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リジョイス聖書日課

リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。

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13 okt 2026

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Avsnitt

主に託された働きに励む(ヨブ記 24章) 21.04.2026

なぜ、全能者のもとには さまざまな時が蓄えられていないのか。 なぜ、神を愛する者が 神の日を見ることができないのか。 (ヨブ記24章1節) ヨブは心にある葛藤を述べています。「なぜ、神を愛する者が、神の日を見ることができないのか。人は地境を移し、家畜の群れを奪って自分のものとし、みなしごのろばを連れ去り、やもめの牛を質草に取る」(1~3節)。ヨブは現実の世界で起きている悪人の暴虐的行為を記します。なぜ、そのよ...

苦難のなかで信頼できる幸い(ヨブ記 23章) 20.04.2026

わたしは暗黒を前にし 目の前には闇が立ちこめているのに なぜ、滅ぼし尽くされずにいるのか。 (ヨブ記23章17節) ヨブと友人たちの議論は平行線をたどったままです。この章にはヨブの言葉が記されていますが、神に対する彼の切々たる訴えです。「どうしたら、その方を見いだせるのか。おられるところに行けるのか。その方にわたしの訴えを差し出し、思う存分わたしの言い分を述べたいのに」(3、4節)。 ヨブ記は正しい人ヨブの受...

主が共に歩まれるとき祈りが生まれる(ルカによる福音書 24章13-35節) 19.04.2026

無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。 (ルカによる福音書24章29節) 自分も含めて人が人を理解するのはとても難しいことです。まして神を理解することは人の力の及ばないことです。神学において「神はただ神によってのみ開示される」という言葉がありますが、きょうの箇所では、そのことがあてはまります。 エマオの途上にあった二人の弟子は、主イエスを慕い、聖書にも詳しかったと思います。しかし、他の...

恥が満ちる世の中で主の憐れみを求める(詩編 123編) 18.04.2026

わたしたちを憐れんでください。主よ、 わたしたちを憐れんでください。 わたしたちはあまりにも恥に飽かされています。 (詩編123編3節) きょうの御言葉は、主に憐れみを乞い求めるものです。その憐れみを求める理由は、聖なる神を冒涜する汚れや罪による恥が私たちの周囲を取り囲むように満ちているからです。 私たちはそのような境遇におかれている自覚がどれほどあるでしょうか。商品の宣伝やメディアの喧騒等の中で、私たちの...

神をより深く知る恵み(ヨブ記 22章) 17.04.2026

だからこそ あなたの周りには至るところに罠があり 突然の恐れにあなたはおびえる。 (ヨブ記22章10節) ヨブと友人たちの議論の第三回目のサイクルがここから始まっています。友人たちはヨブが苦難に遭っているのは、彼が犯した罪に対する神の刑罰である、と主張してきました。ヨブとの対立はさらに深まり、彼を深い苦悩に陥らせていきます。ここでエリファズは「あなたは甚だしく悪を行い、限りもなく不正を行ったのではないか」(...

慄然とし身震いしたとしても(ヨブ記 21章) 16.04.2026

わたし自身、これを思うと慄然とし 身震いが止まらない。 (ヨブ記21章6節) 今までの議論で友人たちに共通したことは、要するに悪人は富み栄えても、必ず神の裁きに遭って滅亡するということです。まさにこの人生観に対してヨブは異議を唱えます。現実はむしろ悪人の方が繁栄し富み栄えながら(7~12節)、「幸せに人生を送り、安らかに陰府に赴く」(13節)のです。 こうしてヨブは、友人たちの因果応報的な原理が現実には破綻して...

機械的なツォファルの信仰観(ヨブ記 20章) 15.04.2026

神に逆らう者が神から受ける分 神の命令による嗣業はこれだ。 (ヨブ記20章29節) 20章は友人ツォファルの二回目の発言です。しかし、このヨブへの反論も、先の二人と同じ内容で、神に逆らう悪人の悲惨な末路を繰り返すことでヨブの改心を求めるだけのものでした。29節で「神に逆らう者が神から受ける分」と述べています。ツォファルも、ヨブをはじめから悪人と断定し、断罪するのみです。ツォファルも他の友人たちと同様、「因果応...

わたしを贖う方は生きている(ヨブ記 19章) 14.04.2026

わたしは知っている わたしを贖う方は生きておられ ついには塵の上に立たれるであろう。 (ヨブ記19章25節) 「どこまであなたたちはわたしの魂を苦しめ、言葉をもってわたしを打ち砕くのか」(2節)。呻くようにヨブは語り始めています。友人たちの言葉はヨブをひどく苦しめました。友人たちは、苦しみの原因をヨブ自身に負わせようとします。 しかし、今の苦しみはヨブ自身に原因があるのではなく、神が義を曲げられたという理解に...

