Hironao Ashida

『芦田の毎日』

Society JA ↓ 286 episodi

2000年から書き続けているプログ記事(一部は2009年から始めたFacebookの記事)、あるいは、拙著『書物の時間』(1989年)、『『努力する人間になってはいけない』(2013年)、『シラバス論』(2019年)の一部をGoogleの「音声概要」による解説会話で再編したもの。会話音声上、一部、漢字などが正しく読めていない場合がありますが、お許しください。元記事の再現力は90%くらい。漢字の読み間違いは困りますが、〝理解力〟は〈人間〉よりもまともかもしれません。漢字の読み間違い、内容的な展開などにおいて、うん?と思われた場合などは元記事を参照して下さい。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします。※BLOG『芦田の毎日』のアドレ...

Autore

Hironao Ashida

Categoria

Society

Sito del podcast

podcasters.spotify.com

Ultimo episodio

11 lug 2026

Dove ascoltare?

I podcast nell'app Replaio Radio In arrivo

I podcast stanno per arrivare nell'app. Installala ora e scopri per primo un modo tutto nuovo di vivere i podcast

Scaricala su Google Play Installala gratis Android quasi 10 mln di download · valutazione 4,8 iOS in arrivo

Episodi

蓼科避暑記 — 騒動・テロとの戦い 08.06.2025

この記事は、著者が蓼科の別荘で過ごす夏休みに遭遇した出来事について綴られています。 著者は戸建て住宅に多い虫が苦手で、滞在中に正体不明の生物に悩まされます。 当初は虫だと思っていましたが、最終的にそれはニホンヤマネという天然記念物であることが判明し、その生き物の生態や自身の行動について考察します。 記事は、家族でテレビドラマ『24』を見ながら生物との攻防を繰り広げた体験と、後にヤマネについて調べた情報...

教え子からの10年ぶりのメール 08.06.2025

この文章は、10年以上前に芦田先生の教え子だったNさんが、偶然先生のブログを見つけ、送ったメールです。東京立正女子短期大学でドイツ語と哲学の授業を受けていたNさんは、ブログを読んで当時の先生の口調や授業風景を懐かしく思い出し、メールを送りました。ブログから刺激を受け、「もっと聞きたい、もっと知りたい」という気持ちになったと述べており、これからもブログを読むことを伝えています。多忙な先生への気遣いと、返...

「知的生産の技術」研究会・八木哲郎会長追悼 08.06.2025

この文章は、八木哲郎氏の追悼に代えて書かれたものであり、氏が立ち上げた**「知的生産の技術」研究会と、その根幹にある知識の民主化という思想を中心に描かれています。八木氏は、梅棹忠夫氏の著書に感銘を受け、知識は一部のエリートのものではなく、誰にでも開かれたものであるという考えを広めるべく活動しました。文章では、氏の講演会開催における人脈の広さや、晩年における純粋な知的好奇心**、そしてキリスト教信仰への...

Twitter(現X)の時間性 — mixi、Facebookとの違い、あるいは、ソーシャルメディアとは何か 08.06.2025

著者は、かつてのSNSであるmixiやFacebookは、ユーザーを同じ傾向を持つ人々の集まりである**「村」に囲い込み**、情報が個人に強く紐づけられることで多様性の排除や社会的差別の再認識につながると指摘しています。これに対し、Twitterは「いまどうしてる?」という現在性を重視し、時間単位で情報を並列に扱うため、情報の集約化が進まず、人々の多様な側面や意外な接点を生み出すと論じています。この時間性が、情報の内容より...

