永瀬清子の世界
永瀬清子の世界
岡山県出身の詩人・永瀬清子さんの詩をRSKアナウンサー 小林章子の朗読でお届けします。どんな景色が心に浮かぶでしょう?人生のステージや生活に合わせて読むことができる永瀬さんの詩の世界。多感な時期の悩み、結婚、両親、夫や子供など家族のこと、生活の中での驚きや発見、山や川、植物や天体など自然について、世の中について、老いについて。永瀬さんの詩は、過去の自分を振り返ったり、これから行く道の道しるべにしたり、人生を一緒に歩いてくれるようです。
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#37 「あの方の父上は-一番下っぱの弟子のことば」 09.12.2024 3:59
宮澤賢治と永瀬さんは、「東北と備前のちがいはあっても」似たような境遇の詩人でした。「あの方は本物の百姓ではなかったから」の詩句は、社会貢献を考えながら理想を追い求めた二人の共通点を端的に表しています。だから永瀬さんは、人のために尽くし若くしてこの世を去った賢治の生き方を尊敬しつつも、自分にも尽くす生き方を選び取っていきました。「この世ではダメ宗旨」に共感せずにいられないのは、どこかユーモラスに賢治...
#36 「冬」 02.12.2024 3:59
詩「冬」は、初冬の新田山(しんでんやま)を題材にした詩です。冬枯れていく山の色を「鳶色」と「エメラルドグリーン」の「美しい縞」と表現し、さらにその山を「私の衿巻になりそうだ」と、たとえたことにはっとさせられます。永瀬さんには、山の落葉樹と常緑樹がこのように見えているのです。そんな「美しい縞」の山を衿巻にしようと思う「私」の発想の大きさも感じられます。新田山は、永瀬さんの生家から見えるので、毎日の微...
#35 「捕え得ず」 25.11.2024 3:59
永瀬清子さんは、生涯現役を貫いた詩人です。この詩を読んでいると、老いてなおよい詩を求めて日々書き続けていたこと、そして現在の赤磐市で農作業をしながら暮らした日々がいかに充実していたかが浮かび上がってきます。一方では、かつての日々が「捕えんとして捕えがたい幸せ」であったことにも気づいています。つまり、その時には気づかなかった幸せが、年を重ねた今わかるようになったことを書いているのです。永瀬さんの詩は...
#34 「焔について」 18.11.2024 3:59
永瀬さんは、現在の岡山県赤磐市松木で暮らし始めた頃、山の木を切って薪を作って、かまどでご飯を炊いていた時期がありました。世帯場すなわち台所には、まだ電燈がついていなかったので、ゆれる焰、薪のはじける音などを感じながらご飯を炊いていたのだと思います。のちに永瀬さんは、「何だか原始的な焰の美しさが私にはうれしくて、あとで電燈をつけて貰えた時、動かぬ平凡な光に逆にがっかりした」(『すぎ去ればすべてなつか...
#33 「梢」 11.11.2024 3:58
この詩の最後「こころのめくら」という表現は、不適切な表現ですが、1932年の作品発表時の時代的背景、また著者が故人であるという事情に鑑み、そのまま朗読しています。 「梢」は、1932年春に永瀬さんの従兄が亡くなり、やり場のない悲しみを書いた詩です。この従兄は、永瀬さんが詩人を志した時に、広く学ぶことが必要なのだと心理学や経済学など様々なジャンルの本を紹介して、応援してくれた人でした。永瀬さんは、「梢」...
#32 「十一月」 04.11.2024 3:59
「十一月」詩は、冬の訪れを感じる頃、樹木がより美しく生長するために、不要な枝を整理していく様子を書いています。次の季節への準備をするために斧や鉈で切られていく枝葉、そして次第に美しく整っていく樹形。切られた枝葉は燃やされていきます。これらを思うと永瀬さんの詩を書く姿とも重なります。詩を書くためには、書きたいことを掴み、言葉を選び、詩ではないものも薪のように加えながら、自分にしか書けない詩を書きたい...
#31 「梳り(くしけずり)」 28.10.2024 3:59
詩「梳(くしけず)り」は、長い髪がもつれ乱れるように、「私」が「あなた」との間で迷い、疑い、思い悩む姿を書いています。髪をくしけずる、つまり櫛で髪をといて整えるように、「私」の心を整えたいと思っているのです。「私」の迷う心を言葉にしていくことで心が整理され、「私」の心がくっきりとしていきます。「私」と「あなた」を見つめるこの詩からは、掌編小説のような物語も見えてきます。自由に想像をひろげ、世界を見...
