RCJメディアミニストリー

リジョイス聖書日課

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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Nov 3, 2026

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Episodes

偽りの神ではなく(アモス書 2章) 24.09.2020

主はこう言われる。 ユダの三つの罪、四つの罪のゆえに わたしは決して赦さない。 彼らが主の教えを拒み その掟を守らず 先祖も後を追った偽りの神によって 惑わされたからだ。 (アモス書2章4節) アモスは北のイスラエル王国に向かって主の御言葉を取り次ぐために召されましたが、出身地のユダに対しても御言葉を告げて指摘します。 神の民が偽りの空しい神に惑わされることは、聖書のいたるところに記されています。 パウロは言い...

テコアの牧者アモス(アモス書 1章) 23.09.2020

テコアの牧者の一人であったアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の2年前に、イスラエルについて示されたものである。 (アモス書1章1節) テコアとは、ベツレヘムの南10キロほどのところにあるユダの地域です。ユダ出身のアモスですが、北のイスラエル王国についての主の御言葉をおもに取り次ぎます。もちろん、南のユダ王国についての主の御言葉も取り次ぎます。 「ユダの...

神の忍耐の時(ペトロの手紙二 3章) 22.09.2020

ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。 (ペトロの手紙二3章9節) 世の終わりの時はいつ来るのでしょうか。「遅い」とは、「義の宿る新しい天と地とを、神の約束に従って待ち望んで」いればこそ(13節)、「遅い」と言いたくなるのです。 しかし、「終わりの時には、欲...

滅亡の奴隷か主の奴隷か(ペトロの手紙二 2章) 21.09.2020

わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知って世の汚れから逃れても、それに再び巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような者たちの後の状態は、前よりずっと悪くなります。 (ペトロの手紙二2章20節) 「わたしたちの主、救い主イエス・キリストを深く知」るならば、「世の汚れ」から逃れることができます。世の汚れは私たちの目には何ものにも勝って強い力を持つように見えることもあります。しかし、救い主を深く知るな...

キリストの真実のゆえに(マタイによる福音書 18章15-20節) 20.09.2020

「はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。…二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」 (マタイによる福音書18章18節、20節) 私たちに与えられている権威の途方も無さに驚かされます。神の国の扉を開いたり、閉じたりする権威が与えられています。果たして誰が、このような権威を担うことができる...

永遠の御国にふさわしく(ペトロの手紙二 1章) 19.09.2020

わたしは、自分がこの体を仮の宿としている間、あなたがたにこれらのことを思い出させて、奮起させるべきだと考えています。わたしたちの主イエス・キリストが示してくださったように、自分がこの仮の宿を間もなく離れなければならないことを、わたしはよく承知しているからです。 (ペトロの手紙二1章13節~14節) ペトロは、自分がこの世に生きていることを、「この体を仮の宿としている」と言いました。「仮の」宿ということは、...

神の裁きと希望(エレミヤ書 52章) 18.09.2020

ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。 (エレミヤ書52章33節) エレミヤ書の最後となる52章には、これまで彼が語ってきた預言が実現する様子が描かれています。エルサレムとユダは「主の目に悪とされることをことごとく行った」罪のゆえに、「ついにその御前から投げ捨てられることになった」(2、3節)。主の神殿も王宮も民の家屋もすべて焼き払われ、都の城壁も取り壊されました...

その中から出よ(エレミヤ書 51章) 17.09.2020

わが民よ、その中から出よ。 おのおの自分の命を救え 主の激しい怒りを逃れて。 (エレミヤ書51章45節) バビロンは、繁栄と豊かさを誇り、エルサレムと神殿を滅ぼしました(王下25章)。その罪に対して神は報復されます。「わたしはバビロンに外敵を送る」(2節)。神は、かつて諸国を裁くためにバビロンを神の鎚、武器として用いられました(20節)。イスラエルとユダは、神に背いて捕囚となりましたが、神に見捨てられてはいませ...

神の民の回復(エレミヤ書 50章) 16.09.2020

イスラエルは獅子に追われてちりぢりになった羊。…今、わたしはバビロンの王とその国を罰する。そして、イスラエルを元の牧場に連れ戻す。… その日、その時には、と主は言われる。イスラエルの咎を探しても見当たらず、ユダの罪も見いだされない。わたしが、生き残らせる人々の罪を赦すからである。 (エレミヤ書50章17節~20節) イスラエルを苦しめた国々の中でも決定的な打撃を与えたのはバビロンです。しかし、そのバビロンも神...

