Hironao Ashida
『芦田の毎日』
2000年から書き続けているプログ記事(一部は2009年から始めたFacebookの記事)、あるいは、拙著『書物の時間』(1989年)、『『努力する人間になってはいけない』(2013年)、『シラバス論』(2019年)の一部をGoogleの「音声概要」による解説会話で再編したもの。会話音声上、一部、漢字などが正しく読めていない場合がありますが、お許しください。元記事の再現力は90%くらい。漢字の読み間違いは困りますが、〝理解力〟は〈人間〉よりもまともかもしれません。漢字の読み間違い、内容的な展開などにおいて、うん?と思われた場合などは元記事を参照して下さい。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。※BLOG『芦田の毎日』のアドレ...
Autore
Hironao Ashida
Categoria
Sito del podcast
Ultimo episodio
11 lug 2026
Dove ascoltare?
I podcast nell'app Replaio Radio In arrivoI podcast stanno per arrivare nell'app. Installala ora e scopri per primo un modo tutto nuovo di vivere i podcast
Episodi
新学力観と教育評価の諸問題 10.06.2025 5:38
提示された文章は、芦田宏直著『シラバス論』の一部であり、主に日本の大学改革と教育評価における**「新学力観」とその弊害について論じています。この改革は、中曽根臨教審以降の「大綱化」と並行して進められ、「関心・意欲・態度」や「思考力」「判断力」といった能力が「観点別評価」とともに重視されるようになりました。しかし、筆者はこれらの能力が「結果の能力」に過ぎず、従来の「知識」を問うテストを軽視することで、...
東日本大震災と「気仙沼ブルース」 10.06.2025 6:39
この記事は、著者が東日本大震災の際に抱いた故郷・気仙沼への思いが、森進一の楽曲「港町ブルース」と深く結びついていたことを論じています。 著者は、震災以前から「港町ブルース」を通して気仙沼を知っていたこと、そして震災による気仙沼の惨状を見たときに真っ先にこの歌が思い出されたことを語ります。 そして、「港町ブルース」が時代の変化に影響されない普遍的な作品性を持っていることに着目し、真の作品は一時的な出来...
講座制とカリキュラムと — なぜ、日本の大学にはカリキュラムが存在しないのか 10.06.2025 6:46
提示された文書は、日本の大学における講座制とカリキュラム教育の対立について論じています。特に、講座制が明治期に始まり、教授個人の権威や専門領域を中心に組織される傾向があり、これがカリキュラム教育における科目間の連携や体系的な学習計画の阻害要因となっていると指摘しています。また、現在の大学で行われている**「カリキュラム改革」の多くが実質的なシラバス内容の改善を伴わない**表面的なものであることにも言及...
大学の多様性と多様な教育の諸問題 10.06.2025 7:18
筆者は、日本の大学における「多様性」という概念の変遷と、それが抱える問題を論じています。特に、戦後導入されたアメリカ型の「一般教育」が、日本の「講座制」といった大学の構造や、学校間格差といった教育システムの中で十分に機能しなかったことを指摘しています。また、文部科学省が使う「多様性」が、個人の多様性に留まり、社会階層の多様性というメリトクラシーの本質を見失っていること、そして**「多様な学生」の出現...
授業ノート論 10.06.2025 7:54
この文書は、学生の多様な理解プロセスに対応することの難しさが、授業、特に一斉授業における主要な課題であることを論じています。著者は、教員が話すことにのみ依存する授業は、この多様性を無視し、単一の理解経路に限定してしまうと指摘します。その解決策として、板書やノートといった空間的メディアの重要性を強調し、これらが時間の流れに沿った話すことの欠陥を補う役割を果たすと述べます。特に、学生のノートは、教員の...
『シラバス論 — 大学の時代と時間、あるいは〈知識〉の死と再生について』序文について語る。 09.06.2025 8:51
提供された文章は、芦田宏直による書籍『シラバス論』の「まえがき」の抜粋であり、シラバスを単なる「学習支援書」や学生との「契約書」として捉える現状に疑問を投げかけています。著者は、現在の日本の大学における教育の停滞は、シラバスへの関心の薄さや形式的な利用に起因していると考え、その背後にある臨教審以降の教育改革における「学びの主体」論と「多様性」論が、知識を軽視し、意欲や人物評価に偏った教育評価体制を...
ヘーゲルとハイデガー :現前性とは何か 09.06.2025 7:45
本論文は、ヘーゲル哲学、特に『精神現象学』と『大論理学』における現前性( حضور)の概念を探求する。著者はジャック・デリダの影響を受けつつ、ヘーゲルの「即自(an sich)」と「アン・イーム(an ihm)」という用語の使い分けに焦点を当てる。特に、意識が自己の尺度を「アン・イーム・ゼルプスト(an ihm selbst)」に与えるというヘーゲルの表現をハイデガーがどのように解釈しているかを詳細に分析する。また、概念の「分...
