RCJメディアミニストリー

リジョイス聖書日課

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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5. nov. 2026

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Episoder

祭司の奉仕による主との交わり(出エジプト記 28-31章) 08.02.2022

これは…主の御前にささぐべき日ごとの焼き尽くす献げ物である。わたしはその場所で、あなたたちと会い、あなたに語りかける。 (出エジプト記29章42節) 幕屋建設の次に与えられるのは、幕屋で仕える祭司についての指示です。大祭司の祭服であるエフォドの胸当てには、イスラエル十二部族を表す12個の宝石が並べられています。大祭司はイスラエルを代表して主の前に立って祭儀を行うのです。 祭司は、毎日、朝夕に雄羊を1匹ずつささ...

主が民の中に住まれる(出エジプト記 25-27章) 07.02.2022

わたしのための聖なる所を彼らに造らせなさい。わたしは彼らの中に住むであろう。 (出エジプト記25章8節) 契約締結の儀式によって主の民としての歩みを正式に始めたイスラエルに、主は幕屋を建設するように指示します。幕屋によって、主がイスラエルの民の中に住むとおっしゃるのです。今や主はモーセと共におられるだけでなく(3章12節)、契約の民イスラエルと共におられることを幕屋によって示してくださいます。 第一に指示さ...

最も深くから高らかに(詩編 22編) 06.02.2022

わたしの神よ、わたしの神よ なぜわたしをお見捨てになるのか。 (詩編22編2節) この御言葉を、十字架の上で主イエスは叫ばれました。さらにこの詩には、十字架の下での出来事となった、「主に頼んで救ってもらうがよい」(9節)というあざけりの言葉も、「わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」(19節)という事柄も記されています。 主イエスが受けられた苦しみはどれほどのものだったでしょうか。主イエスは死に至る...

主の民がどのように歩むのか(出エジプト記 20-24章) 05.02.2022

モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」 (出エジプト記24章8節) 契約のための律法が与えられ、契約締結の儀式が実行されます。ファラオの奴隷ではなく、主の民とされたイスラエルが、どのように生き、どのような社会を形成すべきであるのかが律法に示されています。 まずは十戒によって大きな原則が示されます。前半の4つの戒めは神を愛するこ...

主の宝、祭司の王国、聖なる国民(出エジプト記 19章) 04.02.2022

「あなたたちはすべての民の間にあって わたしの宝となる。 … あなたたちは、わたしにとって 祭司の王国、聖なる国民となる。」 (出エジプト記19章5節~6節) エジプトでファラオの奴隷であったイスラエルの人びとがシナイの荒れ野に到着しました。ここで彼らは新しいアイデンティティを与えられます。主は彼らに「わたしの宝となる」「わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」と言われます。主の大切な宝とされて、主と国々...

愚かな不平さえ聞いてくださる主(出エジプト記 15章22節-18章) 03.02.2022

荒れ野に入ると、イスラエルの人々の共同体全体はモーセとアロンに向かって不平を述べ立てた。 (出エジプト記16章2節) エジプトから救い出されたイスラエルの人びとは、荒れ野での旅を続けていきます。その旅の中で繰り返されるのは、イスラエルの人びとの不平です。マラでは水が苦いと言い、シンの荒れ野では食べ物についての不平を述べ立てます。人びとは「エジプトの国で死んだ方がましだった」と、体験したばかりのすばらしい...

災いを通して主を知る(出エジプト記 5章1節-15章21節) 02.02.2022

「わたしがファラオとその戦車、騎兵を破って栄光を現すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」 (出エジプト記14章18節) 主に遣わされたモーセとアロンは民を去らせるように要求しますが、ファラオは「わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と拒みます。この後に実行される十の災いはファラオとエジプトに主を知らしめるものでした。ナイル川の水が血に変わる災いで「わたしが主であるこ...

主が私たちを遣わされる(出エジプト記 3-4章) 01.02.2022

神は言われた。「わたしは必ずあなたと共にいる。このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」 (出エジプト記3章12節) ミディアンの地で羊を飼って暮らしていたモーセを、主はエジプトのファラオのもとに遣わそうとします。イスラエルの人びとの苦しみを見て、その叫びを聞き、痛みを知ったからです。しかし、モーセは「わたしは何者でしょう」と言って拒否します。自分がイスラエルの人びとを導き出すことなどできるわ...

