RCJメディアミニストリー
リジョイス聖書日課
リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。
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Episodes
王への服従と王に対する反抗(サムエル記上 22章) 11.12.2025
王は、…近衛兵に命じた。「行って主の祭司たちを殺せ。…」。だが、王の家臣は、その手を下して主の祭司を討とうとはしなかった。 (サムエル記上22章16節~17節) 主なる神は、父母を敬うようにお命じになり(第五戒)、またパウロも「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」と語ります(ロマ13章1節)。あわせて、「良心のためにも、これに従うべきです」と語られています(同5節)。さらにウェストミンスター信仰告白第20章「キリス...
必死のダビデと神の憐れみ(サムエル記上 21章) 10.12.2025
ダビデは…言った。「王はわたしに一つの事を命じて、『お前を遣わす目的、お前に命じる事を、だれにも気づかれるな』と言われたのです。」 (サムエル記上21章3節) ダビデは、祭司アヒメレクから助けを受けるに際して、サウルから追われていることを隠し、サウル王から「お前に命じる事を、だれにも気づかれるな」と命じられたと語り、自分の命を守るために嘘をつきました。その結果、ダビデは本来祭司しか食べることが許されていな...
わたしを刻みつけてください(雅歌 8章) 09.12.2025
わたしを刻みつけてください あなたの心に、印章として (雅歌8章6節) 愛する救い主に「兄」のイメージが重ねられます(1節)。私たちの「長子」イエス・キリストです。しかし、この長子に対しても「愛がそれを望むまでは愛を呼びさまさない」ように(4節)、愛がおのずから発露するまでは愛を口にしないように、つまり、家族に対する安易さで愛を口にするのではなく、その都度、惰性からではない真実の愛に満ちた「神の家族」であ...
愛の喜びに満ちた礼拝生活を!(雅歌 7章) 08.12.2025
喜びに満ちた愛よ あなたはなんと美しく楽しいおとめか。 (雅歌7章7節) 「もう一度出ておいで、もう一度姿を見せておくれ」(1節)という呼び声が聞こえてきます。あなたを主日礼拝から送り出し、また次の礼拝へと招いてくださっている主イエスの御声であるかのようです。 礼拝の中においても、主イエスは大勢の人の中にいるあなたという一人の人に目を注いでおられます。4章に続いてまたしても、あなたという一人の人の体全体に主...
こんな石ころからでも(マタイによる福音書 3章1-12節) 07.12.2025
「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」 (マタイによる福音書3章9節) 洗礼者ヨハネは、荒れ野で来るべきメシアに先がけて、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と人びとに呼びかけました。しかし、ファリサイ派やサドカイ派に対しては「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな」と述べて、洗礼を授けることを拒んだの...
わたしは主のもの最上の喜び(雅歌 6章) 06.12.2025
わたしは恋しいあの人のもの (雅歌6章3節) あなたにとって主は今どこにおられるか改めて問われ(1節)、主の姿を見つめ直し(2節)、わたしは「主のもの」であることを再確認する(3節)。信仰生活はその繰り返しです。 主を見失っていた自分の言動や心の思いを自覚しつつ、いつも真実に主を呼び求めましょう。そのあなたこそ「わたしの目にあなたは値高く、貴く、わたしはあなたを愛し」(イザ43章4節)と言ってくださる方と出会...
一人の救いは教会全体の喜び(雅歌 5章) 05.12.2025
友よ食べよ、友よ飲め。 愛する者よ、愛に酔え。 (雅歌5章1節) 「友よ食べよ、友よ飲め」(1節)の「友」は複数ですから、神の民一人ひとりに対して「愛する者よ、愛に酔え」と言われています。それはただ一人の仲間ゆえです。主が「戸をたたいている」ことを聞き取って「目覚めた」(2節)一人の人がいたことが教会全体の喜びとなります。 最初その人は主が見つかりませんでした(6節)。そこでその人は教会の仲間にとりなしの祈...
われらも愛せん真実な心で(雅歌 4章) 04.12.2025
あなたの愛は美しく ぶどう酒よりもあなたの愛は快い。 (雅歌4章10節) 解決を「求めても求めても、見つからない」長い時間の中で、主の名を切実に呼び求めることを学んだあなたに対して、主は「そのあなたが美しい」と言ってくださいます(1節)。若者が美しい恋人をいつくしむように、今や主はあなたの「目」にも「髪」にも「歯」にも「唇」にも「こめかみ」にも「首」にも具体的な愛の眼差しを注いでくださっています(1~5節)...
