RKB毎日放送

古代の福岡を歩く

History JW ↓ 288 episodes

古代より日本の文化の中心的な役割を担っていた福岡。その福岡の歴史と文化を掘り下げて伝えていきます。 ※RKBラジオで毎週日曜21時30分から放送(毎年10月~3月) 出演:坂田周大(RKBアナウンサー) 中島理恵(リポーター) 番組ホームページ https://rkb.jp/radio/kodai/ https://listen.style/p/kodai? IfTqat2t

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Mar 29, 2026

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Episodes

S10 3回目は高良山と安曇磯良です。 20.10.2024

安曇族の長である安曇磯良は大川市の風浪宮の初代宮司となりますが、磯良は高良山とも関係が深いといわれます。 磯良は神功皇后に仕え、朝鮮出兵では水先案内したり、神功皇后の手足となって大活躍します。 その功績で、神功皇后は高良山の支配権を磯良に与えたといいます。 当時、高良山では胴が採れていたそうですから大変な支配権です。 古代でも、船代や軍備費は必要だったようで、住吉族には水田~裂田の溝を与えたのだそうで...

S10 2回目も大川市の風浪宮です。 13.10.2024

風浪宮には大変ユニークな神事がありました。 それは4月に行われる火清鳴弦御祈祷(ひきめん・ごきとう)という神事。 弓の弦を鳴らして氏子を清める神事です。 これは神功皇后が朝鮮から帰国されてお産に入りますが、難産だったため、悪霊を慰めるために弓で音を鳴らし、悪霊を退散させ、無事に出産させたとったことがあり、 こういった神事が残っているということでした。 大変貴重な神事です。 Learn more about your ad choic...

S10 1回目は大川市の風浪宮を訪ねます。 06.10.2024

4月から9月までは安曇族の足跡を訪ね信州を歩きました。シーズン10に入りました。 今回はその続きで福岡を歩きます。 阿曇族の長である阿曇の磯良の足跡を追跡します。 大川市に風浪宮があります。ここの神社は磯良が神功皇后と共に朝鮮出兵から帰還の際、嵐に遭遇、流れ着いた場所です。 白鷺に導かれた場所に神社を作り、その初代の宮司になったのが磯良です。 神社の近くには磯良の墓だとみられる大きな石蓋をもった磯良塚...

ST-A 安曇族の足跡を探るの26回目は関山神社の仏像 29.09.2024

新潟県の妙高山の近くに関山神社はあります。ここには秘仏といわれる仏像があります。 その仏像は番組で紹介した安曇族が持ち込んだとみられる二つの仏像(対馬の浄林寺の仏像と安曇野の観松院の仏像)に似ている仏像がここにある、というので訪ねました。 しかし、秘仏ですから寺の奥深くにしまわれ、数年に一度しか顔を見せてくれないのです。 そこで、二つの像の写真を寺の総代と地元の仏像研究者に見せ、話を伺ったところ百済...

ST-A 安曇族の足跡を探るの25回目はヒスイについて 22.09.2024

安曇族は新潟県の糸魚川から塩の道である千国街道を通り、安曇野をめざしたとみられています。 このルートは塩を運んだ道であり、日本海の産物を運んだ道でもあり、そして、糸魚川のヒスイを運んだ道とも見られています。さらに運搬に携わったのは安曇族かもしれません。 安曇族は海を渡る技術をもっていました。朝鮮半島との交易に携わり、ヒスイも朝鮮半島の国々に運び、その代わり鉄を我が国に持ち込んだのでは、というのが今週...

ST-A 安曇族の足跡を探るの24回目は糸魚川 15.09.2024

新潟県糸魚川はヒスイの産出地として知られる場所です。 市内中心地から車で10分ほど 高台に上ったところに、縄文時代にヒスイ製品を作っていた加工工房がありました。長者ヶ原遺跡といいます。 標高90メートル、日本海から2.5㎞ほど入った場所にありました。 今から約5000年~4000年前の遺跡です。 初めは大珠という直径5センチを越える大きな玉を作って、これに穴をあけ装身具として作っていたそうです。 時代と...

