RCJメディアミニストリー
リジョイス聖書日課
リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。
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Episodes
わたしの魂よ神を待ち望め(詩編 43編) 10.02.2024
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ なぜ呻くのか。 神を待ち望め。 (詩編43編5節) 私たちの魂を本当にうるおすことができる方は、まことの神以外にありません。私たちは、誰しも自分の魂をうるおしてくださるまことの神を探し求めながら生きているのではないでしょうか。人間が持っている苦しみがさまざまにあったとしても、苦しみの根源は、まことの神が共にいないということにあるのではないでしょうか。 ですから、人間は誰しも...
闇の中でも主の僕に聞き従う(イザヤ書 50章) 09.02.2024
お前たちのうちにいるであろうか 主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。 闇の中を歩くときも、光のないときも 主の御名に信頼…する者が。 (イザヤ書50章10節) 神の民が捕囚という憂き目にあったのは、罪に対する神の裁きによります。しかし、なおイスラエルの民は自らの罪に向き合おうとしません。主は言われます。「お前たちの罪によってお前たちは売り渡され」たのだと(1節)。さらに神の呼びかけにも答えようとしません。「何...
神の光救いは地の果てまで(イザヤ書 49章) 08.02.2024
わたしはあなたを国々の光とし わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。 (イザヤ書49章6節) イザヤ書には、バビロン捕囚からの解放と神の民の回復の希望が記されています。神の民は、確かに一時は裁きを受けなければなりませんでした。その中にあって、「主はわたしを見捨てられた、わたしの主はわたしを忘れられた」(14節)という思いにかられます。しかし、神は決して見捨てることなく、神の民を回復してくださるのです...
主があなたを罪から贖った(イザヤ書 48章) 07.02.2024
あなたを贖う主はこう言われる。 わたしは主、あなたの神 わたしはあなたを教えて力をもたせ あなたを導いて道を行かせる。 (イザヤ書48章17節) かつてイスラエルの民は、出エジプトという、神の大きな恵みの御業を経験しました。その出来事でさえ、金の子牛事件のように(出32章)、偶像のおかげだとする愚かさを、神の民は示してしまいました。 このとき、神の民はバビロン捕囚の状態にありました。それも偶像礼拝に対する神の罰...
人を救う神の知恵キリスト(イザヤ書 47章) 06.02.2024
お前の知恵と知識がお前を誤らせ お前は心に言っていた わたしだけ わたしのほかにはだれもいない、と。 (イザヤ書47章10節) 信のユダの民を懲らしめるため、神はバビロンを用いられました。あくまでバビロンは、懲らしめの道具として、神の御計画の中で用いられたに過ぎません。ところが、バビロンはあまりに残虐で、ユダの民に「憐れみをかけず、老人にも軛を負わせ、甚だしく重くし」ました(6節)。また、傲慢になり、「わたし...
担い背負い救い出す神(イザヤ書 46章) 05.02.2024
同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう。 わたしはあなたたちを造った。 わたしが担い、背負い、救い出す。 (イザヤ書46章4節) 背信の罪のために、イスラエルの民は、バビロン捕囚の憂き目にあっています。バビロンの地は、偶像が満ちています。新年ごとに偶像の神々が担がれて、行列になって行進する行事もあったようです。偶像は動物や人に担がれ、担われて移動します。もちろん、自ら動...
神と過ごす時間を取り分ける(マルコによる福音書 1章29-39節) 04.02.2024
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。 (マルコによる福音書1章35節) 私たちにとって祈りとはどのようなものでしょうか。主なる神に罪を告白し、憐れみへの感謝と自分の願いを伝える、神との交わりの大切な時間であるとわたしは考えます。しかし、祈りが大切なものと考えていながらも、しばしば祈りの時間を十分に取り分けることができないことがあります。 きょうの箇所で、主イ...
主なる神の善き計画は変わらない(イザヤ書 45章) 03.02.2024
わたしは自分にかけて誓う。 わたしの口から恵みの言葉が出されたならば その言葉は決して取り消されない。 (イザヤ書45章23節) 人は自分よりも大きなものにかけて誓います。しかし、神は御自身以上に偉大な存在がないので、御自身にかけて誓われます。神がきょう、誓われるのは、私たちから恵みを取り去らないということです。神の口から恵みの言葉が出てきます。その恵みが取り消されることはありません。 主なる神においては、...