#30 「吉井川によせて」 21.10.2024 3:59
永瀬さんは、「吉井川によせて」の中で、吉井川を「古くてあたらしい女」だと表現しています。そして「お前はいつも私だ」と自分と重ねていることが印象的です。永瀬さんは、岡山県の三大河川である吉井川、旭川、高梁川を「美しい三人の姉妹」にたとえた詩も作っています。永瀬さんの暮らした赤磐市松木は吉井川が近くを流れることから、とりわけ親しみを感じ、日頃から詩人の目でみつめていたことが想像されます。<文・小林章子...
#29 「秋の日に」 14.10.2024 3:59
永瀬さんは、農業に勤しみながら、詩を作りました。永瀬さんの言葉は、実体験に基づく力強さがあります。<文・小林章子>
#28 「草の実」 07.10.2024 3:59
「草の実」は、1977年に「また」という題名で発表し、十数年かけて書き直していったものです。永瀬さんは、この作品で、10代の頃から詩を書き続けてきた半生を振り返っています。晩年の永瀬さんは、詩を書いてきたことが、「大きな何者かの計画どおりだった」。つまり何か目にみえない大きな存在に書かされていたのではないかと考えないではいられなかったようです。永瀬さんは、いい詩は暗唱できるとたびたび語っています。それは...
#27 「夜に燈ともし」 30.09.2024 3:59
永瀬さんは、自分の詩に絵を添えた色紙を描いています。子どもの頃から絵を描くことが好きで、目に見えるように詩を書くことを心がけていた永瀬さん。この詩の一節に絵を添えた色紙が赤磐市に寄贈された資料の中にありました。皆が寝静まった夜に小さな明かりをともして詩を書いていたことを、淡い藍色の丸の中にシャーベットオレンジの丸が水彩絵の具で表現しています。一人で静かに過ごす夜、この詩がぐんと身近になるかもしれま...
#26 「一粒の蓮の実」 23.09.2024 3:59
この短章の冒頭にある「一粒の蓮の実を長く隠しておくことだよ」は、鮎川信夫さんの言葉です。永瀬さんは、17歳から詩を書きはじめ、詩という「一粒の蓮の実」を育てていました。そしてそれはすぐに実るような簡単な願いではありませんでした。その頃、短歌や俳句は女性の教養として認められていたのに、詩はそうではありません。出発点からして困難な道を選んでいたのです。50代の永瀬さんは、「詩人は何を報われるのか/だんだん...
#25 「老いたる友 c 八十才をすぎた友人のことば」 16.09.2024 3:59
永瀬さんは、 2 歳の頃に父の仕事のため金沢に転居し、終戦の年に岡山に帰ってきたので、岡山には友達と呼べる人はいませんでした。そしてできた最初の友達は 1888 年生まれの杉山千代さん。永瀬さんとは親子ほど年が違いますが、それは関係ありませんでした。少しでも自分の至らないところを改めて、よりよく生きようとする杉山千代さんを深く尊敬していた永瀬さん。日々を新しく生きようと願う永瀬さんの心には、杉山千代さんの...
#24 「貴方がたの島へ」 09.09.2024 4:00
永瀬さんは、戦後間もない頃から、長島愛生園・邑久光明園・大島青松園の入所者の方々と詩を通じた交流をしていました。「貴方がたの島へ」は、永瀬さんが長島愛生園の機関誌『愛生』に発表した詩です。今年6月、この詩を朗読した俳優の竹下景子さんにうかがいました。「永瀬さんの詩は、人としての尊厳を高らかに謳い上げている。永瀬さんのその心意気にまずとても力をもらいました。同情するだけじゃないのよっていう、憐れんだ...
#23 「わずかの時間に」 02.09.2024 3:59
永瀬清子さんがこの詩を書いたのは、永瀬さんが63歳のとき。夏の終わりの風景に「とどまれ」と呼びかける場面が印象的です。永瀬さんは41歳のときに書いた「この夏の最後の詩 我夏を恋う、夏を恋う」の中でも、夏の終わりの美しい瞬間に「とどまれ」と願っていました。夏の終わりの美しさを紙に写し取る余裕のない年月は過ぎ、ようやくその瞬間を逃さず、紙と筆で捕えられるようになった喜びが書かれています。<文・小林章子>
#22 「土に近く」「この夏の最後の詩 ー我夏(われ、なつ)を恋う、夏を恋う」 26.08.2024 3:59
永瀬清子さんは、農業にも従事していました。「土に近く」というのは、日中の仕事においても、またこの詩にあるように夜寝ているときにさえ、感じていたことなのでしょう。永瀬さんの敬愛する作家、宮沢賢治も農業への造詣が深く「土に近い」という共通点がありました。永瀬さんの作品には、土に近い感覚があるからこそ表現できる命や宇宙があるように感じます。<文・小林章子>
#21 「踊りの輪」 19.08.2024 4:00
永瀬清子さんは、この「踊りの輪」を「盆踊りの時の詩」であるけれども「西洋の湖水のほとりみたいなところで、妖精の出てくるような土地のことを思いながら、書いていたという気持ちがする」と語ったことがあります。永瀬さんを研究する学芸員、白根直子さんは、「松木での暮らしと大正時代の『赤い鳥』で読んだ西洋が混ざっているイメージをお持ちだったようだ」と話しています。<文・小林章子>
#20 「美しい国」 12.08.2024 3:59
「美しい国」は終戦の翌年、昭和21年(1946年)10月に発表されました。永瀬さんは、終戦の翌年から次々と詩集を出版し、この「美しい国」を表題作とした詩集『美しい国』を、昭和23年(1948年)に出版しています。永瀬さんは「国や性別を超えて幅広い世代の人に届けたいという思い」を持っていました。そこで、英訳しても美しさがでるような詩を意識していたようです。永瀬さんの次女の井上奈緒さんは、「母が詩をつくるときには、...