賢く捨てる家庭と人生(戸建てを捨てること) 08.06.2025

この記事は、高齢者が郊外の戸建て住宅を改築または新築する行為に異議を唱えています。著者は、加齢による身体的な衰えを考慮すると、段差が多い戸建ては不向きであり、掃除などのメンテナンスも困難になると指摘しています。また、成人した子供と同居している場合でも、過度な世話が娘の自立を妨げる可能性があるとし、むしろ賢く家や家族を「捨てる」こと、すなわち自分の老後や死に備えることの重要性を強調しています。最終的...

iPhone発売当時(2007年〜 2008年)のマルチタッチ革命。 08.06.2025

「iPhone 指操作革命」の抜粋は、iPhone 3Gの初期のユーザー体験を批評的かつ肯定的に論じています。著者は当初、文字入力のもたつきやフリーズといった技術的な欠陥に直面し、ブランド信仰がなければ欠陥品だと感じたことを述べています。しかし、ソフトウェアアップデートによる改善を認めつつも、真の意義はマルチタッチ操作、特に「ピンチアウト」「ピンチイン」「ドラッグ」「フリック」といった直感的な指の操作にあると主張...

古典読解と大学の役割 08.06.2025

この文章は、古典や文献の真の読解には大学における専門的な指導が不可欠であるという考えを提示しています。筆者は自身の経験から、大学の先生がいなければ書物の表面的な理解に留まり、それは単なる「知ったかぶり」に過ぎないと主張しています。文献は読者の知識や経験によって解釈が異なるため、多様なアプローチを映し出す鏡のようなものであり、それゆえに読者を差別する性質を持つとしています。そして、文献に出会い、その...

人間環境大学・環境情報学科は、これまでの〈情報〉教育とどこが異なるのか。 08.06.2025

この文書は、日本の大学における現代の情報教育の現状と課題を論じ、来るべき新しい「環境情報学科」の構想とその特徴について説明しています。特に、既存の情報系学科が古い**「電気通信」時代のカリキュラムに留まっている現状**を指摘し、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズが体現したような、ソフトウェア開発の面白さを伝えられていないと主張します。対照的に、新設される環境情報学科は、プログラミング、WEB技術、データ...

ハイデガー『存在と時間』入門以前(東海大学・霞が関キャンパス講演) 08.06.2025

この資料は、哲学におけるアルケー(始まり)への問いかけから始まり、実体(ousia)と無からの創造(creatio ex nihilo)という二つの伝統的なアプローチを探求しています。続いて、哲学と形而上学の概念の変遷、特に形而上学における「メタ」の意味の変化を詳細に論じています。さらに、神学と存在論の関係性、そしてそれらが時間とどのように結びつくのかを考察しています。最後に、ハイデガーの『存在と時間』の解説を通して、...

ウィニコット論 (good enough mother論)— 大学院の講義から 08.06.2025

この講義資料は、精神分析家のD.W.ウィニコットの理論を中心に、人間の初期発達における**「ほどよい母親(good enough mother)」の役割を論じています。資料では、乳児が主観的な世界から客観的な現実へと移行する過程で、母親の「原初的母性没頭」と、赤ちゃんに寄り添う「抱っこ(holding)」の重要性が強調されます。また、フロイトやラカンといった他の理論家との比較を通じて、ウィニコットの「中間領域(intermediate area...

機能主義、行動主義、サイバネティクス 07.06.2025

この文章は、講演の冒頭部分と、その後に続く「機能主義とは何か」という章からの抜粋です。講演者は、まず**「形而上学」という言葉の由来と、それが本来のアリストテレスの哲学である「プロテ-・フィロソフィア」の主題であった「存在論」を覆い隠してしまった歴史について触れています。次に、講演の主題である「機能主義」について、その起源がパブロフの条件反射論にあり、インプットとアウトプットの関係性のみを重視し、中...

Amazon prime「最強新コンビ決定戦 THEゴールデンコンビ」 — 息子・太郎のAmazon移籍後最初の作品 07.06.2025

ある著者が、息子がAmazon MGM Studiosで初めて手掛けた作品『THEゴールデンコンビ』について語っています。著者はこの番組の収録現場を訪れ、その面白さや観客と出演者・スタッフとの一体感に感銘を受けました。息子との会話を通して、セットの安全性やアナウンサーの選定、豪華な舞台装置のデザインなど、番組制作の裏側について詳細に触れています。また、著者は番組の企画段階で広報の重要性や観客の反応を効果的に取り入れる...

