RCJメディアミニストリー
リジョイス聖書日課
リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。
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3. nov. 2026
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Episoder
エリによるサムエルへの訓戒(サムエル記上 3章) 17.05.2022
サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。 (サムエル記上3章19節) エリは息子たちが神を汚す行為をしたと知りながら咎めず(13節)、息子たちは主を知ろうとしないならず者になってしまいました(2章12節)。それなのに、主はエリのもとでサムエルが育つようにされました。もっとふさわしい人はなかったのかと思うかもしれません。しかし主は、過去に弱さを見せたエリにサ...
ふさぎ込まず主に注ぎ出し(サムエル記上 1章) 16.05.2022
「わたしは深い悩みをもった女です。…ただ、主の御前に心からの願いを注ぎ出しておりました。」 (サムエル記上1章15節) エルカナとその家族は、毎年シロの神殿に行き、主を礼拝していました。ハンナはその度にペニナから子どものないことを責められ、苦しみを一人抱えてふさぎ込んでいました(8節)。 しかしあるとき、ハンナは神殿に行って祈りました。心に抱えた多くの訴えや苦しみを主の御前にすべて注ぎ出しました(15、16節)...
人間を豊かにする主の祝福(箴言 10-13章) 15.05.2022
人間を豊かにするのは主の祝福である。 人間が苦労しても何も加えることはできない。 (箴言10章22節) 人が豊かにされるのは主の祝福によっている。この事実を箴言は単純に述べます。人は自分の幸いを求めますが、主に求めずにいてはまことの幸いも祝福もありません。「主御自身が建ててくださるのでなければ、家を建てる人の労苦はむなしい」のです(詩127編1節)。 主が人を豊かに富ませ、祝福されることもあります(創24章35節)...
神の御前に忠実な者の幸い(ルツ記 2-4章) 14.05.2022
「どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたを十分に報いてくださるように。」 (ルツ記2章12節) 人を用いて伝道なさる神は、同じく人を通して、神に対して忠実な者に幸いの歩みをお与えくださいます。ルツにとって、それはボアズの存在でした。ユダヤでの新生活、ゼロからとも言える生活は、律法によって許されていた「落ち穂拾い」から始まります。その落ち...
ルツの信仰を通して(ルツ記 1章) 13.05.2022
「あなたの民はわたしの民 あなたの神はわたしの神。」 (ルツ記1章16節) ルツにとって、神を知るきっかけとなったのは義母ナオミの存在でした。ナオミとの約十年にわたる生活の中で、ルツには神を信じる信仰が芽生え育っていました。その結実した信仰告白の言葉こそ、上記の16節の御言葉です。 神は、まるで一本釣りのように、一人びとりを召し出して信仰へと導かれます。その神は、同時に、人や家族の交わりを用いて伝道され、新...
キリスト者の自由の恵み(ガラテヤの信徒への手紙 5-6章) 12.05.2022
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。 (ガラテヤの信徒への手紙5章13節) 私たちは、自由というと自分の思いどおりに振る舞うことと考えます。そうした生き方は一歩間違えると放縦に陥り、私たちを罪の奴隷にしてしまいます。 パウロは、キリストに贖われた者は罪の奴隷に舞い戻ってはならないと言います。彼は、「この自由...
もはや奴隷ではなく神の子に(ガラテヤの信徒への手紙 3-4章) 11.05.2022
それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。 (ガラテヤの信徒への手紙4章5節) パウロは、イエス・キリストが来られるまで、私たちは律法の支配下にあったと言います。律法は私たちにするべきことを教えますが、それを行う力は与えません。むしろ律法は私たちの罪過を明らかにして、私たちを断罪するばかりでした。私たちはこの律法の下で罪人として苦しみ呻くよりほかありませんでした。...
キリストがわたしのうちに(ガラテヤの信徒への手紙 2章) 10.05.2022
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。 (ガラテヤの信徒への手紙2章20節) 宗教改革者マルティン・ルターは、律法の行いによる義という考え方がわたしの骨の中に入り込んでいる、と言いました。信仰による義が宣べ伝えられても、行いによる義に引き戻されてしまうことがあるからです。 しかし、パウロは、律法の実行によってはだれ一人として義とされないとして、断固として「...