#19 「有事」 05.08.2024 3:59
永瀬清子さんは、戦時中、軍の言論統制に悩まされていました。多くの詩人が、表現の自由を奪われた時代、永瀬さんは戦争を賛美する詩を他の詩人と同様に「辻詩集」に寄せています。「日本の妻はなげかない。/その時敵弾が彼をつらぬいたときいてさへ/なほその頬にはほほえみがのぼる。」 永瀬さんは戦時中の想いを1988年にRSKが制作した番組で語っています。 「情報局がきて必ず雑誌を見るわけ。表紙はこれではいけないとか、こ...
#18 「星座の娘」 29.07.2024 3:59
永瀬さんが生きた時代は、女性の幸せは結婚で「良妻賢母」であることが世の中に認められる生き方でした。そして、永瀬さんは家を継がなければなりませんでした。永瀬さんにとって、詩人という生き方は、女学校を卒業したらすぐに結婚させたいと考える両親の愛情に反することになり、自分の理想と現実に引き裂かれるような思いでした。永瀬さんを研究する学芸員、白根直子さんは「星座の娘にある複雑な思いは、晩年の永瀬さんならば...
#17 短章「手さぐり人生」 22.07.2024 4:00
「手さぐり人生」は、1980年、思潮社の短章集「焔に薪を」に掲載されています。夫を不満に思っていたことが娘の一言で後悔へとつながり、近所のおじさんのユーモアで笑い涙にかわる、永瀬さんの心の動きがまっすぐに伝わってきます。<文・小林章子>
#16「私は地球」 15.07.2024 4:00
永瀬さんの詩は、驚きや発見に満ちており、「私は地球」もそうした詩のひとつです。「私」と「地球」を等しく捉え、大きく広く、小さく狭く、視点を変えながら書かれています。たとえば、一人の愛は「ペンペン草のかげで雨やどりしているようなもの」と頼りなく弱いものです。ところが、その愛は「挫折の時に/ついに押しつつむ屍衣」、つまり、時としてどのようなことも受け入れて包み込む大きさ、強さとなるのです。「私」が秘め...
#15「歓呼の波」 08.07.2024 4:00
昭和十二年、1937年。この年のことを、永瀬さんは自筆の年譜に書いています。「二月、次女奈緒生まれる。三月、父歿(ぼつ)、六月、舅歿、七月、支那事変はじまり夫の応召(おうしょう)、東京駅は兵隊と歓送者とで身動きもできぬほどであった。夫は岡山四十八聯隊へ入隊。秋、夫は中国へ出征した。夫は保定の激戦の直前、肺浸潤のため後退し、危うく全滅をまぬかれた」永瀬さんにとって激動の一年となった昭和十二年。産後間もな...
#14「七月」 01.07.2024 3:59
永瀬清子さんは、随筆「小鳥と花の意味」に、岡山出身で小鳥博士といわれる川村多実二(かわむらたみじ)さんの言葉を引用して詩を書くことへの決意を表明しています。「『花の美しいのは地球の春をかざるため、小鳥の啼くのも地上の春をかざるため。だからご覧、その相互関係のため人間の存在によって花は一層美しくなりうるのだ』と。私はこれをきいて一つの救いに出あった事を感じた。私たち詩を書く者が希望を失って、何のため...
#13「合唱組曲「燃える故郷」五章 やけこげの」 24.06.2024 3:59
お聴きいただいているのは、永瀬清子さんが作詞、木下そんきさんが作曲し、1981年6月、岡山合唱団により初演された合唱組曲「燃える故郷」のうち五章「 やけこげの」です。この組曲は、1945年6月29日の岡山空襲を伝えるもので、七章で構成されています。五章「やけこげの」には、苦しい生活の中でも希望をもって暮らす子どもの姿が描かれています。多くの人に読まれている「降りつむ」という詩にもつながるような希望や励ましがあ...
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