RCJメディアミニストリー
リジョイス聖書日課
リジョイスは「日本キリスト改革派教会 教育機関誌委員会」が毎月発行している機関誌です。リジョイスには聖書日課が用意されており、日替わりで聖書のみことばと解説が紹介されています。
Určitě navštivte web podcastu a podpořte jeho tvůrce: www.rcj.gr.jp
Kde poslouchat?
Podcasty v aplikaci Replaio Radio Už brzyPodcasty míří do aplikace už brzy. Nainstaluj si ji teď a jako první uvidíš úplně nový pohled na podcasty
Epizody
勇み歌わん、主を愛する、愛をば愛をば(雅歌 8章) 18.12.2022
大水も愛を消すことはできない … 愛を支配しようと 財宝などを差し出す人があれば その人は必ずさげすまれる。 (雅歌8章7節) 愛が自由なる翼を広げて、人間を包むとき、この世界がいかなる悪に覆われていても、生きるに値するものであることを教えてくれます。しかし、ひと度、愛を自らの手のひらに囲おうとするとき、愛はその人から見えなくなり、ゆえに、この世界を物憂いものとしてのみ映し出します。 恋しい人を待つおとめの愛...
御言葉を信じて命を受ける(ヨハネによる福音書 20章) 17.12.2022
これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。 (ヨハネによる福音書20章31節) ヨハネによる福音書は、七つのしるしを軸にして、主イエス・キリストのこと、この方が神の子メシアであることを証ししています。30節には、「このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない」とあ...
見ないで信じる幸い(ヨハネによる福音書 20章) 16.12.2022
イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 (ヨハネによる福音書20章29節) 復活された主イエスはトマスに最後に言われます。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」と。主イエスは、「あなたは、本当は見ないで信じるべきだった」と、トマスの不信仰を責めておられるのでしょうか。そうではありません。実は他の弟子たちもみんな見るまでは信じませ...
十字架のキリストを見るために(ヨハネによる福音書 19章) 15.12.2022
ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。」…ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。 (ヨハネによる福音書19章4節~5節) 主イエスは十字架にかけられる前に、ポンテオ・ピラトのもとで裁判にかけられます。ピラトは、主イエスが無罪であることに気づいていました。主イエスをなんとか釈放しようと試みますが、うまくいきません。そこで主イエスを群衆たちの前に引き出します。主イエスは...
独り子主イエスが上げられる(ヨハネによる福音書 12章) 14.12.2022
「今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」 (ヨハネによる福音書12章31節~32節) ヨハネ福音書は12章から主イエスが十字架にかけられ、復活される1週間の出来事を語っています。十字架と復活は神の救いの御業そのものであり、しるしではありません。しるしが指し示していたものです。 主イエスはここまで何度も「わたしの時はまだ...
最後にして最大のしるし(ヨハネによる福音書 11章) 13.12.2022
こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。 (ヨハネによる福音書11章43節) 主イエスは、この福音書で七つのしるしを行われました。そのクライマックスがこのラザロの復活です。このしるしは、最後の七つ目のしるしであり、また最大のしるしです。 ラザロが重い病気にかかっていることが、その姉妹であるマルタとマリアによって主イエスに伝えられ、主イエスはラザロのところに行かれます。しかし、彼はすでに死...
過去でなく未来を見て生きる(ヨハネによる福音書 9章) 12.12.2022
イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」 (ヨハネによる福音書9章3節) 主イエスは、生まれつき目が見えなかった人をいやされ、その目を見えるようにされました。それが主イエスのなさった六つ目のしるしです。 主は生まれつき目の見えない人をじっと見つめられます。そのとき、弟子たちは尋ねます。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれ...
歩みを一つ経るたびに愛を信じて(雅歌 7-8章) 11.12.2022
エルサレムのおとめたちよ、誓ってください 愛がそれを望むまでは 愛を呼びさまさないと。 (雅歌8章4節) おとめは「愛がそれを望むまでは」と、これまでに二度繰り返した言葉を最後にもう一度、発します。同じ言葉は発せられるたびに、その意味を深め、ここに辿り着きました。 最初に、その言葉が発せられたとき(2章7節)、おとめの心は恋しい人を待ち望む期待と不安を織り交ぜながら、周囲に騒ぎ立てないことを求めました。無邪...
