礼を受け、祈りの中で父の愛とその使命に目覚めました。自覚しました。そして父の愛よって父の子として新しく生まれました。二度目のクリスマスとも言えます。イエスさまの意識のうちで、魂のうちで、新たに神の子が誕生したのです。そして十字架で自分の命...
神の知恵が増していく 14.01.2025 11:17
2025年1月5日 降誕後第二主日 クリスマスのその後の話です。「イエスさまは知恵が増した」とあります。知恵とは「神を知る知識」です。 イエスさまは私たちと全く同じ人間でありつつ、完全な神です。神には何の欠けもなく成長する必要もありませんから、成長したのはイエスさまの内の人間性です。人間としてのイエスさまが父なる神をより深く知るにつれて、神が徐々にイエスさまの内に現れ、イエスさまの人間性が限りなく神性...
それでも素晴らしい 04.01.2025 9:24
賛美の使命 「わたしたちが召されて保つ使命を新たに悟り」 (祈祷書「新年の祈り」) 2025年1月1日 主イエス命名日 (元旦礼拝) あけましておめでとうございます。お正月は原点回帰のチャンスです。日常の忙しい日々に置き忘れてきた、本来の自分に帰るチャンスです。 私たちクリスチャンにとってそれは「召された使命」です。クリスチャンはただの恵みの受給者だけではなく、使命を行う人です。使命とは命令されて行う苦しい義...
幕屋を張ろう 25.12.2024 14:42
2024年12月25日 降誕日 聖餐式 神が人となった。この神秘をヨハネ福音書は「幕屋を張られた」と表現します。14節「私たちの間に宿られた」の原語です。 主によって奴隷の家から導き出された古代イスラエルの民は40年荒れ野を徨いました。そのあいだ主は「幕屋」と呼ばれるテントを人間に張らせてその中で民と共に居て、導き続けてくださいました。「主の栄光が幕屋に満ちていた。」(出40・45) 栄光とは神の存在感、臨在の表現...
クリスマスの革命 22.12.2024 15:46
「権力を振るう者をその座から下ろし、身分の低い人を引き上げ」ルカ福音書1章51節 悪しき支配者を追放し、圧迫された民衆が国を治める。そんな新しい支配を目指すのが革命です。レーニンも、チェゲバラも、天安門事件も、日本の学生運動もそうだったのではないでしょうか。 そういう意味で主の祈りが祈る「み国(神の支配)」は、神の愛の革命です。クリスマスは革命の始まりを祝う祭りなのです。 ただし神の革命を始めるのは偉大...
具体的な指示を 15.12.2024 16:15
2024年12月15日 降臨節第3主日 聖餐式 人生に迷うとき、祈り求めるのは「今、何をすればよいのか」という具体的な指示です。たとえ難しくとも行うべきことを知り、それに取り組むのなら、それだけで心は地に足がつきます。具体性は恵みです。 洗礼者ヨハネを取り囲んだ群衆もそうでした。「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」が欲しい。しかしその具体的な行いが分からない。だから尋ねました。「私たちはどうすればよいのですか...
赦しが来た! 「その道筋をまっすぐにせよ」 ルカ福音書3・3 08.12.2024 17:55
2024年12月8日 降臨節第2主日 聖餐式 エジプトの奴隷の家から導き出されて以来ずっと神の民は、主を愛さず、礼拝せず、律法を守らず、預言者の声を無視して社会的弱者を虐げていました。 その罪の結果、イエスさまの600年ほど前、国はバビロニア帝国に滅ぼされ、神殿も宝物も破壊され、奪われ、殺され、残された者は荒れ野の果ての異教徒の都バビロンに強制連行されていきました。そこで「もう赦されない。神に見放された」と...
審き主を待ち望む 「人の子が大いなる力と栄光を 帯びて、雲に乗って来る」 (ルカ21:27) 01.12.2024 19:32
2024年12月1日 降臨節第1主日(C年) 聖餐式 私は「最後の審判」が嫌いでした。「我々が悪に審判を下す」と神になり代わる人間がいたり、審かれる側に立って考えると「自分はそんなに清くない、きっと審かれて罰を受ける」と思うからです。 しかし戦争や虐殺や弾圧で罪のない市民が殺される事実、また、命を何とも思わない残虐な殺人や虐待、または残酷な病と死の力を思うとき、最後の審判を待ち望む気持ちが分かり始めます。「も...
