RCJメディアミニストリー
リジョイス聖書日課
リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。
Visita il sito del podcast e sostieni chi lo crea: www.rcj.gr.jp
Dove ascoltare?
I podcast nell'app Replaio Radio In arrivoI podcast stanno per arrivare nell'app. Installala ora e scopri per primo un modo tutto nuovo di vivere i podcast
Episodi
父なる神(詩編 103編) 14.04.2021
父がその子を憐れむように 主は主を畏れる人を憐れんでくださる。 (詩編103編13節) 神は「父」です。古代社会において父は大きな権威を持っていました。誰も父を侮ることはできません。しかし、神の父としての権威は横暴な支配者がふりかざすようなものではなく、子どもに対する愛と憐れみに満ちたものです。父がその子を憐れむように、神は私たちを憐れんでくださいます。 このことは、使徒信条を読み進めていくときにさらに明ら...
信ず(創世記 15章1-6節) 13.04.2021
アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 (創世記15章6節) 使徒信条は、「信ず」という言葉を繰り返します。キリスト教における「信じる」とは、確かな対象を真理として信じるということです。父なる神、子なる神、聖霊なる神を信じるのです。 この神は生きて働いておられます。信じるとは、神が真実であられること、その神が呼びかけてくださることに対する応答です。神はアブラハムに語りかけ、約束の地へと旅立つ...
我は(コリントの信徒への手紙二 4章7-15節) 12.04.2021
「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。 (コリントの信徒への手紙二4章13節) 使徒信条は、「我は」と一人称単数形で信仰を告白します。他の誰かがこう思っているとか、世の中ではこう考えられているということではなく、この「わたし」が信じていることを告白するのです。 その内容は、父、子、聖霊なる神とその働...
主のみが与えることのできる真の平和(ヨハネによる福音書 20章19-31節) 11.04.2021
さて8日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 (ヨハネによる福音書20章26節) 復活なさった主イエスが弟子たちの前に現れるたびに使われた言葉が、「あなたがたに平和があるように」でした。その場所にいなかったトマスのために再び現れ、平和を宣言なさいました。31節までの間で3回繰り返されて、強調...
主イエスはいつまでもあなたと共にいる(マタイによる福音書 28章16-20節) 10.04.2021
「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 (マタイによる福音書28章19節~20節) 復活の主イエスは、ガリラヤのとある山の上で弟子たちとお会いになりました。これまで数々の教えと奇跡によって主の力と栄光を現わされた山の上で、主イエ...
イエスが主であると知る(ヨハネによる福音書 21章1-14節) 09.04.2021
イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。 (ヨハネによる福音書21章5節~6節) 復活された主イエスは、繰り返し何度もご自身を弟子たちに現わされました。弟子たちがエルサレムからガリラヤへと移動したときも...
十字架で死なれた同じ主が生きている(ルカによる福音書 24章36-49節) 08.04.2021
そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。…亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。 (ルカによる福音書24章38節~40節) エマオの途上で復活の主イエスと出会ったクレオパたちは、エルサレムに戻って他の弟子たちに事の次第を話しました。そこに主イ...
心を燃やし、信仰の目を開かれる主(ルカによる福音書 24章13-35節) 07.04.2021
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。 (ルカによる福音書24章31節~32節) 週の初めの日、二人の弟子がエルサレムからエマオの村に向かっていました。するとそこに、復活された主イエスが近づいて一緒に歩き始められました。 けれども、弟子たちは目の前にいる主イ...
捜しているお方に出会う(ヨハネによる福音書 20章11-18節) 06.04.2021
イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。…イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。 (ヨハネによる福音書20章15~16節) 葬られたはずの主イエスの体が墓の中にない。せめて遺体に香油を塗って思いを馳せたいと思っていたマリアの悲しみはとても大きく、ただ墓の外で泣いていました...
主イエスの復活を信じる(ヨハネによる福音書 20章3-8節) 05.04.2021
そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。…イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。」 (ヨハネによる福音書20章3節、7~8節) 御使いから主イエスが復活されたことを聞いたマグダラのマリアたちは、このことを弟子たちに報告しました。 弟子たちにとって驚くべき報告でしたが、ペトロとヨハ...
週の初めの日の朝(マルコによる福音書 16章2-6節) 04.04.2021
そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。…若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」 (マルコによる福音書16章2節、6節) 主イエスが十字架につけられて殺されたことは、多くの弟子たちの心をどん底へと落としました。落ち込んでいる女性の弟子たちは、安息日が終わる...
十字架上の第七のことば-凱旋-(ルカによる福音書 23章44-49節) 03.04.2021
イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。 (ルカによる福音書23章46節) いよいよ、十字架上の最後の言葉に至りました。主イエスは「成し遂げられた」と勝利を宣言されて後、死を目の前にして大声で叫ばれました。すでに、肉体の力はすっかり失われていたのにもかかわらず、大声で叫んで言われたのです。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」。 この事実から、私たちは何...
十字架上の第六のことば-勝利-(ヨハネによる福音書 19章29-30節) 02.04.2021
イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。 (ヨハネによる福音書19章30節) もしも、もしもこのとき、「成し遂げられなかった」と主が嘆きの内に言われたのなら、私たちはどうなっていたでしょうか。ちょっと考えてみましょう。 そのとき私たちは、平安を失い、真っ暗闇に閉じ込められ、そして、恐怖と絶望の足かせをはめられます。なぜなら、主の救いの御業は未完成に終わってし...
十字架上の第五のことば-苦痛-(ヨハネによる福音書 19章28節) 01.04.2021
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。 (ヨハネによる福音書19章28節) 「今や成し遂げられたすべてのこと」とは、何のことでしょうか。この問いに対する答えがイザヤ書53章5節にあります。すなわち「彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたした...