ST-A 安曇族の足跡を探るの23回目は志賀の島です。 08.09.2024

安曇族の本拠地は福岡市の志賀の島です。 志賀の島には島の至る所に神功皇后の伝説が残っています。 そして、安曇族の長である阿曇の磯良の話も志賀海神社にある二つの亀石に残っています。 亀石は本殿のすぐ横にあり、下の海の中道を見下ろす場所に置いていあります。 亀石はその名のように海亀そっくりの形をしています。 阿曇の磯良はこの亀に乗って、鞨鼓を胸に、舞を舞いながら神功皇后の前に現れるのです。 Learn more about...

ST-A 安曇族の足跡を探るの22回目は八面大王ゆかりの場所です。 01.09.2024

穂高有明矢村には「矢矧三宝大荒神社」、通称「弥助神社」があります。 ここには、弥助という男が、あるとき助けた山鳥が美しい娘となって現れるという民話が残っています。 娘は弥助の妻となり、やがて十三の節がある山鳥の尾羽を使った矢を作ります。 この矢が八面大王を坂上田村麻呂が撃つ力になるという民話です。 神社には、弥助と山鳥の矢がご神体として祀られているそうです。 Learn more about your ad choices. Visit meg...

ST-A 安曇族の足跡を探るの21回目は狐島の話 25.08.2024

八面大王ゆかりの場所を訪ねています。狐島という場所があります。 高瀬川と穂高川に挟まれた場所で州が形成された場所にあります。 狐島の名前の由来は、八面大王が狐に化けて逃げてきたから、だとか藪が多く狐が多かったからだとか、いろんな説があるそうです。 この狐島に1体の観音像がありました。 安曇野に多い馬頭観音かなと、よく見ますと驚いたことに馬頭ではなく狐の顔が彫ってありました。 案内人の川崎さんの話では、...

ST-A 安曇族の足跡を探るの20回目は鼠穴について。 18.08.2024

八面大王のの本拠地だとされるのが有明山の近くにある鼠穴地区です。 ここには、道路のすぐ側に玉垣で囲まれた場所にねずみ石という不思議な伝承をもった石があります。 大きさは1メートル四方くらいで饅頭型の石です。 この石の一部分に握りこぶしくらいの穴があいています。 この穴は有明山の山上にある金明水、銀明水につながっているとか、或いは、善光寺までつながっていて、かつて善光寺で地震があったときその騒動の音が穴...

ST-A 安曇族の足跡を探るの19回目は有明山神社の石碑。 11.08.2024

 八面大王が住んでいたといわれる魏志鬼の岩窟のすぐ近くの有明山神社には面白い石碑がありました。 開運招福という石碑です。 石の形は五円玉を1メートルの大きさにして、真ん中の四角い穴が開いておりその穴をくぐるものです。 面白いのは真ん中の四角い穴を口の字として読む点です。 口の前後と左右に1文字づつ文字が書いてあり、その文字と口の字を合わせて読むと一種の熟語になるという石です。 片方の側には、吾唯足知とあ...

ST-A  安曇族の足跡を探るの18回目も穂高神社です。 04.08.2024

 穂高神社の境内をゆっくり歩きますと、よく神社のことを理解できます。 境内には銅像が二つあります。 一つは、日光泉小太郎と犀龍社です。小太郎は安曇野を切り開いて肥沃な土地にした伝説的人物。 もう一つは、白村江の戦いで百済支援に大きな功績があった阿曇比羅夫の像です。 例年9月に行われる行われる「お船祭」は白村江の戦いで戦死した比羅夫の命日にちなんで行われていると伝わっています。 本殿の横のお船会館には、お...