追悼・吉本隆明 —〈像 〉概念の影響について 07.06.2025

筆者は思想家の吉本隆明氏の訃報に触れ、高校時代からの熱心な読書体験を振り返ります。吉本氏の引用の巧みさや独特な文体に強く惹かれたこと、そしてそれが自身の読書や思考の基盤となったことを述べています。また、吉本氏の主要な思想である**「像」の概念や「関係の絶対性」**に言及し、それらが引用の作法や他の著作にも通底していることを指摘しています。さらに、ハイデガー研究に進んだ後も、吉本氏の思想が自身の思考に影...

情状性、死への存在 — 『存在と時間』入門以前 06.06.2025

この論考では、古代ギリシャ哲学におけるウーシア(存在)の概念から、中世ラテン語訳によるessentia(本質)とexistentia(実在)への分裂、そして近代におけるデカルトの主観(Subject)、フッサールの志向性論を経て、ハイデガーの「世界-内-存在」「情状性」「死への存在」といった概念が展開されます。特に、ハイデガーの議論がデカルト的な主観主義や機能主義、関係論といった近代以降の哲学動向といかに異なっているか、そ...

生成AIと大学教育の変奏 06.06.2025

この文書では、生成AIが大学教育にもたらす可能性について論じられています。特に、教員が作成した一つの「書き物」(論文など)から、AIを使って多様な教材や練習問題、試験問題などを無限に生成できる点に焦点が当てられています。著者は、これまで教員が作成に苦労してきた選択問題や、学生の習熟度に応じた個別最適な「訓練」が可能になることで、読解力や基礎学力の向上に繋がると指摘しています。これにより、論文執筆と教育...

「君が代」と形式主義 06.06.2025

複数の文章からなるこのテキストは、都立T高校における国歌斉唱に関する問題に焦点を当てています。筆者は、息子が経験した入学式での「起立・斉唱は強制しない」というアナウンスや、最近の卒業式で生徒が「君が代」問題について意見を表明した出来事に触れ、国家や歴史に対する個人の思想信条と、国歌・国旗という形式の関係性について論じています。筆者は、国歌や国旗は選択するものではなく、形式的に従うべきものであるとい...

「努力と階層 — 哲学と私」(『努力する人間になってはいけない』書評) 06.06.2025

筆者は、芦田宏直氏の著書『努力する人間になってはいけない』の出版記念パーティーに参加し、その後著者と直接話す機会を得た経緯を述べています。パーティーでの著者の講演内容、特に階級格差と教育制度の関係についての考察が、自身の長年の疑問を解消するものであったと語っています。一方で、哲学的な内容の難解さから、現時点ではまだ完全に理解できていない部分があるとし、改めて読書を進めていく意向を示しています。また...

東大大学院の英語授業化について — 作品の国際性とは何か。 06.06.2025

この文章は、日本語で思考し、英語で論文を書いたり授業を行ったりすることについて、著者の考えを述べています。東大の授業の英語化を例に挙げつつ、かつて柄谷行人が英語で論文を書き始めた際の吉本隆明による「本当に国際的な水準なら誰かが訳してくれる」という意見を紹介し、国際的な認知度は必ずしも英語の共通性や内容の普遍性のみに依存しないことを示唆しています。太宰治の作品が多言語に翻訳されていることや、大島渚が...

読書の無方法について — 難しい本を読む方法 06.06.2025

この文章は、難解な本を読むための unconventional なアプローチについて論じています。著者は、多くの人が難しい本を順序通りに理解しようとして挫折する一方で、読める人は「分からない部分を読み飛ばす」勇気を持っていると主張します。文章の全体像を一度に捉えるのではなく、理解できる部分を点としてつなぎ合わせていくことで、徐々に全体が見えてくるという方法を提示しています。また、優れた文学は、始まりも終わりもなく...

