RCJメディアミニストリー

リジョイス聖書日課

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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Oct 13, 2026

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Episodes

神の富と知恵と知識の深さ(ローマの信徒への手紙 11章) 02.09.2025

ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。 (ローマの信徒への手紙11章33節) 神の大きな救済の歴史に目を留めたとき、パウロは「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか」と讃嘆の声をあげました。「神の富」とは、「神が神であられることの豊かさ」のことです。神の働きの豊かさ、神の憐れみの豊かさ、神の恵みの豊かさと言ってもよいでしょう。神御自身の豊か...

正しい認識と信仰的熱心に生きる(ローマの信徒への手紙 10章) 01.09.2025

わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証ししますが、この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません。 (ローマの信徒への手紙10章2節) 「わたしは彼らが熱心に神に仕えていることを証しします」(2節)とあるように、イスラエルは神への熱心を持ち続けていました。にもかかわらず主イエスを拒んだのは、熱心さを失ったからではありません。彼らにはまじめな宗教的熱意がありました。パウロも、その熱心そのものを非難し...

神の国のテーブルマナー(ルカによる福音書 14章7-14節) 31.08.2025

「招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、もっと上席に進んでください』と言うだろう。」 (ルカによる福音書14章10節) 私たちはみな、礼拝という神の祝宴に招かれています。パンと杯がふるまわれる聖餐式は、とくにそのことを思い起こさせてくれます。国によってテーブルマナーは違いますが、神の祝宴にも大切なマナーがあります。それは、神に招かれた人は誰でも、上席では...

共にひれ伏し伏し拝もう(詩編 95編) 30.08.2025

わたしたちを造られた方、主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。 (詩編95編6節) 95編は、礼拝の「招きの言葉」に用いられる詩編です。礼拝の喜びが生き生きと歌われています。1節「主に向かって喜び歌おう」。6節「主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう」。7節「主の声に聞き従わなければならない」。ここから、礼拝の要素として、神を賛美すること、神の前にひれ伏すこと、御声に聞くことが教えられて...

神の選びの確かさに生きる(ローマの信徒への手紙 9章) 29.08.2025

では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。 (ローマの信徒への手紙9章14節) パウロは9章で「神の選び」について論じています。パウロは、この神の選びの自由という主張が、人間にとって躓きとなることを知っていました。ですから、彼は問いかけています。「では、どういうことになるのか。神に不義があるのか」。パウロははっきりと答えます。「決してそうではない」と。神が不義であるなど全くあり...

被造物も隷属から解放される(ローマの信徒への手紙 8章) 28.08.2025

つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。 (ローマの信徒への手紙8章21節) パウロは8章で被造世界の苦しみの問題を取り上げます。彼は20節で「被造物は虚無に服しています」と述べています。私たちが生きている世界には、本当にいろいろな問題があります。戦争があり、暴力の連鎖があり、憎しみがあり、人間疎外があります。富んだ国があり、飢餓に瀕している国が...

内在する罪を確かに救う福音の恵み(ローマの信徒への手紙 7章) 27.08.2025

わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。 (ローマの信徒への手紙7章15節) パウロはこの7章で、自らに内在する罪を嘆いています。15節で彼は言います。「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです」。 一言で言えば、自分の内側が分裂しているということです。望んでいることを実行し...

義のための道具として自らを献げる(ローマの信徒への手紙 6章) 26.08.2025

かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。 (ローマの信徒への手紙6章13節) パウロは13節で、「あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません」「五体を義のための道具として神に献げなさい」と命じました。ここでパウロは、人間は自らを神に献げるか、罪に献げるかの二つに一つしかないことを明らかにしています。 この「道具」は「武器...

恵みの契約の代表者であるキリスト(ローマの信徒への手紙 5章) 25.08.2025

一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。 (ローマの信徒への手紙5章19節) 5章の後半では、アダムとキリストが対比されています。アダムとキリストの共通点は、一人の人の行為が、多くの人またすべての人に決定的な影響を与えることです。アダムの堕落の効果が彼一人のものに留まることなくすべての人に及んだように、キリストの贖いの業も、その効果は彼一人...

