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ネットラジオ版安心問答(浄土真宗の信心について)
ブログ安心問答(浄土真宗の信心について)の音声版です。浄土真宗の教え、信心、その他についていろいろと話をするpodcastです。
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Episodes
#060 「本願疑惑心や疑情(疑心)や自力心は、煩悩の一種なのか?」(頂いた質問) 11.07.2026 30:55
今回は#059を聞かれた方からの質問です。 ○質問 --- 第59回目を聞いて、「阿弥陀仏の本願と私の関係性が非常に大切」だということは理解できたのですが、本願疑惑心や疑情や自力心が、煩悩だということを聞いて、不審に思いました。 それというのも、親鸞聖人は、以下の文証のように、凡夫の煩悩は死ねまで無くならないと言われているからです。 阿弥陀仏の本願の救いと、煩悩は関係がないと思っていましたが、本願疑惑心や疑情...
#059「「煩悩成就の凡夫(私)」に、何故、煩悩以外の心(ここでは疑情)があるのか?」(頂いた質問) 04.07.2026 25:45
今回は第58回目を聞かれた方から頂いた質問について話をしました。 以下、質問メール --- 第58回目を聞いて、浄土真宗では、あまり「自覚(ハッキリした)」という言葉は使わずに、「聞いた」とか「知らされた」という言葉を使うことが分かりました。 また、浄土真宗では「阿頼耶識」ということは問題にせずに、「煩悩成就の凡夫」が、阿弥陀仏の本願力によって、信心と念仏を回向され、極楽浄土に往生することが分かりました。...
#058「二種深信にあるように『曠劫よりこのかた』の過去世のことまで分かるようになるのですか?」について(頂いた質問) 23.06.2026 30:05
前回57回目を聞かれた方からの質問です。 ○質問 --- 私には、生まれる前のこと(始まりのない始まりから、生死輪廻を繰り返してきた過去世のこと)は、全く分かりませんが、 信心獲得すると、教行信証の信巻に書いてある「二種深信」のような、「一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八...
#057「阿弥陀仏は一体、私の何を救って下さるのか?」について(頂いた質問) 12.06.2026 25:24
以下の質問について話をしました。 ーーー (略) ここで、根本的なお尋ねがあるのですが、阿弥陀仏は、一体、私の何を救ってくださるのでしょうか? 私の肉体は、死んだら無になります。意識も無くなります。 仏教では、目に見えない「魂」や「霊魂」などの存在も認めないと聞いたことがあります。 では、一体、仏教は何を問題にして、生死輪廻を繰り返している私の正体(本体)は何であり、阿弥陀仏は、「只今私を救う」と仰っ...
#056「教行信証の総序に書いてある「たまたま行信を獲る?」や「弘誓の強縁が多生にも値ひがたく、億劫にも獲がたい?」、親鸞聖人は、なぜ、「遠く宿善を慶べ」ではなく、「遠く宿縁を慶べ」と言われたのか?」について 06.06.2026 21:10
今回は以下の質問について話をしました。 ーーーー 教行信証の総序に、「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に不蔽せられば、かへつてまた曠劫を経歴せん。」 とありますが、 この「行信を獲る」のは、「たまたま」なのでしょうか?(私は、「たまたま」の意味を、偶然とか、運が良く、などの意味で考えています。) もし、「たまた...
#055「阿弥陀仏の本願は、「ただ今救う」本願ですが、「ただ今救う」と今聞けていないのは、まだ、私の機が熟していないからでしょうか?」(頂いた質問) 30.05.2026 25:22
今回は以下の質問について話をしました。 ーー 第54回目を聞いて、阿弥陀仏の救済と「宿善」の関係については、「宿善」は阿弥陀仏の調育(調熟)の光明(智慧)のはたらきであり、一人一人違う未熟の機を調育して、本願を素直に疑い無く聞ける身に育ててくださることが分かりました。 しかし、そうすると、やはり阿弥陀仏の調育の光明によって、私の機が熟して、本願を疑い無く聞けるようになるには、機が熟すまでの時間がかか...