〈聴覚〉と子供の〝発達〟 06.06.2025

この文章は、子供の聴覚環境が発達に与える影響について考察しています。具体的には、微細な自然音を聞くことの重要性を強調し、それが言語習得能力や感性、さらには知能の発達に大きく関わるとしています。超高層マンションのような自然音が少ない環境や、窓を閉め切った生活が子供の聴覚能力を阻害し、結果として様々な発達上の問題を招く可能性を指摘しています。筆者の経験談やヘーゲルの芸術論などを引用しながら、聴覚が人間...

息子・太郎の就職活動総括 06.06.2025

この一連のテキストは、就職活動における学生のリアルな葛藤と選択を描いています。筆者は、テレビ局、広告代理店、総合商社といった異なる業界の複数の企業から内定を得た状況で、自身の価値観や将来の目標と真剣に向き合います。それぞれの企業の社風、仕事内容、そしてそこで働く人々と触れ合う中で、筆者の気持ちが揺れ動き、最終的にどの道を選ぶかを深く悩む過程が詳細に綴られています。特に、地元や大学の友人との交流が、...

苅谷剛彦と日本の教育格差 — 『シラバス論』から 06.06.2025

この文章は、苅谷剛彦氏の議論を中心に、戦後の日本における教育格差と学歴主義の変遷について考察しています。特に、形式的な平等を追求してきた教育が、個性の重視や社会の変化によって家庭環境の影響を受けやすくなっている現状を指摘しています。さらに、学習時間の増減に見られるように、学力や教育達成における階層間の不平等が顕在化している可能性や、学校と家庭双方の「リジッド」さが失われつつある状況にも触れています...

学歴主義か、最新学習歴主義か — 『シラバス論』芦田宏直・本間正人対談より 06.06.2025

この文章では、学歴主義と対比される最新学習歴主義について、二人の専門家が議論しています。本間先生は、学位よりも個人の継続的な学びである「最新学習歴」を重視し、いつでもどこでも学べる現代の利便性を強調します。一方、芦田先生は、学校教育の持つ「長い時間」をかけた学びの重要性を主張し、短期的な刺激による「最新学習歴」の効果には限界があると考え、特に若年期の集中的な学習機会が重要であると論じています。議論...

『シラバス論』におけるメタトークの意味について 06.06.2025

この文章は、授業におけるメタトークの重要性を論じています。著者は、シラバスの詳細化がメタ情報の質を高めると考え、教師が「答えを教える」行為自体が終わりではなく、そのメタトークが理解の質を決定すると主張します。また、学生が授業中の教師のメタトークを聴き取り、斜め書きとして記録する行為を、規則や意味が事後的に立ち現れる実践やエロスとして捉え、そこに教師と学生の間の対面的な関係や矛盾が存在することを指摘...

「構成的な話体表出の方法 」(吉本隆明)— 『努力する人間になってはいけない』序文 06.06.2025

著者は自身の著作『努力する人間になってはいけない』のまえがきで、長年「先生」と呼ばれてきた経験を通して、教師が陥りがちな知的停滞について語ります。学生と接することで知識の更新が滞り、研究者との交流や論文作成も自己満足に陥りやすいと指摘し、真の学びは教えることによる自己の刷新にあると主張します。また、ブログを始めた経緯から、ネット時代の公私混同や発言の質の変化に触れ、吉本隆明が論じた**「話体表出の方...

Ascolta il podcast 『芦田の毎日』 su Replaio

Radio e podcast in un'unica app - gratis e senza registrazione. Installala oggi e non perderti il lancio

Scaricala su Google Play

Replaio non è un editore di podcast; i nomi dei programmi, le copertine e l'audio appartengono ai rispettivi autori e vengono distribuiti tramite feed RSS pubblici