RCJメディアミニストリー
リジョイス聖書日課
リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。
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神よ願くば汝の栄光を仰がしめ給へ(ローマの信徒への手紙 11章36節) 29.04.2024
すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。 (ローマの信徒への手紙11章36節) 78年前のきょう、日本キリスト改革派教会は「神よ願くば汝の栄光を仰がしめ給へ。我等与へられし一切を汝に捧ぐれば、汝のみを我等の神、我等の希望と仰がせ給へ。汝が我等の衷に肇め給ひし大なる聖業を完遂せしめ給へ」との「創立宣言」をもって、神の御前にその歩みを始めま...
わたしにつながっていなさい(ヨハネによる福音書 15章1-8節) 28.04.2024
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」 (ヨハネによる福音書15章4節) きょうは、主イエスがご自身をまことのぶどう木に譬えられたお話からです。この木と枝との関係を通して、主イエスとのつながりによって私たちは確かに活かされ、確かな命を得ていることがダイナミックに示されます。そのような中に「きょうの聖句」があります。この言葉は元の言い回しでは、「わたしの中にいなさい。わたしも...
エルサレムと共に喜び祝え(イザヤ書 66章) 27.04.2024
母がその子を慰めるように わたしはあなたたちを慰める。 エルサレムであなたたちは慰めを受ける。 (イザヤ書66章13節) イザヤ書の後半部分は、バビロン捕囚の出来事によってイスラエルの国が失われ、神殿が破壊されたことが背景にあると考えられています。66章で、主は、エルサレムに訪れる救いを約束します。エルサレムは神を礼拝する場所でした。たとえ荒廃した中であったとしても、エルサレムに訪れる救いの事実を共に喜ぶよう...
神が造られる新しい世界の希望(イザヤ書 65章) 26.04.2024
狼と小羊は共に草をはみ 獅子は牛のようにわらを食べ、…わたしの聖なる山のどこにおいても 害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。 (イザヤ書65章25節) イスラエルの民が神を求めなくとも、神は救いの手を差し伸べ続けてきました。1、2節は、実に慰めに満ちた神の愛が語られています。神に背く民に、「わたしはここにいる、ここにいる」と神は言い続けてくださったのです。 13~16節は、神に従う敬虔な「僕ら」と、神に逆...
私たちを救い出す創造主(イザヤ書 64章) 25.04.2024
しかし、主よ、あなたは我らの父。 わたしたちは粘土、あなたは陶工 わたしたちは皆、あなたの御手の業。 (イザヤ書64章7節) 63章に引き続き、預言者の祈りの言葉が続きます。預言者は民たちの罪を告白しています。「わたしたちは皆、汚れた者となり、正しい業もすべて汚れた着物のようになった」(5節)。ここの「汚れ」は、律法が指し示す汚れを意味しています。つまり、神との交わりにふさわしくなく、主の民から排除されなけれ...
私たちの希望は父なる神のみ(イザヤ書 63章) 24.04.2024
アブラハムがわたしたちを見知らず イスラエルがわたしたちを認めなくても 主よ、あなたはわたしたちの父です。 (イザヤ書63章16節) 「そのとき、主の民は思い起こした」と言われています(11節)。神の裁きを経験し、神の怒りを目の当たりにした彼らは、その嘆きの中で、かつてのイスラエルが受けてきた主の憐れみを思い出しました。11節から14節では、主なる神によってエジプトの奴隷から解放されたことが思い起こされています。...
わたしは決して黙さない(イザヤ書 62章) 23.04.2024
シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず エルサレムのために、わたしは決して黙さない。 (イザヤ書62章1節) 預言者はエルサレムのために「決して黙さない」と宣言します。預言者は、黙ることなく、メッセージを語り続けます。「彼女の救いが松明のように燃え上がるまで」(1節)と言われているように、絶望の中にある人びとに、主の光が照らされ、救いが与えられる「まで」です。 その救いの時、エルサレムは「夫を持つもの」...
主は賛美の衣をまとわせる(イザヤ書 61章) 22.04.2024
シオンのゆえに嘆いている人々に 灰に代えて冠をかぶらせ 嘆きに代えて喜びの香油を 暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。 (イザヤ書61章3節) 61章は、福音を告げ知らせるメシアの存在が預言されています。預言者は、悲惨の中にある人びとに対して、具体的に分かる言葉で、希望を語りました。貧しい者には福音が語られる。打ち砕かれた心が包まれる。捕らわれた者、つながれている者には自由と解放が与えられる。福音は、た...