ST-A 安曇族の足跡を探るの16回目は明科です。 28.07.2024

安曇族の安曇野での拠点となった場所は明科であったといわれます。 そして、明科には大きな伽藍をもった寺があったといわれます。 それが明科廃寺といわれ、現在も発掘調査が続けられています。 調査に携わってこられた安曇野市文化財保護審議会委員の大澤慶哲さんの話では瓦はたくさん出土しているが、伽藍があったかどうかは未だ分からないということ。 そして、安曇氏とお寺の関係もわかっていません。 というのは、調査地点は...

ST-A  安曇族の足跡を探るの17回目は穂高神社です。 28.07.2024

穂高神社は志賀の島の志賀海神社とは深いつながりがあります。 それは、航海や漁業の安全を守る綿津見の神をそれぞれが祖神にもつからです。 穂高神社のご祭神は穂高見の命、綿津見命、それにニニギの命の三神です。 そして、重要なの穂高見の命が祀られている本殿、中殿の屋根の部分。 勝男木が棟の中央から左右にVの字状に伸びていること。 この形が船の棹の形だとか櫓や櫂の形だとかいわれるものです。 これが海人族の神である...

ST-A 安曇族の足跡を探るの15回目は明科について 14.07.2024

安曇族は仏像をもって安曇野へ入った、そして有明山が見える場所、明科(あかしな)に拠点と作った、というのがちひろ美術館の松本猛さんの説です。 松本さんは、その明科に安曇族は寺院も作ったのではないか、それが明科廃寺とされる場所では、とみています。 その証拠に塔の原という場所があり、かつて、塔が建っていた可能性があるとみています。 さらに、最近の調査でも多量の瓦が出土いるのです。 しかし、長年調査に当たって...

ST-A 安曇族の足跡を探るの14回目も仏像について 07.07.2024

安曇野の松川村にある観松院の仏像は、安曇族が持ち込んだのでは、とみていらっしゃるちひろ美術館の松本猛さん。 話はどうやら、527年の磐井の乱と関係ありそうです。 松本さんの説では、磐井の乱の際、磐井がヤマト王権側に敗れたため磐井側だった安曇族は日本海を遡って逃亡。 新潟県糸魚川あたりから陸路安曇野へ入ったのではないか、その際、仏像ももって安曇野へ入った、とみています。 そして、安曇野の有明山が見える明...

ST-A 安曇族の足跡を探るの13回目は仏像について 30.06.2024

安曇野の松川村のお寺、観松院には銅像菩薩半跏像という仏像があります。 この仏像は6世紀の後半から7世紀の初め頃、百済で作られ日本に持ち込まれたとみられるものです。 持ち込んだのは志賀の島を拠点に活躍していた安曇族だ、という説を展開しているのは安曇野の「ちひろ美術館」常任顧問の松本猛さん。 松本さんは、磐井の乱がきっかけで安曇族が九州から日本海沿いに北上し、新潟県糸魚川あたりから仏像をもって安曇野へ入っ...

ST-A 安曇族の足跡を探るの12回目も信濃大町です。 23.06.2024

信濃大町の塩の道博物館「ちょうじや」の隣には大町の祭りを紹介する流鏑馬会館があります。 これは7月の若一王子神社の流鏑馬を紹介している場所です。 流鏑馬の射手士は毎年10町から10人の6才から9才までの男の子が出場します。 衣装は下は袴、上は陣羽織です。 出場する射手士の子供は一日神様として扱われるそうで、人が見てる前では地面に足をつけてはいけないことになっており、馬の乗り降りも大人に抱っこされてするそ...

ST-A 安曇族の足跡を探るの11回目も信濃大町です。 16.06.2024

信濃大町にある塩の道博物館~塩の道・ちょうじやの2回目もちょうじやから。 新潟県糸魚川から松本への塩の道、糸魚川から松本まで120キロありますが、大町までは80キロです。 その80キロの道のりを歩荷(ぼっか)といわれる運び人は、60キロの塩をカマスに入れて背中に背負い大町まで運んだのでした。 糸魚川から運んだものは塩、能登ブリ、エゴ、といったものでした。 帰りに糸魚川に運んだものは麻、タバコ、麦、そば...