教会のために苦悩する伝道者(ガラテヤの信徒への手紙 1章) 09.05.2022
あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。 (ガラテヤの信徒への手紙1章6節) ガラテヤの信徒への手紙はその論調の激しさから「戦いの手紙」と呼ばれてきました。この手紙から浮かび上がってくるのは、教会のために苦悩する一人の伝道者の姿です。 ガラテヤの教会はパウロが開拓した教会です。彼が一人びとり福音を伝え、キリストの恵みへと招きました。そして、...
わたしは幸いを説いている(箴言 4-9章) 08.05.2022
子らよ、父の諭しを聞け 分別をわきまえるために、耳を傾けよ。 わたしは幸いを説いているのだ。 わたしの教えを捨ててはならない。 (箴言4章1節~2節) 新共同訳聖書はここに「父の諭し」という見出しをつけています。父親に限らず、親としてあるいは大人として子どもたちに諭しを与えるのは簡単ではありません。自分の内に確かな人生観や世界観がなければ、どうして子どもたちにこの世や人生について教えられるでしょうか。 この...
この世の希望キリストを仰ぐ(士師記 19-21章) 07.05.2022
「我々のうち誰が最初に上って行ってベニヤミンと戦うべきでしょうか。」主は、「ユダが最初だ」と言われた。 (士師記20章18節) 17章以降は士師の時代に起こった出来事として、嗣業の地を得ていなかったダン族の横行、ベニヤミン族の暴行事件、そのベニヤミン族への制裁、ベニヤミン族が絶滅寸前に至る等、悲惨な出来事が語られます。 ベニヤミン族の暴行事件に対して、他のイスラエル諸部族が立ち上がったとき、真っ先に戦いを挑...
不従順でもお見捨てにならない神(士師記 13-16章) 06.05.2022
サムソンは主に祈って言った。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください。」 (士師記16章28節) サムソンは怪力自慢の士師でした。イスラエルがペリシテ人の支配に苦しめられているとき、サムソンはその力を振るってイスラエルを救いました。しかし、そのサムソンも士師でありながら聖人風の人ではなく、むしろ神への信仰にあぐらをかくような人物でした。サムソンは生まれる前からナジル人としてささげられていましたが...
求めるは誓いではなく信頼のみ(士師記 10-12章) 05.05.2022
主の霊がエフタに臨んだ。彼はギレアドとマナセを通り、更にギレアドのミツパを通り、ギレアドのミツパからアンモン人に向かって兵を進めた。 (士師記11章29節) 神がイスラエルの人びとへ士師を遣わすと、その士師の統治がなされている時代は平和が訪れました。しかし、時代を経るごとに、その士師でさえも、だんだんと神の思いを踏みにじるようになっていきます。 ギレアド人エフタはならず者たちの頭領でしたが、その猛々しさが...
主が共にこれだけで十分です(士師記 6-7章) 04.05.2022
主の御使いは彼に現れて言った。「勇者よ、主はあなたと共におられます。」 (士師記6章12節) イスラエルは主の目に悪とされることを行い、その裁きとしてミディアン人の脅威にさらされます。そこで神に向かって助けを叫び求めた結果、神は士師ギデオンを召し出し、イスラエルへ遣わします。主の御使いから「勇者」と呼ばれるほどの人物ですから、これは期待に胸が膨らみます。ところが、ギデオンは予想に反して臆病者でした。自分...
真の幸せはただ神からやってくる(士師記 3章) 03.05.2022
イスラエルの人々が主に助けを求めて叫んだので、主はイスラエルの人々のために一人の救助者を立て、彼らを救われた。 (士師記3章9節) イスラエルの人びとはカナン侵入後、神の命令に従わず、カナン人を滅ぼさず、その地を征服しませんでした。カナン人の豊かな生活を取り入れた方がより幸せな人生を送ることができると考えたのでしょう。だから、カナン人との共存の道を選び、彼らの技術を習い、彼らの信仰を受けいれました。イス...
あなたの神主を固く信頼せよ(士師記 1-2章) 02.05.2022
イスラエルの人々は主の目に悪とされることを行い、バアルに仕えるものとなった。 (士師記2章11節) 約束の地カナンへ侵入したイスラエルの人びとでしたが、神の命令を果たさず、約束の地を征服しませんでした。ヨシュアとその世代が絶えると、イスラエルは神の約束(ヨシュ23章4、5節)を忘れて生きるようになります。そしてカナン人を滅ぼすことなく、むしろ共存する道を選びました。 現代人の感覚では、偶像的なものを滅ぼし尽く...