苦しみは神の呪いの結果なのか(ヨブ記 18章) 13.04.2026

神に逆らう者の灯はやがて消え その火の炎はもはや輝かず その天幕の灯は暗黒となり 彼を照らす光は消える。 (ヨブ記18章5節~6節) 18章は、友人ビルダドの二回目の発言です。ビルダドは「話し合おう」(2節)と提案しますが、初めからヨブを理解しようとはせず、ヨブが彼らの言葉を受け入れることを求めています。その後に続く言葉は、もはや勧告や励ましではなく、ヨブに対する一方的な断罪と非難です。ビルダドは、ヨブを「怒り...

鍵をかける私たちと平和を与える主(ヨハネによる福音書 20章19-31節) 12.04.2026

戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 (ヨハネによる福音書20章26節) 主イエスは十字架で処刑されました。今度は自分たちが捕らえられると弟子たちは思っていたかもしれません。ユダヤ人を恐れて自分たちのいる家の戸に鍵をかけていました。 この弟子たちの姿は、私たちの姿と重なります。私たちも恐れや不安を抱えていると、少しでも安心できると思う場所に...

主の平和を互いに求めつつ祝福を祈る(詩編 122編) 11.04.2026

わたしは言おう、わたしの兄弟、友のために。 「あなたのうちに平和があるように。」 (詩編122編8節) きょうの御言葉は、主イエスが、十字架の上で成し遂げられた贖いの御業を信じる者たちにとっては、神との交わりを与えられた恵みと平安を覚えて、お互いに、平和と祝福を祈り合う祈りの言葉です。 主イエス御自身、墓から三日目に復活された、一週の初めの日の夕方、ユダヤ人を畏れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて閉じこも...

神御自身があなたがたを強め力づける(ペトロの手紙一 5章) 10.04.2026

しかし、あらゆる恵みの源である神…が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。 (ペトロの手紙一5章10節) ペトロの手紙一は、締めくくりで、「身を慎んで目を覚ましていなさい」と勧めています(8節)。4章7節の「思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい」を思い起こすことができます。目を覚ましているとは、祈ることと一つです。祈ることによって、私た...

思慮深く身を慎み祈りなさい(ペトロの手紙一 4章) 09.04.2026

万物の終わりが迫っています。だから、思慮深くふるまい、身を慎んで、よく祈りなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。… (ペトロの手紙一4章7節~8節) 信仰者として生きるとは、終わりを知る者として生きるということです。神が初めであり、終わりであられます。それゆえ、たとえ今、迫害の中で苦しめられているとしても、その苦しみには終わりがあるのです。 「万物の終わりが迫っています」。「終わり」という言葉に...

祝福を受け継ぐために召された(ペトロの手紙一 3章) 08.04.2026

悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。 (ペトロの手紙一3章9節) ペトロの手紙一は、とても実践的な手紙です。異教の地に散らされて迫害の中を歩む信仰者に対して、具体的な生活の知恵を教えています。それは、神のしもべとして生きること、仕える者として生きることです。 具体的には、「主のために、すべて人間の立てた制度に従い...

選ばれた尊い生きた石(ペトロの手紙一 2章) 07.04.2026

この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。 (ペトロの手紙一2章4節) 迫害の中で散らされていた信仰者たちは、自分たちは神にも人にも見捨てられたと思うようなことがあったかもしれません。決して見捨てられてはいない。そう言うかのように、ペトロは、私たちの救い主こそが人びとからは見捨てられたお方であったことを思い起こさせます。 「主は、人々から...

神の力により信仰によって守られている(ペトロの手紙一 1章) 06.04.2026

あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。 (ペトロの手紙一1章5節) ペトロの手紙一は、今日のトルコにあたる小アジアの各地に散らされた信仰者に宛てられた手紙です。使徒ペトロは、この手紙をとおして、ローマ帝国の迫害の中でも神の恵みに固く立って耐え忍ぶよう、散らされている信仰者を励ましています。 私たち信仰者が迫害の中で耐え忍ぶこと...

喜びの再会を約束される復活の主(マタイによる福音書 28章1-10節) 05.04.2026

「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」 (マタイによる福音書28章10節) 同じ名前の二人のマリアは、主イエスの墓を前にして恐れていました。大きな地震が起こったかと思うと天使が墓の石を転がし、その上に座ったからです。何が起こったのか、墓の番をしていた兵士たちもわかりません。恐ろしさのあまり、兵士たちは墓に埋められた死人のようになってし...