もう離しませんと思えるとき(雅歌 3章) 03.12.2025
愛がそれを望むまでは 愛を呼びさまさないと。 (雅歌3章5節) 「愛がそれを望むまでは愛を呼びさまさない」(5節)という不思議なリフレーンが、昨日(2章7節)に続いて現れます。この信仰者(おとめ)は、きょうも愛する救い主が「求めても求めても、見つからない」暗闇の中をさまよっています(1~3節)。昨日の「出ておいで」という呼び声に応じて、苦しい「穴」から出てみたのかもしれませんが、そこも依然として暗闇が支配して...
さあ立って出ておいで(雅歌 2章) 02.12.2025
花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。 (雅歌2章12節) このおとめと同じように、あなたも今、「茨の中」(2節)で「力づけ」(5節)を待ち望みながら、主の愛が具体的に感じられることを願っているかもしれません(6節)。しかし、現実は「岩の裂け目、崖の穴」(14節)の中のよう、「風が騒ぎ、影が闇にまぎれる」(17節)ときが迫っています。しかし、深い暗闇の中から主を呼ぶとき、主は「山を越え、丘を跳んで」(8節)や...
雅歌それは歌の中の歌(雅歌 1章) 01.12.2025
(雅歌1章4節) ヘブライ語では「エルサレム」は女性名詞ですから、聖書では「娘エルサレム」と呼ばれ、そこに住む一人ひとりは「エルサレムの娘」と呼ばれます。雅歌は、そのおとめ(信仰者)の一人が、「王」(4節)・「羊飼い」(7節)である救い主メシアを求めて歌い、それを周りのおとめたち(神の民)が支え励まし、一人の若者が救い主の応答を歌うという究極の救いを歌う歌、原題を「歌の中の歌」という書物です。 「教会」と...
きょう一日を神の言葉と共に生きる(マタイによる福音書 24章36-44節) 30.11.2025
「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。」 (マタイによる福音書24章42節) 主イエスは、世の終わりに起こる出来事について弟子たちに語られた後、「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである」と忠告されました。「目を覚ましている」とは、居眠りをしているところを見つかったらどうし...
霊の剣である神の言葉と祈りによって(エフェソの信徒への手紙 6章) 29.11.2025
また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。…絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。 (エフェソの信徒への手紙6章17節~18節) この手紙の最後となる6章は、子と親、奴隷と主人という当時の社会における身近な人間関係において、信仰者としてふさわしく生きることを教えます。立場や身分の違いはあっても、同じ主を信じる者たちは、主が求められる善いことを行っていきます。 そうした身近な教えに続...
主に結ばれ光の子として歩む(エフェソの信徒への手紙 5章) 28.11.2025
あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。 (エフェソの信徒への手紙5章8節) 5章は、キリストによる救いへと招かれた者の新しい生き方をさらに教えていきます。それは、神に倣う者となることであり、聖なる者にふさわしい生き方をすることです。古い人を脱ぎ捨て、新しい人を身に着けて生きていきます。 その変化はまた、暗闇から光へと言うことができます。かつての罪に...
キリストの豊かさへと成長する(エフェソの信徒への手紙 4章) 27.11.2025
キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ…体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。 (エフェソの信徒への手紙4章16節) 4章は、神の招きによって信仰を与えられ、救いにあずかった者たちが、その招きにふさわしく歩んでいくことの大切さを教えます。その歩みの中で、信仰者は「成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長」していきます(13節)。...
キリストの愛の広さを理解する(エフェソの信徒への手紙 3章) 26.11.2025
あなたがたが…キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり… (エフェソの信徒への手紙3章18節~19節) 2章の終わりで、異邦人にも救いが与えられたことが述べられました。それを受けて3章は、その異邦人に福音を伝える働きのためにパウロが召されたことを教えます。エフェソ教会もパウロの伝道によって生まれた異邦人教会でした。神の大きな救いの計画と、そ...
善い業のために造られた私たち(エフェソの信徒への手紙 2章) 25.11.2025
なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。 (エフェソの信徒への手紙2章10節) 2章では、罪の中で死んでいた私たちを、神はキリストと共に生き返らせてくださったこと、またその救いがイスラエルの民だけではなく異邦人にも与えられたということが教えられています。 死んでいた者が生き返ると言われることからも分かると...