束縛ではなく自由を(ルカによる福音書 13章10-17節) 24.08.2025

「この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」 (ルカによる福音書13章16節) 主イエスは、ある安息日に、十八年間も腰が曲がって苦しんできた女性を癒されました。ここには、それで憤慨する会堂長が登場します。「いかなる仕事もしてはならない」と定める十戒の安息日規定に違反していると考えたからです。 会堂長は大切なことを見落...

苦難の中でも主に信頼して静かに待つ(詩編 94編) 23.08.2025

いかに幸いなことでしょう、主よ、あなたに諭され、あなたの律法を教えていただく人は。その人は苦難の襲うときにも静かに待ちます。 (詩編94編12節~13節) 詩編94編では、神に逆らう者と、神に従う者とが対比して語られ、特に神に逆らう者の傲慢さ、非道さが鮮明に記されています。 「主よ、彼らはあなたの民を砕き、あなたの嗣業を苦しめています。やもめや寄留の民を殺し、みなしごを虐殺します。そして、彼らは言います、『主...

キリストの復活によって義とされる(ローマの信徒への手紙 4章) 22.08.2025

イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。 (ローマの信徒への手紙4章25節) 4章でパウロは、アブラハムの信仰について述べています。アブラハムが信仰によって義とされたように、私たちも彼と同じように信仰によって義とされます。旧約時代も、新約時代も、人間が救われる方法は基本的に同じです。 パウロは5節で、神は、不信心な者を義とされる方だと語ります。不信心な者...

恵みにより無償で義とされる(ローマの信徒への手紙 3章) 21.08.2025

ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。 (ローマの信徒への手紙3章24節) 「神の義」は、イエス・キリストを信じることにより与えられます(22節)。キリスト者は、「神の恵みにより無償で義」とされています(24節)。無償の義です。ただで与えられる義です。与えられる側にそれに相応しい価値がある訳でもなく、理由もなく、ただで与えられます。それが、パウロが語る神の義です。...

神の裁きと主イエスの救い(ローマの信徒への手紙 2章) 20.08.2025

こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており… (ローマの信徒への手紙2章15節) パウロは11節で、「神は人を分け隔てなさいません」と述べました。そして12節には、「律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます」とあります。 神の戒めである律法を持っているか持っていないか...

福音に啓示される「神の義」(ローマの信徒への手紙 1章) 19.08.2025

福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。 (ローマの信徒への手紙1章17節) 17節には、「福音には、神の義が啓示されています」とあります。修道士であったルターにとって「神の義」というものは、彼を苦しめるものでありました。神の義とは、神の絶対的正しさであって、それがルターの罪を容赦なく糾弾したからです。しかし、このローマの信徒への手紙を学ぶことを通して...

高ぶりを打ち砕く神(エゼキエル書 28章) 18.08.2025

…「お前の心は高慢になり、そして言った。『わたしは神だ。』…しかし、お前は人であって神ではない。」 (エゼキエル書28章2節) ここには「わたしは神だ」(2節)と高ぶるティルスの君主に対する裁きの言葉が語られています。 ティルスは商いに成功し、繁栄を極めた都市でした。そのとき、富をもたらした自らの知恵を誇り、「わたしは神だ」と言うほどにおごり高ぶってしまったのです。 しかし、主は「お前は人であって神ではない」...

福音は分裂と癒しをもたらす(ルカによる福音書 12章49-56節) 17.08.2025

「あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。」 (ルカによる福音書12章51節) 主イエスが、平和ではなく「分裂」をもたらすために来たとおっしゃるのは、驚くべきことです。しかし、この言葉は真実です。日本でクリスチャンとして生きていくことは簡単ではありません。信仰が原因で大切な家族や友人との関係がぎくしゃくしたり、壊れたりした経験のある方は、決...

決して揺らぐことのない世界の完成(詩編 93編) 16.08.2025

主こそ王。威厳を衣とし、力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。 (詩編93編1節) 詩編93編は、「主こそ王」という言葉で始まる詩編のひとつです。主が、世界の王として、威厳と力を衣のようにまとい、王座に就かれる姿が歌われています。主なる王の支配する世界は「固く据えられ、決して揺らぐことはない」と。 しかし、現実はどうでしょうか。この世界は罪と悪が満ちており、戦争、暴力、権力...