嘆きを聞き契約を実行する神(出エジプト記 1-2章) 31.01.2022

神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。 (出エジプト記2章24節) 創世記においてアブラハム、イサク、ヤコブに与えられた契約の通り、イスラエルの人びとは、天の星のようにおびただしく数が増えました。エジプト人は、数多く、強力になったイスラエルに強制労働を課して虐待しますが、ますます増え広がります。主の約束を人間が止めることはできないのです。 エジプトの王ファラオは、生まれて...

すべての幸いを主に帰して(詩編 16編) 30.01.2022

「あなたはわたしの主。 あなたのほかにわたしの幸いはありません。」 (詩編16編2節) 詩人は、すべての幸いを神に帰しています。だからこそ、「主はわたしに与えられた分」とまで言うことができます(5節)。神が「わたしの分」であるとする物言いは大胆なように思われますが、まさにそのように、神の恵みが自分にとって確かであることを詩人は言いたいのです。何しろ、「主はわたしの運命を支える方」なのです(5節)。わたし自身...

いつまでも主イエスと共に歩もう(マタイによる福音書 28章16-20節) 29.01.2022

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 (マタイによる福音書28章20節) 辛いときには、その自分の辛い気持ちを理解してくれる人が側にいるだけで大きな力になります。 主イエスは、私たちが経験するすべての苦しみや悲しみを十字架への道行きの中で味わい尽くしてくださいました。それどころか、私たちが苦しみの中で痛み苦しむ以上に壮絶な痛みや苦しみを味わい、最後には私たちの罪を一手に担って十字架の上...

神に見捨てられた救い主(マタイによる福音書 27章27-56節) 28.01.2022

3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」 (マタイによる福音書27章46節) 十字架の下には神に見捨てられて当然の人びとがいました。神の独り子を嘲り、命を捨てるほどの尊い愛を笑いものにする人びとです。そして十字架の上には、最後まで「わが神よ!」と神への信頼を貫き通された主イエスがおられました。テレビドラマなどでこういう理不尽な物語を見たなら、「こんな憎たらしい輩は早く痛い目に遭...

鶏の鳴き声に主の優しさを思い起こして(マタイによる福音書 26章69-75節) 27.01.2022

するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、…イエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。 (マタイによる福音書26章74節~75節) 主イエスは、以前こう言われました。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』と書いてあるからだ」(26章31節)。この「わたし」とは主なる神のことで、「羊飼い」とは主イエスのことです。神が羊飼いである主イエスを打たれるので...

与えられたタラントンに忠実に(マタイによる福音書 25章14-30節) 26.01.2022

「一人には5タラントン、一人には2タラントン、もう一人には1タラントンを預けて旅に出かけた。」 (マタイによる福音書25章15節) このたとえ話に登場する三人の僕たちの姿は、私たちの姿です。私たちは、主人である神から、それぞれのタラントンを預けられ、この人生を歩んでいます。そして、このタラントンは、私たちがこの人生を生き抜くために神様から与えられている「資本」「もとで」を言い表しています。三人目の僕に預けら...

赦しの共同体に生きる(マタイによる福音書 18章21-35節) 25.01.2022

「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」 (マタイによる福音書18章33節) ここには、王さまに1万タラントンの借金をしていた家来が、それを全部帳消しにしてもらったというたとえ話が語られています。神によって罪赦されるというのは、そういうことだと言うのです。1万タラントンの借金は、今のお金に換算すると、天文学的な数字になり、一生かかっても返すことのできない莫大...

5つのパンと2匹の魚が用いられ(マタイによる福音書 14章13-21節) 24.01.2022

「ここにはパン5つと魚2匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、… (マタイによる福音書14章17節~18節) 弟子たちは、男だけで5千人の人びとが空腹を覚えている現実を前にして、5つのパンと2匹の魚だけでは何の役にも立たないと思ったことでしょう。ところが主イエスは「それをここに持ってきなさい」と言われました。そして、主イエスがそのパンと魚を取り、天を仰いで賛美の祈りをささげ、裂いて弟...

いつまでもわたしの神に祈る(詩編 13編) 23.01.2022

いつまで、主よ わたしを忘れておられるのか。 いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。 (詩編13編2節) 「いつまで、主よ、わたしを忘れておられるのか」。この「いつまで」を詩人は4度も繰り返します。その苦しみはどれほどのものでしょうか。 この詩人には明確な「敵」がいたようです。敵は「わたしに向かって誇」り、「わたしを苦しめ」ます(3、5節)。しかし、詩人は、その敵をどのようにしてください、まして、裁い...