十字架上の第四のことば-苦悩-(マタイによる福音書 27章45-50節) 31.03.2021
3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 (マタイによる福音書27章46節) 主は、小さな声でつぶやいて言っておられるのではありません。大声で叫んで言われたのです。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。まことに、張り裂けた苦悩の叫びです。 主が十字架に架けられたのは午前9時のこと...
十字架上の第三のことば-愛情-(ヨハネによる福音書 19章26-27節) 30.03.2021
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。 (ヨハネによる福音書19章26節~27節) 主イエスには弟・妹たちがいました(マコ6章3節)。それ故、ご自分が世を去った後の母の世話は、その兄弟たちの役目です。ところが、主は彼らの了解を得ること...
十字架上の第二のことば-救い-(ルカによる福音書 23章39-43節) 29.03.2021
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。 (ルカによる福音書23章43節) 主イエスと一緒に二人の犯罪人が十字架に架けられました。十字架に架けられるほどの犯罪人ですから、彼らは相当の悪事を重ねて来たのです。強盗、略奪そして殺人。それ故、「あの男によってわたしの人生は滅茶苦茶にされてしまった。あの男は地獄に堕ちろ!」と思っている人が何人もいるのです。 主イエ...
十字架上の第一のことば-赦し-(ルカによる福音書 23章32-38節) 28.03.2021
[そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」] (ルカによる福音書23章34節) 十字架に架かられた主イエスの最終的な死因は、窒息死であると考えられています。死に至るまでの経過は、およそ次のようでした。 主が十字架に吊るされたその時、まず両肩が脱臼し、体がずれ下がります。しかし、この沈み込んだ体勢のままでは息を吸い込むことができません。そこで、釘を打ち...
赦しを求めて(ヨブ記 14章) 27.03.2021
呼んでください、わたしはお答えします。 御手の業であるわたしを尋ね求めてください。 (ヨブ記14章15節) ヨブは、「御手の業であるわたし」と言いました。神が愛の御手で形造ってくださったわたしであることを、思い出しているのです。「わたしを尋ね求めて」、以前のように、神の御そば近くに置いてください、「わたしの罪を袋の中に封じ込め、わたしの悪を塗り隠してください」(17節)と、罪の赦しを願っています。神の命と恵...
なぜ、あなたは(ヨブ記 13章) 26.03.2021
なぜ、あなたは御顔を隠し わたしを敵と見なされるのですか。 (ヨブ記13章24節) 13章には、ヨブの苦しみが凝縮されています。「わたしが話しかけたいのは全能者なのだ。わたしは神に向かって申し立てたい」(3節)。「このわたしをこそ、神は救ってくださるべきではないか。神を無視する者なら、御前に出るはずはないではないか」(16節)。「わたしのために争ってくれる者があれば、もはや、わたしは黙って死んでもよい」(19節)...
不条理の中で(ヨブ記 12章) 25.03.2021
神に呼びかけて 答えていただいたこともある者が 友人たちの物笑いの種になるのか。 神に従う無垢な人間が 物笑いの種になるのか。 (ヨブ記12章4節) ヨブは自らを、「神に呼びかけて、答えていただいたこともある者」、「神に従う無垢な人間」だと語ります。神の命と恵みの約束の中で、真心から神を畏れて歩んできたのに、今や、自分は町中の人から蔑まれ、友人たちの物笑いの種にされている、とヨブは嘆いています。 神の沈黙と不...
試練の意味(ヨブ記 11章) 24.03.2021
あなたは言う。 「わたしの主張は正しい。 あなたの目にもわたしは潔白なはずだ」と。 (ヨブ記11章4節) 友人ツォファルは、潔白を主張するヨブに対して、「口がうまければそれで正しいと認められるだろうか」、「あなたの無駄口が人々を黙らせるだろうか」と反論します(2、3節)。しかし、この反論は正しいのでしょうか。 神御自身が、ヨブを「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている」と語られたのです。ヨブは、罪の...
命と恵みの約束(ヨブ記 10章) 23.03.2021
わたしに命と恵みを約束し あなたの加護によって わたしの霊は保たれていました。 (ヨブ記10章12節) ヨブは、愛を込めて丹念に自分を造り、命と恵みを約束してくださった神を知っています。変わらぬその約束の内に、わたしの魂は守られ、保たれてきたのだと。しかし今、神はわたしの過ちに目を留めて、裁きと苦役を課す御方に変わってしまった、わたしは赦されることのない怒りの子になってしまったのではないだろうかと、思い巡ら...
仲裁者を求めるヨブ(ヨブ記 9章) 22.03.2021
あの方とわたしの間を調停してくれる者 仲裁する者がいるなら わたしの上からあの方の杖を 取り払ってくれるものがあるなら その時には、あの方の怒りに脅かされることなく 恐れることなくわたしは宣言するだろう わたしは正当に扱われていない、と。 (ヨブ記9章33節~35節) すべてを失ったヨブに残されたものは、「わたしの僕ヨブ」と親しく呼んでくださる神との関係でした(1章8節)。しかし、それならば何故、このような苦難に...
裁きでなく救いのために(ヨハネによる福音書 3章14-21節) 21.03.2021
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。 (ヨハネによる福音書3章16節~17節) ある夜、ファリサイ派に属するニコデモが、主イエスのもとを訪ねます。彼は、主イエスのことを「神のもとから来られた教師」と告白します。神の国を求めるニコデモに対して...
Podcast simili
Replaio non è un editore di podcast; i nomi dei programmi, le copertine e l'audio appartengono ai rispettivi autori e vengono distribuiti tramite feed RSS pubblici