ろばの子に乗った王を仰ぐ(ヨハネによる福音書 12章12-19節) 15.08.2025

「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」 (ヨハネによる福音書12章15節) ろばの子に乗った王のみもとで、私たちは知りました。 剣は私たちを幸せにはしない。剣は人間の命を奪うことしかできない。人間同士が命を奪い合うことにしか用いられない。富もまた私たちを幸せにはしない。富のあるところ、私たちはそれを奪い合って、肥え太る者たちの一方で、奪われ、飢えて死んでいく人びとを生...

豪華商船ティルスの沈没(エゼキエル書 27章) 14.08.2025

「漕ぎ手がお前を大海原に漕ぎ出したが、東風がお前を打ち砕いた、海の真ん中で。」 (エゼキエル書27章26節) ティルスはエルサレムの滅亡によって、その利益が自分に回って来ることを喜んでいました。けれども、その喜びは長くは続きません。 ここでは、比べ得るもののないティルスの美しさが、豪華に造られた商船にたとえられています(4~10節)。その姿は自ら「美しさの極み」と称するほど繁栄の絶頂にありました。世界中の富が...

愛のない利己主義への裁き(エゼキエル書 26章) 13.08.2025

「人の子よ、ティルスがエルサレムを嘲る。『ああ、諸国民の門であったお前は打ち破られ…わたしは富み、お前は廃れる。』」 (エゼキエル書26章2節) 26章から28章にかけて、ティルスに対する滅亡の預言が語られます。 フェニキアの主要な港町であったティルスは、地中海貿易で栄え、地の利を生かした難攻不落の要塞でもありました。そのティルスが「諸国民の門」として通商の中心地であったエルサレムが滅ぼされたことにより、「わ...

神の主権神の憐れみによる回復(エゼキエル書 25章) 12.08.2025

「わたしが彼らに仇を報いるとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。」 (エゼキエル書25章17節) 25章から、南ユダを取り巻く諸外国についての預言が語られますが、ここでは特にアンモン人、モアブ人、エドム人、ペリシテ人に対する滅びが警告されています。彼らは、神の民の不幸を笑って嘲り、イスラエルが神の民であることを侮り、憎しみ、復讐しました。 このとき、神の民イスラエルは、その悪のゆえに裁きを受けよ...

神が主であると知る(エゼキエル書 24章) 11.08.2025

「エゼキエルは、お前たちにとってしるしとなる。…すべてが実現したとき、お前たちは、わたしが主なる神であることを知るようになる。」 (エゼキエル書24章24節) バビロンがエルサレムを包囲した日、主の言葉がエゼキエルに臨みました。それは、「不貞によってお前が汚れた…わたしが憤りを晴らすまでは、清くなることは決してない」(13節)との厳しい裁きの言葉です。神の民の罪は深く、エルサレムはどう清めようとしても無駄で、...

たとえ誰の目にも留まらなくても(ルカによる福音書 12章22-34節) 10.08.2025

「今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。…」 (ルカによる福音書12章28節) この世界には、空き地や道ばたに生えている草花のように、誰の目にも留まらず失われていく命がたくさんあります。私たち自身、社会の理不尽な仕組みに苦しみ、痛みや無力さを感じながら生きているのです。ところが、その私たちも自分のことで精一杯で、世界の片...

共に集い神を喜び御業を祝う(詩編 92編) 09.08.2025

主よ、あなたは御業を喜び祝わせてくださいます。わたしは御手の業を喜び歌います。 (詩編92章5節) 表題に「賛歌。歌。安息日に」とあります。この詩編は、捕囚から帰還した主の民が第二神殿で喜びの礼拝を献げたときに用いた賛美の歌と考えられています。 捕囚の地で、彼らの生活は過酷でした。中でも特に影響が大きかったのは、共に集う礼拝ができなかったこと。それが、彼らの魂にとって、とても大きなことだったと想像します。...

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