主の見守りの中で霊の目を覚まして祈る(詩編 121編) 04.04.2026

主がすべての災いを遠ざけて あなたを見守り あなたの魂を見守ってくださるように。 (詩編121編7節) きょうの詩編の御言葉は、「主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように」祈るよう導きます。私たちは、受難日を経たきょう、主イエスご自身が、ゲツセマネの園で「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」(マタ26章38節)と弟子たちに命じられたこ...

夜ごと涙が溢れてわたしは祈る(詩編 6編) 03.04.2026

主はわたしの嘆きを聞き 主はわたしの祈りを受け入れてくださる。 (詩編6編10節) きょうは受難日。私たちの罪のため、十字架に架かってくださった主イエスの御苦しみと愛を特別に覚えます。この日に、「主よ、怒ってわたしを責めないでください」(1節)と、口に出して読んでみましょう。「わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのでしょう」(4節)と声に出して、主に叫んでみましょう。 主は受け入れてくださいま...

どこに希望があるのか(ヨブ記 17章) 02.04.2026

どこになお、わたしの希望があるのか。 誰がわたしに希望を見せてくれるのか。 (ヨブ記17章15節) ヨブの嘆きは17章でも続きます。後半の12節以下で、ヨブはこのように語っています。「夜は昼となり、暗黒の後に光が近づくと人は言うが、…墓穴に向かって『あなたはわたしの父』と言い、蛆虫に向かって『わたしの母、姉妹』と言う」。 暗闇の後に光が近づく。これは誰もが望むことです。しかし、今のヨブの状況は、死後の世界に等し...

わたしを執り成し弁護される方(ヨブ記 16章) 01.04.2026

このような時にも、見よ 天にはわたしのために証人があり 高い天には わたしを弁護してくださる方がある。 (ヨブ記16章19節) 15章で、エリファズは悪人が滅びへと至る描写をヨブに当てはめて語りました。ヨブを襲っている苦しみは、悪人が受けるべき報いであると、彼は言いたいのです。その言葉にいっそう苦しめられたヨブは、「そんなことを聞くのはもうたくさんだ」と口にしています(2節)。この章のヨブの応答は、友人に向けた...

この苦しみは悪の報いかそれとも……(ヨブ記 15章) 31.03.2026

さて、悪人の一生は不安に満ち 暴虐な者の生きる年数も限られている。 (ヨブ記15章20節) 15章からヨブと友人たちの議論の二回目のサイクルが始まります。この章における友人エリファズの発言は、一回目(4~5章)よりも激しくなっています。 後半の17節以下から、エリファズは、悪人の運命について叙述的に語っています。ここで言われていることは、悪人が、やがては滅びに至るということです。明らかにヨブに当てはめて語っていま...

神に愛されるという信仰的な現実(ヨブ記 14章) 30.03.2026

どうか、わたしを陰府に隠してください。… しかし、時を定めてください。 わたしを思い起こす時を。 (ヨブ記14章13編) ヨブは、神がヨブを懲らしめることの不合理さを申し立てるにあたり、人間という存在の弱さを強調します(1、2節)。神がとりたてて懲らしめたりしなくても、放っておけばいずれはしおれる。切られたところから若枝が芽吹き命を繰り返すという、樹木のような性質はない(7~10節)。それが人間だ、と言うのです。...

旧約の成就新しい時代の幕開け(マタイによる福音書 27章11-56節) 29.03.2026

百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、…「本当に、この人は神の子だった」と言った。 (マタイによる福音書27章54節) 主イエスは、父なる神の御怒りを全存在でお受けになりました。遂に、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と絶叫して息を引き取られました。主イエスは、このようにして旧約時代の人びとから今を生きる私どもまで、全人類の罪を完全に贖ってくださったのです。 その証拠として...

祈りを聞いてくださる主へと向かう(詩編 120編) 28.03.2026

苦難の中から主を呼ぶと 主はわたしに答えてくださった。 (詩編120編1節) もっとも長い119編に続いて「都に上る歌」という表題が付けられた15の詩編がまとめられています。これらは「巡礼の歌、巡礼歌集」と呼ばれます。120編は、その「巡礼歌集」の最初に置かれていますが、この詩編には、直接的に巡礼を示唆する言葉はありません。 詩人は、「苦難の中から主を呼ぶ」と告白し、主が応えてくださったと証言します。彼は、自分を傷...

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