大きな犠牲をいとわずに(イザヤ書 44章) 02.02.2024
わたしはあなたの背きを雲のように 罪を霧のように吹き払った。 わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。 (イザヤ書44章22節) 明らかにイスラエルは罪を犯しました。空しい偶像を造り、それに頼ることさえしました。神に創られた人間は神を求めます。しかし、神を正しくあがめることができず、神ならぬ物を作ってしまいます。 イスラエルに限らず、誰もが罪を持っています。しかし、神は罪を雲や霧のように吹き払うと言われま...
わたしのことを知られる神の贖い(イザヤ書 43章) 01.02.2024
ヤコブよ、あなたを創造された主は … 今、こう言われる。 恐れるな、わたしはあなたを贖う。 あなたはわたしのもの。 わたしはあなたの名を呼ぶ。 (イザヤ書43章1節) 神は世界の創造主です。この方が、「ヤコブよ」「イスラエルよ」と特にイスラエルだけを名指しで呼ばれます。神がイスラエルを特別に選び出しておられるのが分かります。 創造主である方は、贖い主でもあられます。「わたしはあなたを贖う」と宣言されるのは、イス...
そのままに彼はわたしを受け止める(イザヤ書 42章) 31.01.2024
彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。 傷ついた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく 裁きを導き出して、確かなものとする。 (イザヤ書42章2節~3節 ) 神から遣わされた僕は叫びをあげません。この人は自分が顧みられることを求めず、静かに神を指し示します。なぜでしょうか。不当な裁きを受けているにもかかわらず。 彼は強く自己主張をしません。自分が立つよりも、弱くされている者を立ち上がらせるこ...
無に等しき者に親しく神は呼びかける(イザヤ書 41章) 30.01.2024
あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神 主は言われる。 恐れるな、虫けらのようなヤコブよ イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。 (イザヤ書41章14節) 「わたしがあなたの神である」と、主が名乗りを挙げておられます。神とわたしとが向かい合わされています。イスラエルを安心させるために、繰り返し「わたしだ、恐れることはない」と言われます。 神は聖なる贖い主です。神の力と権威の絶大なことを心に留めましょう。片...
主なる神の慰めは驚くほど(イザヤ書 40章) 29.01.2024
エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。 罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた、と。 (イザヤ書40章2節) 神が語りかけておられます。「わたしの民」と呼んでくださいます。神の言葉を聞きながらも、何度も従わなかったのです。それなのに神はなおも、「わたしの民」と呼んでくださるのです。神は、私たちに対して失望なさらないようです。 神はイスラエルの現状を知って...
キリストの権威ある言葉に立つ(コリントの信徒への手紙一 1章21-28節) 28.01.2024
人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 (コリントの信徒への手紙一1章27節) カファルナウムの会堂に、悪霊に取りつかれている男がいました。彼はキリストを見ると、「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と叫びました(24節)。キリストが悪霊に対して「黙れ。こ...
命の神にわたしの魂は渇く(詩編 42編) 27.01.2024
神に、命の神に、わたしの魂は渇く。 いつ御前に出て 神の御顔を仰ぐことができるのか。 (詩編42編3節) 人間は、本来、造り主である神と共に生き、神を礼拝するものとして造られました。ですから、人間は、神と共にいて神を礼拝し続けなければ、本当に人間らしく生きていくことはできません。 もし人間が神を無視して自分勝手に生きていくならば、涸れた谷で、鹿が水を求めてさ迷い歩くような魂の渇いた状態に陥ってしまいます。魂...
聖書的で健全な献金の方法(コリントの信徒への手紙一 16章) 26.01.2024
…週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。 (コリントの信徒への手紙一16章2節) 聖書的で健全な献金の方法を確認しておきましょう。 まずおぼえたいのは、主なる神は、天地を造り、今もすべての所有者であられることです。私たちは、神からあらゆるものをお預かりしているだけですから、お返しする必要があります。また、天の父が、私たち罪人の救いのために、御子イエス・キリストを...