逃げなさい 「そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」マルコ13・14 19.11.2024 15:17
2024年11月17日 降臨後第26主日(特28)聖餐式 「逃げちゃいけない。目をそむけちゃいけない。頑張れ。」とよく言いますが、ここでイエスさまは「逃げなさい」と言われます。 この言葉が書かれた歴史的背景は、紀元後70年のローマ軍によるエルサレム陥落です。凄惨を極めた兵糧攻めでは食人が起こり、派閥争いで殺し合い、赤子は城壁から投げ落とされ、捕らえられた何千人もの人が街から見えるように十字架につけられました 「...
休日の信仰 「すべての心で」 マルコ12:30 03.11.2024 15:17
信仰生活で最も大切な律法は何かと問われたイエスさまは、古代の祈りを引用して答えました。「心を尽くして神と人を愛しなさい。」 「心を尽くして」の原文は「全ての心で」です。神は人間の全てを愛する唯一の主。だからどのような心の状態でも、どのような日でも、神と人を愛しなさい、と。 神と人を愛す。この律法を最も意識するのが日曜日の聖餐式です。聖餐式ではイエスさまが私たちを愛して、ご自分の命を与えてくださいます...
ついて行く自由 「なお道を進まれるイエスに従った」マルコ10・52 27.10.2024 19:04
バルティマイは目が不自由でした。彼は物乞いをせざるをえませんでした。しかし決して不自由に支配されて人生を諦めませんでした。障害があっても決して幸せを諦めませんでした。「自由になりたい。そして誰かの顔を見たい。」 ある日、いつもように上着を広げて物乞いをしていたとき、ダビデの血筋の救い主が来たと知ります。彼は持てる全ての力で自由への願いを叫びました。「エレイソン! 憐みをお与えください!」多くの人に押し...
身代わりになりたいのです 20.10.2024 21:56
「多くの人の身代金として自分の命を献げる」マルコ10:45 2024年10月20降臨後第22主日(特24) 聖餐式 イエスさまは私たちの「身代金」として、私たちの身代わりとなって死なれました。 身代金とは奴隷に売られた親族を買い戻すお金です。愛のお金です。この意味で「あがない主」の漢字は正しくは「贖い」ではなく「購い」です。代わりの何かを支払って、奴隷を解放するのです。 この意味で、出エジプトでは、民は奴隷状...
結婚しているように 06.10.2024 22:52
「これこそわたしの骨の骨、わたしの肉の肉」(創世記2:23) イエスさまの論敵は罠を仕掛けました。「離婚は許されているか否か。」「許されている」と答えれば神の声を無視することになり(マラキ2:16)、「許されていない」と言えばモーセの許可(申24:1)を覆すことになります。 イエスさまはしかし、申命記の「離婚の許可」を神のみ心に従わない人の心の頑なさに由来する非本来的なものだとしました。神ご自身の本来の意図は創世...
排斥されて... 29.09.2024 14:34
「私たちに逆らわない者は、私たちの味方なのである」 マルコ9・40 弟子の訓練が続きます。マルコの教会に他のグループの噂が入ってきました。「悪霊を追い出す」というイエスさまの働きが行われているというのです。弟子達は「私たちに従わないので、やめさせようとしました」と言いました。ここでは「イエスさま、あなたに従わないので」ではなく「わたしたちに従わないので」と言っています。自分たちのグループに属さないので...
従者の美しさ 22.09.2024 16:49
神さまの従者「すべての人に仕える者になりなさい。」マルコ9:35 師匠と弟子の心がこれほどまでに離れているとは・・・。 イエスさまはもう奇跡は行わず、ただ受難の道を進まれます。それなのに弟子達は師匠の思いを「分からず」、「誰が一番偉い(大きい)か」と言い合っています。「あの人は良い、この人は悪い」と言い合うのは当時も今、牧師仲間でも信徒仲間でも同じかもしれません。誰が誰に仕えるべきか。 それに対してイエス...
