RKB毎日放送

古代の福岡を歩く

History JW ↓ 288 episodes

古代より日本の文化の中心的な役割を担っていた福岡。その福岡の歴史と文化を掘り下げて伝えていきます。 ※RKBラジオで毎週日曜21時30分から放送(毎年10月~3月) 出演:坂田周大(RKBアナウンサー) 中島理恵(リポーター) 番組ホームページ https://rkb.jp/radio/kodai/ https://listen.style/p/kodai? IfTqat2t

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Mar 29, 2026

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Episodes

S1 13回目も太宰府を歩きます。 26.12.2015

大宰府政庁ができたのは、これまでよくわかりないということでしたが、井上さんの話では、どうやら716年から717年頃であり、そして条坊ができたのはそれよりもずっと前の689年頃だということがわかってきました。 そして、この大宰府政庁の設計に携わった人物が、平城京の設計にも携わった粟田の真人という大宰の権の率だった人物。 この人は唐の長安の都を参考に設計したということで、長安の街の何十分の一かの規模で街...

S1 12回目は太宰府を歩きます。 19.12.2015

古代の太宰府の姿が最近徐々に明らかになってきつつあります。 西鉄二日市駅の近くにある客館跡。 電車から見えますから通勤の方はお気づきだろうと思います。かつての外国からのお客様が滞在した場所なんです。 ここで中央からの「合ってもよい」という返事を待った場所です。 この場所は太宰府の条坊の一角にあります。 実は太宰府の条坊は太宰府政庁ができる前からあったのでは、と見られていました。 条坊は、南北2.4キロに...

S1 11回目は下関市の忌宮神社から豊功神社へ 12.12.2015

神宮皇后と仲哀天皇の宮殿跡とみられる豊浦の宮から仲哀天皇の仮埋葬の地を抜けて海岸へ向かいますと、途中小さな川がありました。 壇具川といいます。 幅4~5メートルの川ですが、ここは神功皇后が朝鮮出兵の前に祭壇を設けて祈った場所で、その祀りに使った祭壇や祭具を流した川だということでした。 その少し先の海に面したところに豊功(とよこと)神社がありました。 応神天皇と長府藩の歴代の藩主が祀ってあります。 右手...

S1 10回目は下関市長府にあります忌の宮神社を歩きます。 05.12.2015

ここを歩くのは神功皇后と仲哀天皇がここに宮殿を建て、九州の熊襲平定の策略を練ったところがあるからです。 それは豊浦の宮(とゆらのみや)という宮殿で、場所は長府の忌宮神社が恐らくその跡であろうと云われます。 境内には神功皇后お手植えのさか松といわれるものや、武内宿禰が植えたといわれる銀杏の古木などもあります。 そして、本殿の正面には仲哀天皇が自ら退治したといわれる新羅のジンリンなる者の首が祀ってあると...

S1 9回目は下関の住吉神社を歩きます。 28.11.2015

「福岡」を離れて、どうしても歩かなければならない場所を歩きます。 それは、神功皇后の福岡への出発地です。 神功皇后を夫の仲哀天皇は熊襲を討つために山口県下関に宮廷を造り、ここを拠点に福岡へと出発します。 その宮殿の跡だといわれるのが、長府にある忌宮(いみのみや)神社です。 ここには神功皇后と大変つながりの深い住吉神社もあります。 長門一の宮、住吉神社といわれるものです。 忌宮神社を訪ねる前にここに参拝し...

S1 8回目は新羅の王子が歩いた大宰府 21.11.2015

大宰府にある水城は日本と百済の連合軍が白村江の戦いで敗れた後に、新羅や唐から攻めてくるのを危惧して造られたものです。 その数年後に新羅の王子が大宰府にやってきて、大宰府を歩いていたとは驚きです。 白村江の戦いの5年後には新羅と日本は仲良くなっていたんです。 大宰府にやってきたのは金泰廉という王子様一行で、船をつけたのは那の津。 つまり博多港。ここへ7隻の船に700余人が上陸しました。 その内の半分が役...