ハイデガーと世界性の問題 — 『存在と時間』入門 09.06.2025 9:38
提示された日本語テキストは、ハイデガーの『存在と時間』における世界性の概念、特に環境世界と自己性、そして道具の指示連関に焦点を当てて論じています。辻村公一の世界性Aと世界性Bの区別を引用しつつ、ハイデガーの議論における世界性の曖昧さを指摘し、それが現存在の自己論に還元される傾向があることを分析しています。また、レヴィナスのハイデガー批判を取り上げ、世界性の自己論的還元をエゴロジーとして批判するレヴィ...
コピペ批判とは、何か。 09.06.2025 5:51
本テキストは、NHKの番組「クローズアップ現代」で取り上げられた学生のレポートにおける「コピペ」問題に対する筆者の批判的な視点を述べています。筆者は、コピペ問題を嘆く教員側の姿勢を問題視し、教員自身がレポートを真剣に読まない怠慢や、学生の評価方法に関する知識や努力の欠如が根本原因だと指摘しています。また、研究者の仕事は**「翻訳」であり、多数の文献を引用(コピペ)することは研究の根幹であるとし、学生の...
「連絡」とは、何か 09.06.2025 6:46
本テキストは、著者の芦田宏直氏が「連絡」について考察したもので、特に**「連絡を受ける側」と「連絡をする側」それぞれの問題点に焦点を当てています。 著者は、連絡を受けた側が依頼内容を正確に理解せず、自己判断で対応したり、表面的な謝罪に終始したりする例を挙げ、「言葉の意味をイメージとして捉えること」の重要性**を説いています。また、連絡をする側も、相手の能力や状況を考慮せずに依頼することで、かえって仕事...
フッサール・ハイデガー・デリダと現象学の可能性(マリオン『還元と贈与』論) 09.06.2025 7:04
このテクストは、現象学におけるフッサールとハイデガーの思想の再評価、特にデリダやマリオンといった後続の思想家の解釈を通して、彼らの貢献と限界を考察しています。フッサールの**「現前性の形而上学」やハイデガーの「存在論的差異」**といった主要な概念が取り上げられ、これらの概念がデリダによって批判された点や、マリオンが「贈与」という独自の概念を提示することで現象学の新しい地平を開こうとする試みが論じられて...
テレ朝『あいつ今何してる?』『あざとくて何が悪いの?』、Amazon Prime『ゴールデンコンビ』『シークレットNGハウス』などの源流を語る 09.06.2025 7:33
この文章は、筆者が息子さんの就職活動を通して、日本の大学卒業生の就職活動のあり方や、テレビ業界、特に生放送の重要性について考察を深めるエッセイです。息子さんは当初、複数の大手企業から内定を得ますが、最終的にはテレビ朝日に就職を決めます。その背景には、テレビ番組制作の現場に触れて感じた熱意や、過去の著名なテレビ番組が与えた影響が大きく関わっており、筆者は自身のテレビ好きが息子さんの選択に繋がった可能...
二十歳のサンタクロース計画 09.06.2025 7:54
著者は、息子に20歳までサンタクロースの存在を信じさせようという試みについて語っています。 友人の忠告やテレビ番組、さらにはプレゼント購入場所の指摘といった困難がありましたが、機転を利かせて乗り越えてきました。 特に「サンタはお父さん説」には、子供の行いによって本物のサンタが来るか父親がサンタになるかが決まる、という独自の解釈で対抗しました。 しかし、小学校の担任教師の「サンタがいると思う人」という質...
追悼・坂井泉水 09.06.2025 5:27
この文章は、ミュージシャンであるZARDの坂井泉水の死に触れ、彼女の音楽性について論じています。筆者はZARDの曲がどれも似ていると感じており、そこに独特の魅力を見出しています。また、ZARDの曲に登場する女性像や、ZARDの音楽を好む男性像についても言及し、彼女の音楽が持つロマン主義的な側面を分析しています。
「知的」であるとは、何か 09.06.2025 5:36
この文章は、「知的な」とされる言動の欺瞞性を論じています。著者は、専門用語や個人的な超常体験といった、相手が内容の真偽に介入できない会話は、言葉が実体から離れて空転し、「勉強になりました」や「へぇー、そうですか」で終わってしまうと指摘します。真の理解とは、言葉が指し示す根源的な実体、つまり万人に共通する基盤への回帰であり、新しい知識を得て表面的な引用を重ねる「知る」ことではなく、言葉の自己否定によ...
社会人教育(生涯学習)と高等教育改革 09.06.2025 7:47
この文書は、日本の高等教育機関における社会人教育の停滞について論じています。大学や専門学校が社会人教育を展開できない主な理由として、講座管理や授業評価の体制が不十分であることを指摘しています。シラバス通りの授業が行われにくい状況や、授業評価が個人的なものにとどまり、授業改善に繋がりにくい点が挙げられます。また、大学においては講座の過度な自立性やカリキュラムの不在、専門学校においては資格・免許取得に...