#054「現世(今生)で救われる人と、来世(未来世)で救われる人が出てきてしまうのは、やはり「宿善」の厚薄が関係しているのでしょうか?」(頂いた質問) 23.05.2026 34:00
今回は、以下の質問について話をしました。 頂いた質問 -- 第53回目のネットラジオ版安心問答を聞いて、阿弥陀仏の側で、この人は好きだから早く救おうとか、この人は嫌いだから救うのは遅くしようとか、そういった差別はないことが分かりました。 そこで、また重ねてお尋ねがあります。 阿弥陀仏の側で救いの差別はしていないけれども、現世(今生)で救われる人と、来世(未来世)で救われる人が出てきてしまうのは、やはり「...
#053「同じ内容の本願を聞いていても、本願を信じられずに、念仏だけ称えている者は、阿弥陀仏のお救いから漏れてしまうのでしょうか?」(頂いた質問) 15.05.2026 26:33
#052を聞かれたら方から以下の質問を頂きました。 今回はこちらについて話をしています。 ーー ⚪︎質問 「念仏衆生摂取不捨」の念仏者とは、阿弥陀仏の本願を聞いて、その本願の通りに念仏している者(本願を信じ念仏している者)を摂取して見捨てないということですが、 ①同じ内容の本願を聞いていても、本願を信じられずに、念仏だけ称えている者は、阿弥陀仏のお救いから漏れてしまうのでしょうか? ②もしそうだとしたら、阿弥...
#052「念仏衆生摂取不捨」について・「念仏によって救われるのか?」「信心によって救われるのか?」(頂いた質問) 08.05.2026 37:22
今回は、こちらについて話をしています。 -- 第51回目のお話しの中で、阿弥陀さまは本願を疑いなく聞き受けて、信心が定まった者を忘れずに必ず摂取して見捨てないというお話しがとても印象的でした。 その話を聞いて、私は念仏衆生摂取不捨というお言葉がすぐに頭に思い浮かびました。 以下は、AIで、念仏衆生摂取不捨の意味について調べた内容です。 AIの回答を、そのままコピーしたので、少し長文になりますが、一読していた...
#051「信相の一念」の自覚があるかないかで、「信心獲得」したのか?まだ「信心獲得」していないのか?を自分自身で信疑決判できるという理解で間違いないでしょうか?」(頂いた質問) 28.04.2026 23:01
今回は、以下の質問に回答しました。 ーー 第50回目を聞かせていただき、「信の一念」には意味が2種類あり、①時剋の一念は自覚はできないけれども、②信相の一念は、阿弥陀仏の救済を疑心なく信じた人には、信相の一念の自覚があることが分かりました。 そうすると、この「信相の一念」の自覚があるかないかで、「信心獲得」したのか?まだ「信心獲得」していないのか?を自分自身で信疑決判できるという理解で間違いないでしょ...
#50「阿弥陀仏の本願をその通りと聞けるようになった瞬間を、「信の一念」と浄土真宗では言っているのでしょうか?また、この「信の一念」は、自覚ができるのでしょうか?」(頂いた質問) 22.04.2026 27:28
今回は、以下の質問に回答しました。 ーー 阿弥陀仏の本願をその通りと聞けるようになった瞬間を、「信の一念」と浄土真宗では言っているのでしょうか? また、この「信の一念」は、自覚ができるのでしょうか? 獲信(回心)のパターンには、二つのパターン(突然的回心と漸次的回心)があると聞いたり、本で読んだことがあるのですが、親鸞聖人は、どちらのパターンで獲信(回心)されたのでしょうか? ーー 話の中で出たご文 然...
#049「阿弥陀仏の本願を疑い無く聞けるようになる(聞く耳をいただく)と、往生一定だとハッキリして、今までの本願に対するモヤモヤも日本晴れのようにスッキリするのでしょうか?」 31.03.2026 24:42
今回は、第48回を聞かれた方からの質問メールについて話をしました。 以下、質問です。 -- 阿弥陀仏の本願に救われると、往生一定とハッキリする、と聞いたことがあるのですが、 阿弥陀仏の本願を疑い無く聞けるようになる(聞く耳をいただく)と、往生一定だとハッキリして、今までの本願に対するモヤモヤも日本晴れのようにスッキリするのでしょうか?(このスッキリするの意味は、今まで本願を疑い無く聞けなくて、悶々としてい...