恐れから解き放たれて生きる(ヨハネによる福音書 6章) 10.12.2022
イエスは言われた。「わたしだ。恐れることはない。」 (ヨハネによる福音書6章20節) パンの奇跡の後、弟子たちは舟に乗ってカファルナウムに向かいます。この時は、弟子たちだけで舟に乗り込み、対岸に向かいました。そこへ強い風が吹いて来て、湖が荒れ始めました。すると主イエスが湖の上を歩いて近づいて来られます。そのとき「彼らは恐れた」と語られています。弟子たちが恐れたのは何故でしょうか。主イエスが、漕ぎ悩んでい...
驚くべき豊かなみ恵み(ヨハネによる福音書 6章) 09.12.2022
イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。 (ヨハネによる福音書6章11節) 主イエスはガリラヤ湖の向こう岸で、男だけで5千人の人びとをわずか5つのパンと2匹の魚で養われます。これが四つ目のしるしです。このしるしもまた、主イエスが、神の独り子であり、私たちの救い主であることを示しています。そして、このしるしは、主イエスがど...
十字架の死を指し示す(ヨハネによる福音書 5章) 08.12.2022
このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。 (ヨハネによる福音書5章18節) エルサレムに上られた主イエスは、ベトザタの池で38年もの間、病気のために横たわり続けていた人をいやされます。「起き上がり、床を担いで歩きなさい」と命じられると、この人は床を担いで歩きだしました。これが三つ目のしるしです。このしるしで大切なことは、いやしそのものだけではなく、その後のことです。 主がこの...
御言葉を信じて生きる(ヨハネによる福音書 4章) 07.12.2022
イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。 (ヨハネによる福音書4章50節) カナで息子のいやしを求めてやって来た父親に主イエスは言われました。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見ないと信じない」と。主イエスはこの父親の願いを拒まれるかのようです。しかし、父親はなおも「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と願います。すると主イエ...
最初のしるし「喜び」(ヨハネによる福音書 2-4章) 06.12.2022
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。 (ヨハネによる福音書2章11節) 主イエスが弟子たちを連れて始められた伝道の働きの最初の出来事です。主イエスは弟子たちを連れて、ガリラヤのカナで結婚式に出席されました。そこで、振る舞われるはずのぶどう酒が足りなくなってしまいましたが、主イエスは水をぶどう酒に変えられます。 ヨハネ福音書は、この主イエ...
しるしをとおして見るもの(ヨハネによる福音書 1章) 05.12.2022
「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」 (ヨハネによる福音書1章51節) ヨハネによる福音書は、主イエスのなさった奇跡を奇跡とは呼ばずに「しるし」と呼びます。これはこの福音書にだけ見られる独特な表現で、合わせて七つのしるしが語られていて、これらの「しるし」が軸となって、主イエスのご生涯が語られています。 「しるし」は示しているものがあると...
夜ごと求めて探してでもきっと(雅歌 3-6章) 04.12.2022
夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても 求めても、見つかりません。 起き出して町をめぐり 通りや広場をめぐって 恋い慕う人を求めよう。 (雅歌3章1節~2節) 幾つの夜を越えてゆけば、恋しい人は再び来てくれるだろう。おとめの焦がれる思いに祈りを合わせます。 過去の甘美な記憶は、あの人が今いないという辛さを突きつけもします。待つことは痛く苦しいことでもありました。疲れ果て、床に伏し、気づけば夢の世界に落ちてゆく、...
罪がもたらす土地の荒廃と真の安息(歴代誌下 10-36章) 03.12.2022
こうして主がエレミヤの口を通して告げられた言葉が実現し、…その荒廃の全期間を通じて地は安息を得、70年の年月が満ちた。 (歴代誌下36章21節) ソロモン王の死後、王国は南北に分裂し、ソロモン王が神殿奉献のときに祈りの中で列挙した罪が現実となってしまいます。正しい王の治世も束の間、神への誠実な生き方は失われ、とうとう罪は極みに達します。ついには新バビロニア帝国のネブカドネツァルによって神殿は破壊され、エルサ...
神殿は罪を告白し赦される場所(歴代誌下 1-9章) 02.12.2022
僕とあなたの民イスラエルがこの所に向かって祈り求める願いを聞き届けてください。…天から耳を傾け、聞き届けて、罪を赦してください。 (歴代誌下6章21節) 歴代誌下の最初の9章は、ソロモン王の業績が記されています。その中でも神殿建築に関わる記事がこれらの章のほとんどを占めています。 神殿が完成し、神にこの神殿を奉献するにあたってソロモンは長い祈りを神にささげます。その祈りの中で繰り返し出てくる言葉は「罪を赦し...