〈学校教育〉とは何か。 09.06.2025 6:50
この文章は、中曽根政権下の臨時教育審議会(臨教審) 以降の日本の教育改革、特に生涯学習論と学校教育の関係性について論じています。著者は、メリット(実力主義)、生活機会の均等、家族の自律性という3つは同時に実現できない「トリレンマ」の関係にあるというフィッシュキンの主張を引用し、現在の個性重視・意欲主義教育が、むしろ学力格差を拡大し、学校に家族や地域の影響を持ち込んでいると批判しています。学校教育の本...
吉本隆明:自己表出論、関係の絶対性、悲劇 09.06.2025 6:29
提供された文章は、吉本隆明の思想について、著者の個人的な経験と解釈を交えながら論じています。 特に、吉本隆明の主要概念である「自己表出」と「指示表出」の関係性、そしてそれが「関係の絶対性」や「悲劇」といった思想とどのように結びついているのかが詳細に説明されています。 著者は、吉本の思想の根源が**唯物論的な「沈黙」**にあると主張し、柄谷行人や蓮実重彦といった同時代の思想家との比較を通して、吉本独自の思...
70歳を超えて思うこと 09.06.2025 5:51
著者は70歳を超えて若い世代への敬意を深め、彼らが先人の過ちを修正する責任を負っていることを認識しています。過去に若い意見を軽視していた反省から、特に教育に長く携わってきた自身の立場が反発を招いていたと考察しています。70歳という年齢は人生の行く末と残された後の両面を強く意識させ、これは「命短し、恋せよ乙女」という言葉が示すように、過去や未来ではなく「現在」の尊さを強調するものだと述べています。さらに...
「認知行動療法」の諸課題(『代替行動の臨床実践ガイド』を読む) 09.06.2025 5:49
提供された文章は、著者が同僚である横光健吾氏の著書「代替行動の臨床実践ガイド」の一部を読んだ感想と考察を述べています。 著者は、認知行動療法の依存症への応用について、特にギャンブルを誘発する「外因」や日常的な「契機」を回避することの重要性に焦点を当てて説明しています。 その原理のシンプルさを認めつつも、人間観の貧弱さや、原因を見出すことの解釈的側面、長期的な視点の必要性など、療法が抱える課題や矛盾に...
〈学び合い〉教育の諸課題 — 西川純(上越教育大)とのやりとりから 09.06.2025 6:10
二つの文書は、「学び合い」教育という教育手法が抱える問題を指摘しています。まず、この教育法が子供の潜在能力や可能性に期待するものの、実際には家庭環境や地域環境といった階層の影響を強く受けている現実を無視していると論じています。さらに、「学び合い」教育は教師の専門性を不要にし、評価を曖昧にする傾向があり、これにより教師は指導者ではなくサポーターとなり、生徒の自主性に依存した結果、操作主義的な学習に偏...
大学は〝自分探し〟の場処ではない 08.06.2025 7:37
この文書は、大学の役割は「自分探し」ではなく、他者の思考や歴史全体を学ぶ場であると主張しています。筆者は、大学での学びは先人の知恵や文化的な資産を受け継ぎ、世界史を再現することであり、それによって初めて真の自由を獲得できると考えます。また、「私」は認識の対象の中にのみ存在し、絶えず外部にはじき出されているという哲学的考察や、「わかる」という行為の矛盾性、そして「ラッキーセブン」や数列の例を通して、...
晶文社版吉本隆明全集月報執筆を依頼されたこと — 恩返しとは何か 08.06.2025 7:14
提供された文章は、吉本隆明という思想家の全集に掲載される月報の執筆を依頼された筆者である芦田宏直氏の喜びと感慨を綴ったものです。筆者は高校時代から吉本隆明の著作に大きな影響を受けてきたことを述べ、その全集月報の執筆は大きな名誉であると感じています。過去に集中的に取り組んだ他の研究時期においても、吉本の著作は手元から離れることがなかったほど、筆者にとってその存在は重要でした。並み居る著名な執筆者の中...
夫婦げんかは犬も食わない 08.06.2025 5:14
著者は、ゴールデンウィーク初日に夫婦喧嘩が勃発した経緯を詳しく綴っています。 学校見学会を終え疲れて帰宅した著者は、簡単な夕食としてステーキを用意しようとしますが、冷凍しておいたステーキが妻に食べられていたことが判明し激怒します。 この出来事から、著者は妻との会話を一切断ち、何も食べずに寝室に閉じこもり、楽しみにしていた ゴールデンウィークが台無しになったと語っています。 妻の病気以来食事が著者の担当...
「少々お待ちください」とは何を意味するのか — 顧客と教育の時間性 08.06.2025 6:53
この文章は、「少々お待ちください」のような曖昧な時間表現が、不確実性から生まれる不安の源泉となることを論じます。特に、顧客対応や人間関係において、待たされる側は結果が見えないため、不安を感じやすいと指摘しています。著者は、この不安を解消するためには、「先読み」や具体的な時間の提示が重要であり、それは相手の立場に立って時間軸を遡行することによって可能になると主張しています。さらに、教育やキャリア形成...
Podcast simili
Replaio non è un editore di podcast; i nomi dei programmi, le copertine e l'audio appartengono ai rispettivi autori e vengono distribuiti tramite feed RSS pubblici