主の御声を聞き分け主に導かれる(ヨハネによる福音書 10章7-18節) 21.04.2024
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。」 (ヨハネによる福音書) この章は、主イエスが羊の門や羊飼いに、そして私たちが羊に譬えられている箇所です。9節ではご自身を「門」に譬えられて、「わたしを通って入る者は救われる」、豊かな命を得ることになると言われて、主の門をくぐった者たちの幸いと励ましが語られています。 そのような関係性の...
だれでも立ち寄るがよい(箴言 9章) 20.04.2024
はしためを町の高い所に遣わして 呼びかけさせた。 「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい。」 (箴言9章3節~4節) 9章には二つの招きが語られています。一つは1節から6節の知恵の招きで、もう一つは13節から18節の愚かさという女の招きです。どちらも同じ言葉で人びとを招きます。「浅はかな者はだれでも立ち寄るがよい」と。しかし、その招き方と招きに応じた結果はまったく異なります。 愚かな女の招き方から見てみましょう。自...
主の栄光はあなたの上に輝く(イザヤ書 60章) 19.04.2024
起きよ、光を放て。 あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。 (イザヤ書60章1節) イザヤは、直接的にはバビロンに捕らえられているイスラエルが解放され、エルサレムに帰還することを預言しています。そして、新約の時代に、この預言がメシアである御子イエス・キリストの到来のことをも告げ知らせるものであることが示されました(エフェ5章14節参照)。 旧約の時代、メシアがどのようなかたちで現れるか、おぼろげ...
罪を悔い改める者のもとに主は来られる(イザヤ書 59章) 18.04.2024
主は贖う者として、シオンに来られる。 ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると 主は言われる。 (イザヤ書59:20) イスラエルの民が主の御前に罪を重ねた結果、イスラエル王国は南北に分断され、その後、北イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされました。南ユダ王国もバビロンによって滅ぼされて、捕囚の民とされました。そこに至るまでにも、主なる神は繰り返し預言者を遣わし、イスラエルの民に悔い改めを求めておられました。...
主の御業は渇きをいやし力を与える(イザヤ書 58章) 17.04.2024
主は常にあなたを導き 焼けつく地であなたの渇きをいやし 骨に力を与えてくださる。 あなたは潤された園、水の涸れない泉となる。 (イザヤ書58章11節) 主なる神は、私たちに、主なる神を信じ、主を礼拝することを望んでおられます。そして、神の御言葉に聞き従うことが求められています。 イスラエルの民は、主を信じ、断食を行っていました。しかし、主なる神は「お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし、神に逆らって、こ...
生きて働いておられる主なる神(イザヤ書 57章) 16.04.2024
わたしがとこしえに沈黙していると思って わたしを畏れないのか。 (イザヤ書57章11節) 主なる神が全世界を支配しておられ、主の御力が私たちに及んでいます。このことは私たちキリスト者の確信です。しかし、この世の人たちは神の存在などに関係なく、世界は自然の秩序と世の権威において動いていると考えています。このような考えは、巧妙にもキリスト者の考えに入り込もうと忍び寄ります。 主なる神が私たちのただ中にあって働い...
神による救いは実現する(イザヤ書 56章) 15.04.2024
わたしは彼らのために、とこしえの名を与え … わたしの家、わたしの城壁に刻む。 その名は決して消し去られることがない。 (イザヤ書56章5節) イスラエルの民は、自らの罪の結果、主なる神の裁きとして国をバビロンに滅ぼされ、捕囚の民とされました。このとき、多くのイスラエルの民は、生きる希望を失ったのではないでしょうか。神の存在が見えないとき、人は神を信じることができず、自己中心の生活となっていきます。 しかし、...
主イエスをいつも見ながら(ルカによる福音書 24章36-49節) 14.04.2024
そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。 (ルカによる福音書24章45節~46節) きょうはルカによる福音書の最後の場面からです。このとき、平和ではなかったであろう弟子たちの前に、復活の主が現れて言われます。「あなたがたに平和があるように」。この方が平和をもたらし、平和はこの方によって実現されることを確信させられる、そのような箇所です。 44節からの場面では、旧約聖書に書かれたこと...