#048「自分自身で信疑決判できるのでしょうか?」(頂いた質問) 17.03.2026 20:32
今回は#047回を聞いた方からの質問メールについて話をしました。 以下質問メールより ーー 本願を信じるか・信じないか? 本願を疑いなく聞いたか・聞いていないか? は私の選択や決断ではないですよね? 阿弥陀仏の本願は、差別的な本願ではなく、万人が平等に救われる唯一の道であり、後生は自分ではどうしようもなく、後生は阿弥陀仏におまかせするしかないと思ってはいるのですが、どうも本願を疑いなく聞けていない自分もいる...
#047「死後の行き先である、極楽浄土のことも何も分からず、仏に成るとは、どういうことかも分からず、親さまと呼ばれる阿弥陀さまのことも分からずに、「ただ本願を信じ念仏を申さば仏に成る」ということだけなのでしょうか?」(頂いた質問) 07.03.2026 24:38
今回は#046を聞かれた方からの質問について話をしました。 以下質問 ーーー 因果の道理や六道輪廻は、仏教全般に言える教えで、これは阿弥陀仏の本願の内容とは、直接的には関係がないから、本願疑惑心ではなく、疑煩悩であるということが分かりました。 また、阿弥陀仏の存在や極楽浄土の存在については、 そもそも、阿弥陀仏は、無上仏であり、色も形もない、真如(法性)そのものであり、信心獲得したからといって、凡夫に阿弥陀...
#046「信心獲得すると、同じ仏願の生起本末(阿弥陀仏の本願)を聞いても、おとぎ話や作り話ではなく、真実(事実)の話として、疑いなく聞けるようになるのでしょうか?」(頂いた質問) 01.03.2026 26:00
今回は#045からの質問です。 ーーー 45回目の質問された方からの追加の質問です。 (略) そこで、この疑いは、本願疑惑心なのか? それとも、疑煩悩なのか? いくつか具体例を挙げてみたいのですが、 親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願を疑い自らはからう心を、本願疑惑心と定義されているようですが、 たとえば、 因果の道理を信じられない心や、 私が六道輪廻(流転輪廻)をしている存在であることが信じられないこと、 阿弥陀仏の存...
#045「本願疑惑心と疑煩悩(煩悩としての疑い)の区別(分別)は、未信の者にも分かるのでしょうか?」(頂いた質問) 21.02.2026 29:36
前回の配信記事 #044について ーー 「本願を信じて、念仏していない」念仏は、念仏ではないと仰っていましたが、 法然上人や親鸞聖人は、信前の者にも、念仏することを勧めてはいないのでしょうか? 信前の者でも、お念仏を称えることは、尊いことではないのでしょうか? 私は、私の心が、どんな状態(心境)であっても、お念仏を称えること自体が、尊いことだと思っていました。 また、今回のお話しを聞いて、 阿弥陀仏の本願を疑...
#044「念仏する者を必ず助ける(念仏の回数や時節は関係ない)という本願であれば、念仏している私は必ず救われると安心してよいのでしょうか?」(頂いた質問) 10.02.2026 33:51
#044 今回は、前回43回目の質問をされた方から、前回を聞いた上での質問を頂きました。 以下質問 ーー 話の中で出てくるご文 ①「乃至十念」と申すは、如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、遍数の定まりなきほどをあらはし、時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。(尊号真像銘文・浄土真宗聖典註釈版P643) ⇒阿弥陀さまは、第18願文に、「乃至十...
#043「本当に阿弥陀さまは、私に向かって『ただ今おまえを助ける』と仰せになっているのでしょうか?」(頂いた質問) 31.01.2026 25:01
#43 質問: (ブログやネットラジオ版の中で) 繰り返し何度も、阿弥陀さまの仰せは、「只今おまえを助ける 」とお話しをされていますが、本当に阿弥陀さまは、私に向かって「只今おまえを助ける」と仰せになっているのでしょうか? また、南無阿弥陀仏の言葉の意味が、「只今おまえを助ける」という、阿弥陀さまからの呼び声なのでしょうか? 阿弥陀さまの仰せが、また、南無阿弥陀仏が、「只今おまえを助ける」という、阿弥陀さ...