傷ついた葦を折らないキリスト(マタイによる福音書 12章) 22.01.2022

「正義を勝利に導くまで、 彼は傷ついた葦を折らず、 くすぶる灯心を消さない。」 (マタイによる福音書12章20節) ある安息日に、主イエスは片手が萎えた人を癒されました。当時は因果応報の考え方が浸透していただけに、この病気による障害は、彼の心に深い影を落としていたに違いありません。世間からも神からも見捨てられたという思いが彼の心を支配していたのです。ところが、そんな彼を主イエスは癒してくださいました。 ファ...

主イエスのもとに憩う本当の安らぎ(マタイによる福音書 10-11章) 21.01.2022

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」 (マタイによる福音書11章28節) 10章から11章にかけて、十二弟子の選びと派遣、人びとの不信仰が語られています。きょうは、その最後に語られている主イエスの招きの言葉に注目いたしましょう。 そもそも「本当の安らぎ」とは何でしょうか。重荷や疲れが全く無くなることでしょうか。決してそうではありません。人間は、何の働きも期待されず、...

心の目が開かれることを祈り求めて(マタイによる福音書 8-9章) 20.01.2022

二人の盲人が叫んで、「ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と言いながらついて来た。 (マタイによる福音書9章27節) 8章から9章にかけては、主イエスがなさった奇跡と対話を通して、主イエスの救い主としての御力が明らかにされています。主イエスは私たちの苦しみと悩みを背負ってくださる救い主です(8章17節)。すべてを捨てて「わたしに従いなさい」とお求めになります(8章22節)が、従うならば、たとえどんな人生...

山上の説教感謝の生活の手引き(マタイによる福音書 5-7章) 19.01.2022

「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」 (マタイによる福音書7章24節) 山上の説教には「敵を愛しなさい」に代表されるような理想的な教えが幾つも語られています。しかし、ただ教えるだけならば、これまでにも多くの偉人たちが同じような教えを繰り返し語ってきました。問題は、教えた人が、それを実践へと導く力をもっているかどうかです。主イエスは、ただ教えるだけではなく...

占星術の学者たちの礼拝(マタイによる福音書 2章1-12節) 18.01.2022

「わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 (マタイによる福音書2章2節) きょうの箇所には、東の国の占星術の学者たちが、星に導かれて、幼子の主イエスを礼拝したという物語が記されています。彼らは、最初からまことの神を礼拝する信仰をもって旅に出かけたわけではありません。最初、彼らは、星占いによって旅立つことを決心したのです。神は、星占いの道が間違っていることをよくご存じでした。しかも、...

インマヌエル神は我々と共におられる(マタイによる福音書 1章18-25節) 17.01.2022

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」 (マタイによる福音書1章23節) 人間は、古代から現代に至るまで数多くの苦悩を背負い続けてきました。しかし、聖書は、そのような目の前に横たわっているさまざまな苦悩ではなく、その背後にある根本的な悲惨を見つめています。 では、その根本的な悲惨とは何でしょうか。それは、神を失っているという悲惨です。そもそも私たち人間は、神と共に生きる...

矢ではなく御顔に心を向ける(詩編 11編) 16.01.2022

「世の秩序が覆っているのに 主に従う人に何ができようか。」 (詩編11編3節) いつの時代も人の世は同じかもしれません。「世の秩序が覆っている」。そのような時、痛感させられることがあります。自分に「何ができようか」。しかし、その自分が「主に従う人」であるならば、何をすべきでしょうか。何も出来ることはないと思われるかもしれません。 人々は主に従う人に言います。「鳥のように山へ逃れよ」(1節)、と。「見よ、主に...

ヨセフ物語(3)地上の幸福ではなく(創世記 49-50章) 15.01.2022

「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」 (創世記50章25節) 死んだと思っていた息子ヨセフとの再会を果たしたヤコブは、家族と共にエジプトで暮らし、穏やかな日々を過ごして世を去ります。ヨセフと兄たちも和解して、すべては丸く収まり、ハッピーエンドです。しかし、それが創世記の目的ではありません。 死を前にしたヤコブは、自分の遺体を必ずカナンにある...

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