首に結び心の中の板に書き記せ(箴言 1-3章) 01.05.2022
慈しみとまことがあなたを離れないようにせよ。 それらを首に結び 心の中の板に書き記すがよい。 (箴言3章3節) 「慈しみとまこと」は、主なる神のご性質そのものであり(出エ34章6節)、主が民に施してくださる素晴らしい恵みでもあります。それらが自分から離れないようにするためには、常に主を仰ぎ、御言葉に聞きつつ祈りつつ歩むしかありません。 そのため、首に結び、心の板に書き記すがよい、と命じられています。モーセが律...
わたしはあなたが必要なのです(マルコによる福音書 11章) 30.04.2022
「『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」 (マルコによる福音書11章3節) 主イエスの御生涯で最も大事な十字架を目指すため、エルサレムへと向かわれる時です。その時に、ある人の子ロバを必要とされました。弟子たちがそのロバを見つけて連れてこようとすると、「何でうちのロバを連れて行くのですか?」とロバの主人は止めました。けれども、「主イエスが必要なのです」と言ったら、持ち主はその...
自分を捨ててわたしに従って来なさい(マルコによる福音書 10章) 29.04.2022
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「…そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 (マルコによる福音書10章21節) 私たちは、神に自分が受け入れられていることを知るまでは、自分自身を守ろうとして、なかなか心を開きません。ここに出てくる金持ちの青年も同様でした。律法を守ろうとし、むしろ、そんな自分を誇っていました。しかし、自分を神の前で謙遜にして、幼子のように素直な心で神の国...
エッファタ耳と舌を神の器に(マルコによる福音書 7章) 28.04.2022
そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。 (マルコによる福音書7章33節) 耳が聞こえず舌の回らない人は、自分で主イエスのもとにやって来たわけではありません。周りの人びとが、彼をイエスのもとに連れてきました。周りの人びとの熱い思い、祈りです。その人びとの思いを、主イエスはしっかり受けとめてくださいました。 ここで癒された順序を覚えたい...
私たちを深く憐れまれる主イエス(マルコによる福音書 6章) 27.04.2022
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。 (マルコによる福音書6章34節) イエスは大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様をご覧になり、「深く憐れまれた」とあります。この「深く憐れまれた」という言葉は「思いやりのこころでいっぱいになる、深い同情を寄せる」という意味です。もともとこの言葉は内臓を意味する言葉に由来し、「はらわたを揺...
たとえで神の国を語る主イエス(マルコによる福音書 4章) 26.04.2022
良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は30倍、ある者は60倍、ある者は100倍の実を結ぶのである。 (マルコによる福音書4章20節) 主イエスは大勢の群衆を前に、たとえによって多くのことを語ります。主イエスは自分が語る神の言葉を聞く人の心の状態を、道ばた、岩地、いばらの中、良い地に落ちた種のたとえで示しました。たとえの意味は弟子たちにだけ明かされ、聞く耳のある者は聞くようにと...
キリストこそ神からの喜びの知らせ(マルコによる福音書 1章) 25.04.2022
神の子イエス・キリストの福音の初め。 (マルコによる福音書1章1節) 「福音」という言葉には豊かなたくさんの意味があります。(人間にとっていろいろな福音があるでしょう。)しかし、本当の福音はただひとつであり、神から人びとへの救いの喜ばしい知らせのメッセージなのです。ナザレ人イエスがキリストであり神の御子でもある、ということです。 福音書の目的は、キリストの福音、喜ばしきメッセージについて人びとに語り伝え...
正しく悩むすべを身に着ける(詩編 84編) 24.04.2022
いかに幸いなことでしょう あなたによって勇気を出し 心に広い道を見ている人は。 (詩編84編6節) コラの子の詩と言われています。そうであれば彼らは、主なる神に反抗した父たちの恐ろしい最後を目撃しています(民数記16章)。大地に飲み込まれ、火に焼かれたのです。嘆きの谷、死の陰の谷です。 それだけに、詩人は魂がやつれてしまうほど、主の庭で過ごす一日、つまり主日礼拝の恵みを慕い求めます。 主を求める人にも、「まさ...
わたしとわたしの家は主に仕える(ヨシュア記 23-24章) 23.04.2022
「…アモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」 (ヨシュア記24章15節) 23章、24章にはヨシュアの告別説教が語られています。そこで、ヨシュアはただ主の言葉を一方的に語っただけではなく、主に対する信仰の決断を民に求めました。 主は私たちの自由な意志を無視して、信仰を強制なさる方ではありません。たとえ自分の周りのすべての人が主を信じなくても、...
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