造られた人すべて主を賛えよ(箴言 8章) 13.04.2024
わたしは巧みな者となり 日々、主を楽しませる者となって 絶えず主の御前で楽を奏し 主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し… (箴言8章30節~31節) 繰り返されている「わたし」とは誰のことなのでしょうか。「わたしは知恵」(12節)と名乗っていますから「わたし」は「知恵」のことだとわかります。 「山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが、わたしは生み出されていた。大地も野も、地上の最初の塵も、まだ造られてい...
真実の神、永遠の命なるキリスト(ヨハネの手紙一 5章) 12.04.2024
わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。 (ヨハネの手紙一5章20節) ヨハネは、第一の手紙を結ぶにあたって、今一度、「子たちよ」と呼びかけます。そしてその最後の一言が「偶像を避けなさい」です。このように言わなければならないほど、偶像の力は大きなものです。偶像は目に見えるものを神として拝んでしまうだけではありません。コロサイの信徒への手紙...
霊によって公にキリストを言い表す(ヨハネの手紙一 4章) 11.04.2024
イエス・キリストが肉となって来られたということを公に言い表す霊は、すべて神から出たものです。 (ヨハネの手紙一4章2節) ヨハネの手紙一は、後半に入って特に「公に言い表す」(2、3、15節)こと、「信じる」(1、16節、5章1、5、10、13節)ことが繰り返して語られています。これらの言葉によって、私たちがイエス・キリストがまことの神でありつつまことの人であると、正しく信仰を言い表すこと、告白することが強調されていま...
わたしたちが神の子と呼ばれる確かさ(ヨハネの手紙一 3章) 10.04.2024
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。 (ヨハネの手紙一3章1節) 「わたしたちが神の子と呼ばれる」とは、何とおどろくべきことでしょうか。このことは私たちが神を愛したからではありません。神が私たちを愛してくださったからです(4章10節)。 それでは、これからのことはどうなのでしょうか。「今既に神の子」(2節)と言われてい...
弁護者キリストがおられます(ヨハネの手紙一 2章) 09.04.2024
…書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。 (ヨハネの手紙一2章1節) ヨハネが願っていることは、「あなたがたが罪を犯さないようになる」ことです。ところが、「たとえ罪を犯しても」と言われなければならないように、罪との戦いに敗れてしまうことがあるのが私たちの現実です。 けれども、犯してしまったら終わりなのではありま...
わたしたちに現れた永遠の命を知る(ヨハネの手紙一 1章) 08.04.2024
御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。 (ヨハネの手紙一1章2節) ヨハネがこの手紙によってぜひ伝えたかったこと、それは私たちに現れた永遠の命です。 永遠の命、それは神が人となり現れてくださった方、イエス・キリストです。この方は初めからあった方、すなわち天地創造の時におられた方ですが、私たちに現れてくださいました。それは、私たちに知って...
主の約束を信じて生きる幸い(ヨハネによる福音書 20章19-31節) 07.04.2024
これらのことが書かれたのは、あなたがたが、…信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。 (ヨハネによる福音書20:31) ここに、福音書の書かれた目的が端的に表されています。それは「信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」と。「信じる」という言葉がここで重ねられています。まるで信じることのなかに、命が約束されていると伝えたいかの如くです。私たちは先週イー...
どうしたら誘惑に陥らない?(箴言 7章) 06.04.2024
戒めを守って、命を得よ。 わたしの教えを瞳のように守れ。 それをあなたの指に結び、心の中の板に書き記せ。 (箴言7章2節~3節) 7章では、罪の誘惑に陥ることの恐ろしさが赤裸々に描かれています。ここでは特に男性に対してだけ語られているように見えます。しかし、罪の誘惑は性別、年齢を問わず、誰にでも襲いかかります。そして、私たちは自分自身で誘惑に立ち向かうことはできません。私たちは、誘惑に陥ったことに気づかない...
主の恵みにあずかる者が多くいる(出エジプト記 18章) 05.04.2024
モーセのしゅうとエトロは、モーセが先に帰していた妻のツィポラと、二人の息子を連れて…神の山に宿営しているモーセのところに行った。 (出エジプト記18章2節~5節) モーセの妻ツィポラと二人の息子たちは、モーセのしゅうとエトロのもとに送り返されていました。おそらくエジプトとの戦いに巻き込まないようにするためだったのでしょう。このとき、出エジプトが一区切りついたことを聞き(1節)、妻子がモーセのところに連れ戻さ...
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