誇るべき知恵(エレミヤ書 49章) 15.09.2020

エドムに向かって 万軍の主はこう言われる。 テマンには、もはや知恵がないのか 知者たちの策略は尽きたのか 彼らの知恵は消えうせたのか。 (エレミヤ書49章7節) アンモン人、エドム、ダマスコ、ケダルとハツォル、エラムについての主の審判の預言が語られます。 エドムは、イスラエルの先祖ヤコブの兄エサウの子孫であり、モアブの南方に住んでいました。イスラエルがカナンに入国する際には、彼らに戦いを挑んではならないと命じ...

高ぶりの末に(エレミヤ書 48章) 14.09.2020

それゆえ、見よ、と主は言われる。 傾ける者をモアブに遣わす日が来る。 彼らはモアブを傾け 器から注ぎ出し、壺を砕く。 (エレミヤ書48章12節) エジプト、ペリシテ人に続いて、死海の東海岸に住むモアブ人についての預言が語られます。モアブは、これまで外敵に攻められたことがなく、平穏でした。そこで彼らは「自分の業と富」を誇り(7節)、主に向かって高ぶり(42節)、守護神ケモシュに依り頼んだ結果、神の裁きを受けること...

キリストの命によって(マタイによる福音書 16章21-28節) 13.09.2020

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」 (マタイによる福音書16章24節~26節) キリストがわたしのために命を捨ててくださいました。キリストは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(...

主が剣に命じて(エレミヤ書 47章) 12.09.2020

ペリシテ人をすべて滅ぼす日が来る。 ティルスとシドンは最後の援軍も断たれる。 主がペリシテ人を滅ぼされる カフトルの島の残りの者まで。 (エレミヤ書47章4節) 神は、イスラエルの長年の宿敵であるペリシテ人に対して裁きを下されます。ペリシテ人の罪は、ただイスラエルに敵対していただけではなく、主の忌み嫌う偶像礼拝、異教の慣習による悪影響を長年にわたって与え続けたというところにあります。 主の裁きの剣として、「...

主による懲らしめと回復(エレミヤ書 46章) 11.09.2020

万軍の主、イスラエルの神は言われた。 「見よ、わたしはテーベの神アモンを罰する。またファラオとエジプト、その神々と王たち、ファラオと彼に頼る者を罰する。」 (エレミヤ書46章25節) 46章以下は、エルサレムの崩壊と南ユダの滅亡、バビロン捕囚に伴う諸外国に対する神の審判の預言です。 「諸国民に対する主の言葉」は、まずエジプトに向けて語られます。エジプトのファラオ・ネコはエルサレムにいたユダの王を幽閉し、代わり...

義のために迫害される人々は、幸いである(マタイによる福音書 5章10節) 10.09.2020

「義のために迫害される人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。」 (マタイによる福音書5章10節) 「迫害」という言葉で殉教を思い浮かべて、遠いことのように感じるかもしれません。けれども、日曜日に仕事を命じられ、遊びに誘われ、それらを断るたびにいやな顔をされ、私たちの神経はすり減ります。私たちの置かれている社会は、正しいことを曲げることなく貫こうとする人を厄介者扱いする世界です。それゆえ、神...

平和を実現する人々は、幸いである(マタイによる福音書 5章9節) 09.09.2020

「平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる。」 (マタイによる福音書5章9節) 主イエスの時代、「神の子」と呼ばれる人物がいました。ローマ皇帝アウグストゥスです。ローマ帝国の礎を築いた「神君カエサル」の子ですから、まさに神の子です。当時、アウグストゥスによってローマに平和な時代が来たと言われていました。しかし、その平和は数多くの戦争の末の平和であり、武力によって勝ち取られた平和に...

心の清い人々は、幸いである(マタイによる福音書 5章8節) 08.09.2020

「心の清い人々は、幸いである、 その人たちは神を見る。」 (マタイによる福音書5章8節) 「清い」とは、よごれがなく、混じりけのないことです。「心の清い」とは、純粋さを妨げるような混じりものが心の中にないということです。 主イエスは、「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい」とおっしゃって、濁りのない、澄んだ目を求められました(マタ6章22節)。真理を真っ直ぐに見つめる濁りのない目を...