王が発する一言の重みと罪深さ(歴代誌上 10-29章) 01.12.2022
ダビデは、「ベツレヘムの城門の傍らにある、あの井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのに」と切望した。 (歴代誌上11章17節) 歴代誌上10章以下にはダビデ王の功績が記されています。数あるダビデの話の中で、地味ではあるものの注目に値する逸話があります。 あるとき、ダビデは「ベツレヘムの城門の傍らにある、あの井戸の水を飲ませてくれる者があればよいのに」と、深く考えもせずに自分の願いを口にします。ダビデに仕え...
系図に見える人間の罪と救いの恵み(歴代誌上 1-9章) 30.11.2022
アダム、セト、エノシュ、ケナン、マハラルエル、イエレド、エノク、メトシェラ、レメク、ノア、セム、ハム、ヤフェト。 (歴代誌上1章1節~4節) 歴代誌上は長々とした系図で始まります。私たちにとっては記号のように見えるこの名前も、本人やその周りに生きた人たちにとっては、この地上に生を受けた証です。 神が人をお造りになったとき、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」と神は人を祝福されました。しかし、罪を犯し...
主の御心は決して変わることはない(マラキ書 3章) 29.11.2022
見よ、わたしは 大いなる恐るべき主の日が来る前に 預言者エリヤをあなたたちに遣わす。 (マラキ書3章23節) 主がくださった掟を離れ、罪のただ中を生きていると、心も行いも悪くなるばかりです。主は、そのようなイスラエルの民をよくご存じでした。彼らの心にある主に対する不信感。また、どのような言葉でご自分に反論してくるのかを。主は彼らの罪に対して毅然と対処するため審判があることを隠さずに伝えました。 なぜ、厳しい...
主はあなたを愛しておられた(マラキ書 1-2章) 28.11.2022
わたしはあなたたちを愛してきたと 主は言われる。 しかし、あなたたちは言う どのように愛を示してくださったのか、と。 (マラキ書1章2節) 主を信じて信仰生活を送り始めてから今日に至るまで、自分が思い描く理想の姿と離れていることに嫌気がさしたことはありませんか。初めて主の愛と救いの恵みを知って洗礼を受けた。主への信頼から信仰告白をした。それにもかかわらず、全く変わっていないように思える。信仰生活が惰性的に...
恋しい人その声を胸に歌を奏で待つ(雅歌 1-2章) 27.11.2022
ソロモンの雅歌。 どうかあの方が、その口のくちづけをもって わたしにくちづけしてくださるように。 (雅歌1章1節~2節) 主を待ち望む季節の中で雅歌から聞こえてくる歌に耳を澄ませます。 主旋律を奏でるおとめの声もまた「恋しい人」の到来を待っています。「かもしかのように、若い雄鹿のように、深い山へ帰って来てください」(2章17節)。おとめには予感があります。山を越え、丘を跳んで、今すぐにでも恋しい人が自分のとこ...
聖なる信仰に自分自身を築き上げる(ユダの手紙 ) 26.11.2022
しかし、愛する人たち、あなたがたは最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。聖霊の導きの下に祈りなさい。 (ユダの手紙20節) 日常生活を送る中で、私たちはさまざまな「勧め」を耳にします。「こうした方が得をする」、「こうした方が楽しく暮らせる」、「信仰など生活に何の意味もないから関わらない方が身のため」。この手紙が書かれた初代教会の兄弟姉妹も同じ試みの中にありました。教会において、福音の意味を歪めた...
善を行う人とは神に属する人(ヨハネの手紙三 ) 25.11.2022
愛する者よ、悪いことではなく、善いことを見倣ってください。善を行う者は神に属する人であり、悪を行う者は、神を見たことのない人です。 (ヨハネの手紙三11節) ヨハネは、ガイオという人物にこの手紙を書き送りました。ガイオがいる教会には、ディオトレフェスという非常に問題のある人物がいました。彼は、自分が教会の指導者となって主導権を握ろうとし、ガイオやヨハネのことを悪意に満ちた言葉でそしっていました。そして、...
キリストは肉となって来られた(ヨハネの手紙二 ) 24.11.2022
彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしません。こういう者は人を惑わす者、反キリストです。 (ヨハネの手紙二7節) イエス・キリストは、神の子でありながら、私たちと同じように肉をとって、この世界に生まれました。この出来事を「受肉」と言います。この「受肉」の出来事は、主イエスが私たちと同じ人間であることを意味しています。このことを、私たちが論理的に理解しようとしても無理なこと...
Podobné podcasty
Replaio není vydavatelem podcastů; názvy pořadů, obálky a audio patří jejich autorům a šíří se přes veřejné RSS kanály