#42「念珠を持った方が良い(略)等のお勧めが気になりビクビクします。信心がわからないからか具体的な行動にすがり、特に禁止的な勧めに過敏反応し、苦しくなってしまいます。(Peing-質問箱-より) 05.04.2025 23:34
Peing-質問箱-に頂いた質問について話をしました。 ーー 質問 「念珠を持った方が良い、西に足を向けるようなのは極楽を思えば控えた方が良い等のお勧めが気になりビクビクします。信心がわからないからか具体的な行動にすがり、特に禁止的な勧めに過敏反応し、苦しくなってしまいます。 どうすればというのはおかしいはずなのですが、どうすればと聞きたくなってしまいます。」(Peing-質問箱-より) https://peing.net/ja/q/684f...
#41「十劫安心は間違っていないように思うのですが、どこがよくない考えなのでしょうか?」 15.03.2025 25:21
質問箱より「御文章の「此方十劫邪義章」における十劫安心への批判がよくわかりません。」という質問について答えました。
#040「聞即信」とは、聞いているままが信心であって、聞いたら信心をいただけるということではないのでしょうか?(Peing-質問箱-より) 12.10.2024 20:58
質問: 「聞即信」とは、聞いているままが信心であって、聞いたら信心をいただけるということではないのでしょうか? https://peing.net/ja/q/98bb7cad-284d-424b-b2bc-1fc22b856e9c 質問箱には以下のように回答しています。 ーー はい。聞いたら→信心を頂けるということではありません。 信心とは、本願名号を現在聞いている状態をいいます。聞いたら信心を頂けるとすると、「聞いた」ことがあってもそれは時間が経つほど「過去」...
#039「弥陀をたのむ」とは、観念的・抽象的な阿弥陀仏をたのみにすることではなく、具体的に、今、口から出ている南無阿弥陀仏をたのむということでしょうか? 04.10.2024 20:50
#039回は、質問箱の以下の質問について話をしました。 質問: 「弥陀をたのむ」とは、観念的・抽象的な阿弥陀仏をたのみにすることではなく、具体的に、今、口から出ている南無阿弥陀仏をたのむということでしょうか? 質問箱には以下のように回答しています。 はい。口から称名となって称えられている南無阿弥陀仏以外に、何か「概念としての」南無阿弥陀仏を想定しても、それは自分の想像したものです。 「弥陀をたのむ」の弥陀...
#038「念仏は、やっぱり真面目に真剣に称えないとダメだ」と思ってしまうのも、結局本願を疑っていることになるのでしょうか? 08.04.2023 24:33
質問箱に頂いた質問について話しました。 Q「念仏は、やっぱり真面目に真剣に称えないとダメだ」と思ってしまうのも、結局本願を疑っていることになるのでしょうか? A「どう称えたか」によって、念仏それ自体が何か変わると思うのは疑っていることになります。それは、念仏を冷凍食品のように「レンジで解凍・あたため」をしないと食べられないもののように考えるからです。 質問箱の回答に加えて話をしました。 あきらかに知んぬ...
#037「阿弥陀様をたのむものを必ず助けるということですが、阿弥陀様に助けてくださいとお願いするのではなく、仰せをそのまま承るとはどのようなことなのでしょうか?」(頂いた質問) 18.05.2022 32:26
第36回目を聞かれての質問について話をしました。 質問「阿弥陀様をたのむものを必ず助けるということですが、阿弥陀様に助けてくださいとお願いするのではなく、仰せをそのまま承るとはどのようなことなのでしょうか?我にまかせよ、必ず助けるという仰せについて疑いのない状態、御本願をそのまま受け入れている状態を言うのでしょうか?」 話の中で出てきた御文 「「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。...
#036「蓮如様は、口に念仏申しただけでは助からぬと仰っていると思います。(略)今のままでは助からないのでしょうか?」(Peing-質問箱-に頂いた質問) 11.05.2022 29:21
今回は、 質問箱 に頂いた内容について話をしました。 質問 「蓮如様は、口に念仏申しただけでは足すからぬと仰っていると思います。 一方で、阿弥陀様の御本願には、お念仏をとなえる衆生を必ず助けるとお誓いになられています。 蓮如様のお言葉をどう解釈したらよろしいでしょうか? 今私は助かりたい一心で、御本願を信じてお念仏をあげています。 今のままでは助からないのでしょうか?」 今回紹介した御文章。 答へていはく、...
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