天地創造の前からの神の選び(エフェソの信徒への手紙 1章) 24.11.2025
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 (エフェソの信徒への手紙1章4節) 使徒パウロによるエフェソの信徒への手紙は、全体で6章から成ります。他のパウロの手紙と同じように、おもに前半で救いについて、後半で生き方について教えています。パウロと親しい関係にあったエフェソ教会へ宛てられた手紙ですが、その内容はすべての教会へと向...
十字架の向こう側にある救い(ルカによる福音書 23章32-43節) 23.11.2025
「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 (ルカによる福音書23章41節) 「議員たち」と「兵士たち」は、主イエスに向かって「自分を救え」と嘲り、罵りました。「犯罪人の一人」は「我々を救ってみろ」と言いましたが、この言葉もまた罵りの言葉であって、救い主に対する懇願の言葉ではありません。 ここで彼らが考えていた「救い」とは、一体どういうものだ...
主は御自分の道を示された(詩編 103編) 22.11.2025
主は御自分の道をモーセに 御業をイスラエルの子らに示された。 (詩編103編7節) 作者は、主をたたえるように自らを強く促します。「わたしの魂よ、主をたたえよ」と言って、賛美へと招きます(1節)。主は、罪を赦し、病を癒し、死から贖い出し、良いものに満ち足らせてくださる方だからです。 自分たちには主に対する背きの罪がある。作者はそれを十分自覚しています。だからこそ、主には赦しの道があり、それが大いなる主の憐れ...
とこしえに生きて共におられる主(サムエル記上 20章) 21.11.2025
「安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫の間にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合った…。」 (サムエル記上20章42節) 互いの存在を賭けた、緊張感に溢れる魂のつばぜり合いをなす箇所です。ダビデとヨナタンは、友情を確かめ合います。そして同時に、駆け引きし、家族一族に関わる安全の保証(16節「家の契約」)まで結びます。そのようにして、ダビデの危機回避の綿密な計...
人知を超えて働かれる憐れみ深い神(サムエル記上 19章) 20.11.2025
彼の上にも神の霊が降り、…着物を脱ぎ捨て、預言する状態になったまま、その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた。 (サムエル記上19章23節~24節) 父サウルを説得する子ヨナタン。友ヨナタンと友情を深めながら、王サウルに真摯に仕えるダビデ。悪霊により、猜疑と妬みを深めて殺意を持つサウル。父サウルと夫ダビデの間で葛藤しながらも、偶像テラフィムを手離さず、結局わが身を守るミカル。預言者集団を導きながら...
どこまでも神のみに依り頼む(サムエル記上 18章) 19.11.2025
サウルは、主がダビデと共におられること…を思い知らされて、ダビデをいっそう恐れ、生涯ダビデに対して敵意を抱いた。 (サムエル記上18章28節~29節) サムエルによってダビデが次の王としての油注ぎを受けた日から、主の霊が激しくダビデに降るようになりました(16章13節)。18章では、「主がダビデと共におられ」ることが三回も繰り返されます(12、14、28節)。一方、「神からの悪霊が激しくサウルに降り」ました(10節)。 確...
万軍の主に依り頼む信仰(サムエル記上 17章) 18.11.2025
「わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。…この戦いは主のものだ。」 (サムエル記上17章45節,47節) サムエル記の中で最も長いこの章は、ダビデの輝かしい戦績を語ります。そして同時に、真の主権が神にあることを鮮やかに描きます。生ける神を侮り、その戦列に挑戦するペリシテ人の巨人ゴリアト。対するは主の霊が激しく降るダビデ(16章13節)。手に汗握る一騎打ちです。 イスラエ...
神の選びの主権に従う信仰(サムエル記上 16章) 17.11.2025
「なすべきことは、そのときわたしが告げる。あなたは、わたしがそれと告げる者に油を注ぎなさい。」 (サムエル記上16章3節) 主なる神がダビデに油を注がれる、神の主権が描かれる章です。 イスラエルの民は、サムエルに不満を抱き、周辺諸国のような王を求めました。それは、神を否むに等しい悪でしたが、神は民の求めに応じて、最初に立ててくださったのがサウルでした。サウルは、神に徹底的に従う信仰の試み(13章のペリシテ人...
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