ST-A 安曇族の足跡を探るの10回目は信濃大町です。 09.06.2024

信濃大町には、かつて塩問屋であった平林家が「塩の道ちょうじや」という塩の道の博物館の形をとって残っています。 1階には荷車をそのまま店の奥の倉庫へ横付けできるよう、今もレールの跡が残っています。 又、1階の土間にはには一間四方の囲炉裏が切ってあり、塩を運んできた歩荷(ぼっか)という人が草鞋姿のまま囲炉裏にに入れるような構造になっています。 囲炉裏の上は高い吹き抜けになっており、自在鉤が上からぶら下がっ...

ST-A 安曇族の足跡を探るの9回目も塩の道です。 02.06.2024

塩の道で栄えた信濃大町にきました。この町は平安時代末期から鎌倉時代まで仁科氏という豪族が治めた地です。 この町の南東部はこの時代、仁科御厨(みくりや)という伊勢神宮の荘園になったそうです。 仁科氏はその中心部に仁科神明宮を創建し、御厨を管理しこの地を収めていたのだそうです。 この仁科神明宮の本殿と中門は国宝になっており、広い林の中にある建物は荘厳な雰囲気を漂わせています。 この仁科氏の居館は塩の道ぞい...

ST-A 安曇族の足跡を探るの8回目も塩の道を探ります。 26.05.2024

塩の道を青木湖、木崎湖と二つの湖を通って信濃大町に入ってきました。 ここにあるのが若一王子八幡宮。 ここには、神様と仏様が同居するという神仏集合がそのまま残っています。 正面の右の方の手前に三重の塔が、そして正面に観音堂が、左側に本殿があります。 本殿手前の方には赤い鳥居があるという、今では余り見られなくなった神仏習合の姿がここでは見られるのです。 そして、びっくりすのは本殿と本堂が廊下でつながってい...

ST-A 安曇族の足跡を探るの7回目も塩の道です。 19.05.2024

安曇族の足跡を追って塩の道を辿っています。白馬村を少し入ったところに飯森神社がありました。 水神様を祀った神社だそうです。 この辺は水が涸れることはないけれど、水があふれて洪水にしばしば襲われる場所だそうです。 この神社の裏には広大な土地が広がり、遠くに山が見えます。 神社の拝殿、本殿を結んだ先にあるのが八方岳、そしてそこには八方池があり、神社の奥宮があって、例年、洪水にならぬよう地元の方はそこでお祀...

ST-A 安曇族の足跡を探るの6回目は塩の道を訪ねます。 12.05.2024

塩の道に精通していらっしゃる白馬小谷研究社の田中元二さんの案内で、塩の道を糸魚川から少し入った南小谷から松本方面へと向かっています。 大変景色のすばらしい場所へ出ました。白馬村倉下という場所です。 松川という青く澄んだ水が大きな橋の下を流れています。 田中さんの話では塩の道のすばらしい点は、季節によって景色の色が変化することだそうで、上が白銀、下が桜のピンクだったり、新緑の緑だったり、変化に富むのが...

ST-A  安曇族の足跡を探るの5回目は信州へ 05.05.2024

今週から安曇族の足跡を訪ねて信州へ向かいました。 安曇族は、日本海を北上し、信州安曇野へ入っていって住みついたのだ、という説があります。 では、一体どこから信州へ入って行ったのか。 有力な説の一つとして新潟県糸魚川から塩の道、千国街道を通っていったのだ、という説です。 この説を検証するために塩の道を通ってみることにしました。 出発地は、糸魚川からちょっと入ったJR南小谷駅付近から。 案内を頼んだのは、塩...

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