憐れみ深い人々は、幸いである(マタイによる福音書 5章7節) 07.09.2020

「憐れみ深い人々は、幸いである、 その人たちは憐れみを受ける。」 (マタイによる福音書5章7節) 詩編が「主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみは大きい」(103編8節)と語る通り、主なる神こそ憐れみ深いお方です。その憐れみは御子イエス・キリストにおいて示されました。主イエスが両手を大きく広げて十字架につけられたように、御父は両手を大きく広げて、神に背いていた私たちを迎え入れてくださいます。神の憐れみ...

キリストこそ救い主(マタイによる福音書 16章13-20節) 06.09.2020

シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。 (マタイによる福音書16章16節) イエス・キリストを何者だと言い表すのでしょうか。このことはまさに、私たちの生死を分ける重大な問題です。キリストのことをどれほど偉大な人物であると言い表したとしても、それだけではわたしの救いとはなりません。なぜなら、優れた人なら世の中にいくらでもいるからです。キリストをそれらの人びとと同列に並べて、優れた人...

義に飢え渇く人々は、幸いである(マタイによる福音書 5章6節) 05.09.2020

「義に飢え渇く人々は、幸いである、 その人たちは満たされる。」 (マタイによる福音書5章6節) 「義」とは「正しい、正義」ということですが、ここでは「秩序」と言い換えて理解するとよいでしょう。それも、正しい秩序、神の秩序です。 秩序など面倒だと思うかもしれません。けれども、1キロの重さであれば誰がいつ計っても変わらないという秩序が必要です。あの人には少し増やして1キロ、この人には少し減らして1キロなどとなる...

柔和な人々は、幸いである(マタイによる福音書 5章5節) 04.09.2020

「柔和な人々は、幸いである、 その人たちは地を受け継ぐ。 (マタイによる福音書5章5節) 柔和な人々が幸いであるとは、「貧しい」「悲しむ」と違って、多少は受け止めやすいかもしれません。けれども、柔和であるためには耐え忍ぶことが求められます。競争社会の中で、人に押しのけられ、さまざまな不条理を経験して、はたして私たちは柔和であれるのでしょうか。 聖書が語る「柔和」とは、私たち自身の性質や性格から来るものでは...

悲しむ人々は、幸いである(マタイによる福音書 5章4節) 03.09.2020

「悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる。」 (マタイによる福音書5章4節) 悲しみなどないほうがよい、喜んでいたいと、誰でも思うものでしょう。これも、いったいなぜなのかと思わせられる、不思議な言葉です。 一つには、悲しみを経験してこそ分かることがあるということでしょう。たとえば、悲しみを通して友情や愛情の大切さに気づかされ、人は一人で生きるのではないと教えられます。悲しみによって人は成長させ...

心の貧しい人々は、幸いである(マタイによる福音書 5章3節) 02.09.2020

「心の貧しい人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである。」 (マタイによる福音書5章3節) 「幸いなるかな!」と翻訳できる文章です。腰を下ろして語る(1節)ことが当時の教師の正式なスタイルだったため、「山上の説教」は主イエスの公式説教集だと言われます。その冒頭で「幸いなるかな」と繰り返されるとは、主イエスが今も「幸いなるかな」と私たちに語り続けてくださっているということです。 「貧しい」とは、誰...

バルクへの慰めの言葉(エレミヤ書 45章) 01.09.2020

「あなたは自分に何か大きなことを期待しているのか。そのような期待を抱いてはならない。なぜなら、わたしは生けるものすべてに災いをくだそうとしているからだ、と主は言われる。ただ、あなたの命だけは、どこへ行っても守り、あなたに与える。」 (エレミヤ書45章5節) バルクは、エレミヤの口述筆記者として、主の言葉を巻物に忠実に書き記しました。神の裁きの預言を拒んだユダの王ヨヤキムがその巻物を焼いてしまったときにも...

エジプトから廃虚を顧みるとき(エレミヤ書 44章) 31.08.2020

しかし、彼らは聞かず、耳を傾けず、悪を改めず、異教の神々に香をたくことをやめなかった。そこでわたしの怒りと憤りがお前たちにふりかかり、ユダの町々とエルサレムの巷で燃え上がったので、今日のように荒れ果てて廃虚と化した。 (エレミヤ書44章5節~6節) エレミヤのエジプトでの最後の預言です。占領軍として駐留していたカルデア人を打ち殺したため、バビロン王の復讐を恐れて、人びとはエジプトに逃亡しました。バビロンに...

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