神さまの前での誠実 16.09.2024 20:35
「信じます。信仰のないわたしをお助けください」 マルコ福音書9章24節 ある父親の愛する息子がてんかんに苦しんでいます。それはまるで霊に取り憑かれているようです。地面に引き倒され、泡を吹き、歯ぎしりして硬直し、火や川に入って自殺しようとする程の苦しみです。 苦しむ息子を見て父親はどれだけ胸を痛めていたか。息子をイエスさまのもとに連れてきました。弟子たちが対応しますが、自分で治せると思い上がる「不信仰な」...
共に呻く 10.09.2024 20:57
「天を仰いで呻き」 マルコ福音書7:34 2024年9月8日降臨節第16主日(特定18) 癒しの物語はときに遠く感じられます。「私には奇跡は起こらないから関係ない」。しかしそれは聖書を自分中心に読むことです。 神さま中心に読んでみると、聖書全体は創造の物語です。創造の喜びから、罪と死の苦しみ、しかし神の民とメシアを通して来る新しい創造の物語です。 そして私たちの時代は「終わりの始まり、新しい創造」の時代です...
肉体の近さの喜び 18.08.2024 13:40
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは」 ヨハネ福音書6章56節 これは聖餐についての教えですが、「わたしの肉を食べ、血を飲む」という表現はドキリとします。もちろん文字通りのこの世的な肉を食べ、血を飲めと言うのではありません。その点では「霊的」に食べるのです。 しかし、だからといってパンを食べてぶどう酒を飲むのはただ「イエスさまを思い出しなさい」ということではありません。パンとぶどう酒は本当にそこに...
共に生きる復活 11.08.2024 15:31
「わたしがその人を終わりの日に復活させる」ヨハネ6:40 2024年8月11日 聖霊降臨後第12主日(特14) 死んだらどうなるの? 一体どんなふうに体が復活するの? 躓きやすい復活信仰を、今日の箇所は一筋の光で照らします。 「わたしがその人を終わりの日に復活させる。」ここではイエスさまご自身が、人を復活させます。人の体が復活する、というだけではなく「イエスさまが」復活させる。ということはつまり、復活したらまず、目の前...
飢えを満たす 04.08.2024 18:39
「決して飢えることがない」 ヨハネ6・24 神は飢えを満たす存在です。出エジプトの荒れ野では天のマナで民を養われました。「5千人の養い」ではイエスさまが飢えた人々を満腹にされました。爆弾ではなくて命を降らせて養う存在です。原爆で焼かれた人たちはどれだけ命に飢えたことか。どれだけ「生きたい」と願われたことか。私たちは「命を養う」神の思いに従うのです。 私たち人間は皆それぞれ、幸せに飢える存在です。本当の幸...
死霊がイエスに 28.07.2024 16:25
「安心しなさい。わたしだ。 恐れることはない。」 マルコ福音書6:50 2024年7月28日 聖霊降臨後第10主日(特12) イエスさまが海(湖)の上を歩く場面です。海は死の象徴であり、海の上を歩く姿は、死に打ち 勝つ姿です。それは出エジプトで、民に死の海を歩かせて命の地へと導いた、主なる神の姿です。 しかし逆風に漕ぎ悩む弟子たちにとって、海の上を歩いて来るイエスさまは幽霊、死霊に見えました。 そして怯えて叫びました。「幽...
受けとってくださる 21.07.2024 17:34
「イエスは五つのパンと二匹の魚をとり」マルコ6・40 2024年7月21日 聖霊降臨後第9主日(特11) 愛する人の死を悲しむ方の前で、私は無力感を感じます。しかしそれでも「祈ることなら」と乏しい言葉を絞り出して祈ります。献げます。神さまは限りある祈りを受けとって、限りない慈しみでこの人を養って下さる、そう信じます。 「5千人の養い」は旧約聖書の再来です。荒野でマナを降らせた神、羊たちを青草の野で養う詩編23編の羊飼い...
知らない神 07.07.2024 13:34
「マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。」 マルコ福音書6:3 私たちは関係が近ければ近いほど「あの人のことは知っている」と思い込み、その人の知らない面を見過ごします。近い人は、その弱さまでよく見えるからです。家族、兄弟姉妹、同僚、幼馴染、同級生。 イエスさまが里帰りしたとき、故郷の人は拒絶しました。「神の子と言われているそうだが俺たちは昔から知っている。こいつが神の子なんてふ...
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