十字架神の恵みの現れ(コリントの信徒への手紙一 15章) 25.01.2024
神の恵みによって今日のわたしがあるのです。…しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。 (コリントの信徒への手紙一15章10節) 10節に「神の恵み」という表現が3回使われています。動詞の「恵む」を国語辞書で引くと、「情けをかける。かわいそうに思って、金や物を与える」(新明解)とあります。また、この辞書には「表記」として「『恤む』とも書く」とあります。漢字研究者の白川静博士の編...
「イエスは主である」との預言に生きる(コリントの信徒への手紙一 14章) 24.01.2024
愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。 (コリントの信徒への手紙一14章1節) 主イエスは最高の預言者です。キリスト者は、最高の預言者イエスに聖霊により結ばれて、小さな預言者とされています。そして、主日の礼拝毎に、その1週に生きるべき預言である聖書の御言葉を与えられ、預言に生きるための賜物、何より聖霊を注がれて、主イエスによってこの世のさまざまな領域に派遣されます。 そ...
主イエスにこそある愛を追い求めよう(コリントの信徒への手紙一 13章) 23.01.2024
愛は忍耐強い。愛は情け深い。…すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 (コリントの信徒への手紙一13章4節~7節) きょうの聖句で最も中心となるのは、4節の前半です。「愛は忍耐強い。愛は情け深い」。原文では「忍耐強い」と「情け深い」とが「愛」で挟まれています。7節の「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」も、「忍」ぶで始まり、「耐える」で終わっています。つまり、愛は、...
イエスを主と告白できるのは(コリントの信徒への手紙一 12章) 22.01.2024
…また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。 (コリントの信徒への手紙一12章3節) 12章を読むと、わたしはかつての罪深い自分の姿を想い起こします。悪霊に「誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれ」ていたことを、です(2節)。しかし、悪霊の配下にあった罪深いわたしが悔い改めて「イエスは主である」と告白できたのは、ひとえに永遠の神であられる聖霊の働きによることでし...
福音の言葉で満たされ遣わされる(マルコによる福音書 1章14-20節) 21.01.2024
イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。 (マルコによる福音書1章17節~18節) キリストは、シモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になりました。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われると、二人はすぐに網を捨てて従いました。人間をとる漁師、すなわち悔い改めの福音を宣教する者(14、15節)への召しに対して、二人は...
弱いものに思いやりのある人(コリントの信徒への手紙一 41編) 20.01.2024
いかに幸いなことでしょう 弱いものに思いやりのある人は。 (コリントの信徒への手紙一41編2節) 私たちは、この世界では、「強いもの」がたくさんの利益を得て、「弱いもの」が損をしているように思える時があります。もし「弱いもの」が損をする世界であれば、「弱いもの」は、最終的に見捨てられ、「強いもの」だけが生き残っていきます。生き残りたければ、「強いもの」になって、自分の力で生きる道を勝ち取っていかなければな...
わたしの記念として行いなさい(コリントの信徒への手紙一 11章) 19.01.2024
感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 (コリントの信徒への手紙一11章24節) 11章1節で、「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」と言われます。これはパウロが自分を誇って言うのではありません。自分の弱さを認めて神の憐れみを切実に求めるパウロのように、聖霊に導かれて...
逃れる道をも備えられる真実な神(コリントの信徒への手紙一 10章) 18.01.2024
神は…あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。 (コリントの信徒への手紙一10章13節) 神は、エジプトで奴隷として虐げられていたイスラエルの民を救うためにモーセを遣わし、エジプトに十の災いを下して、民をエジプトから救い出されました。しかし、エジプトから救われた民は、すぐには乳と蜜の流れる約束の地に入ることはできませ...
キリスト者の自由とは何か(コリントの信徒への手紙一 9章) 17.01.2024
わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。 (コリントの信徒への手紙一9章19節) コリントの教会には、パウロを使徒として認めようとせず、彼の言動を批判する人たちがいました。そうした人たちに対して、彼は「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか」...
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