S1 7回目は福津市の新原・奴山古墳を歩きます。 14.11.2015

この古墳は2017年に世界文化遺産登録をめざす「宗像・沖の島と関連遺産群」に入ります。 現在着々と準備が整えられています。 この新原・奴山古墳を一望に見渡せる場所があります。昭和学園という学校の前からの眺めが一番です。 ここからは目の前に玄界灘が広がり、大島も見えますし、はるか水平線の向こうに沖の島があるという場所です。 ここの古墳群は5世紀前半から6世紀後半に造られた古墳で円墳35基、前方後円墳5基、...

S1 第6回目は福津市の神功皇后ゆかりの場所を歩きます 07.11.2015

神功皇后のゆかりの地は那珂川町から始まり、福岡市の海に面した地にはたくさん残っているというのが今回の福津市を歩いて分かってきました。 神功皇后が朝鮮出兵に出る時、そして帰還した時と、両方にゆかりの地があるのです。 まず、出征する前に神に祈った地が福津市の宮地嶽の頂上です。宮地嶽神社の裏山になります。 高さ100メートル余りの山です。 そして、神功皇后が祀られているのが宮地嶽神社ということになります。...

S1 5回目は筑紫郡那珂川町を再び歩きます 31.10.2015

裂田の溝につながる古代の用水路を歩きますと、そこここに古代の人の知恵が感じられます。 用水路の幅は5~6メートル。深さは1メートルくらい。そしてこの用水路ごしに民家と結ぶ石の橋がかかっています。 この橋の幅が民家によって長さが違うんです。つまり、長い橋もあれば短い橋もある。 これは、川の幅が大きいところと小さいところがあるということです。 この川幅を調整することで砂が溜まらないようにする工夫がしてある...

S1 4回目は神功皇后について 24.10.2015

筑紫郡那珂川町を3回にわたって歩きました。 ここには日本書紀に記載された古代の灌漑用水路「裂田の溝」がありました。 しかも、現在もその時代から引き続き使われていたのは驚きでした。 この裂田の溝を造ったのは神功皇后です。 この那珂川町には神功皇后の話が至る所にありました。 そこで、今週は神功皇后はどういった皇后だったのか、いつ頃那珂川町にやってきたのかなど、神功皇后の研究では第一人者の「神功皇后の謎を解...

S1 3回目那珂川町を歩く 17.10.2015

今週も筑紫郡那珂川町を歩きます。 神功皇后が造ったといわれる古代の灌漑用水路のある裂田の溝(さくたのうなで)にやってきました。 用水路は幅5~6メートル、深さは1メートル少々かなといったところ。 伏見神社横の一の堰から裂田神社へ続いて、神社をぐるっと回りこんでいきます。 ここに大きな花崗岩の岩盤がありました。 岩盤は50メートル以上はあろうという巨大なものでした。 ここで工事に行き詰まった神功皇后は武内...

S1 2回目引き続き那珂川町を歩く 10.10.2015

現人神社、天の岩戸と歩き、今週は伏見神社へやってきました。 この神社は神功皇后の妹のここにも神功皇后の足跡が残っていました。 那珂川町で絵馬が一番たくさん残っているという伏見神社。 実はここの絵馬にはナマズの絵がたくさんあるのです。 案内してくださる白水さんの話によりますと、何でも神功皇后が三韓出征の折、皇后の船に飛び込んだのがナマズ。 皇后はこの時「ナマズメタイ」とおっしゃたところから、この魚が「ナ...

S1 1回目 那珂川町を歩く 03.10.2015

シーズン1の1回目は筑紫郡那珂川町を歩きます。 奴国の王墓とみられる春日市の須久・岡本遺跡付近から那珂川をずっとさかのぼった所に広がる那珂川町。 まず、びっくりしたのは神話の世界がいきなり目の前に広がったことです。 天の岩戸伝説のある岩戸村。ここには幅15メートル、高さ6.5メートルの大岩があります。 この岩のある場所がいかにも神話の中。小高い山の頂上付近にあります。 岩への入り口は苔むした急な石段が3...

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